見出し画像

息がしづらい。

「かつてTwitterと呼ばれたSNS」が、現在の名前になったのをきっかけに「つぶやき」をポストするのをやめて数日が経つが、明らかに体調が悪くなっている。

「疲れたー」とか「暑すぎる…」とか、そういったことをポストできる場というのがいかに貴重だったか、というのを思い知っている。

買収話が持ち上がるよりずっと前から、「かつてTwitterと呼ばれたSNS」は随分と息苦しい場所になっていたのだと思うが、かねてより公言しているように自分はフォローをしているアカウントもすべてミュートしてタイムラインに自分のポストしか並ばない状況を無理やり作っていたので、純粋な独り言や、日々の気づきをメモ書き的に書き留めておく場としての意味合いが大きかった。

そんなポストにも片手で数えるほどの反応があるのが、今となっては嬉しかったのだ。

何も「共感」や「つながり」を求めていたわけではない。ただ、そんな小さな思考のメモ書きに反応があるという事実は、「そのように考えている自分は確かに存在している」ということを確認させてくれることだったのだ。

……と、ここまで下書きに書いたところで、「むしろこうなってしまったこの場所(=かつてTwitterと呼ばれたSNS)で言及したほうが皮肉が効いていていいかもしれない」と思える話題を目にしたので(告知用途・DMやり取りの他に、情報収集ツールとして今後も閲覧は続ける予定です)、数日ぶりに「つぶやき」をポストしたところ、劇的に体調がよくなった。

かと言って以前のようにかのSNSを使い続けるというのも考えづらい。美意識に合わないプロダクトを使い続けると、自分の美意識も摩耗していく気がする。

健康に息をし続けるためにどうすべきか、考えどころだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?