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父に思いを馳せる① 病院まで

2022年3月19日、午後2時22分。
電話が鳴りました。その電話は、父と仕事の関係があるHさんから。
「万が一何かあった時のために、わたしの電話番号を伝えておいて。」
と言って電話番号を登録し合ったHさんからの電話なので、「万が一」の、良くない何かが起こったに違いない。

「お父さんが屋根から落ちて、今、救急車を呼んだ。意識はあった。また連絡する。」

(意識はあった?)
その時わたしはオンラインで講座を受けていて、Hさんからの電話の意味がうまく飲み込めなかったけれど、講座どころじゃなくなったことはなんとか理解し、パソコンを閉じ、着替え、身だしなみを整えて、次の電話を待つことに。
すると救急隊員の方から、
「ドクターヘリで大学病院へ行きます。ヘリに乗ればすぐ着くので、娘さんもすぐ病院へ向かってください。意識、呼吸、ともにありません。」
と連絡があり、
どうしたらいいのか分からず、けどとりあえず、藁にもすがる気持ち、を石に置き換え、石(例のヒマラヤクリスタルたち)を握りしめて、深呼吸をし、2時間弱の道のりを大学病院まで走らせました。

父のことが大嫌いな妹にも、離婚した母にも、
迷った末にそれぞれ連絡してみましたが、
2人とも、
「(病院に)行かない。」
という答えでした。

運転しながら、
「お父さん、がんばれ。お父さん、がんばれ。」
と何度も言っているうちに、父へのいろんな思いが巡ってきました。

わたしは、自分の嫌いなところは、父に似ている気がしていて、ずっと嫌でした。「それさえなければ、お父さんがわたしのお父さんじゃなければ、人生うまくいっていたのに。」
不器用でうまく立ち回れないところや、素直になれないけど妙にまっすぐなところや、怒りっぽいところ、きっと全部父からきています。あと顔の大きいほくろも嫌いです。

でもぐるぐると考えているうちにふと、それもこれも全て、わたしの命の半分は父からきてるなら、もう、仕方ない、自分の嫌いなところに降参だ、という不思議な気持ちになりました。

父は怖かったし近寄りがたかったし、好きか嫌いでいったら正直嫌悪感さえわきます。
今まで同様今後もさほど関わりたくはないけど、それなりに幸せに日々どこかで元気に暮らしていてほしいと思っていました。
親孝行らしいことをしていないことに罪悪感を抱いたりもしていました。

運転中、父がしてくれたこともぽろぽろと思い出しました。
中学生のとき、技術のラジオ作りで壊れたアクリル板を利用して、先生も驚きのカッコいい形のラジオを作ってくれたこと。
ろくに世話もせず死んでしまったハムスターを一緒に埋めに行ってくれたこと。
海で浮き輪で浮いてるだけなのに怖いから、ずっと近くで浮いていてくれたこと。

一方で、死んだら喪主はわたしがやるのかな。お墓はどうしたらいいんだろう。と考えている自分もいました。

もし生き残っても、重い障害や後遺症が残るなら、「あの時そのまま死にたかった」と思うんじゃないか。その状況で、生きていく目的や気持ちを抱けるんだろうか。

何がどうなるのが父にとって、そしてわたしにとって、いいんだろう?
と思わずにいられませんでした。

いつものわたしならそこでぐるぐると思い悩んだりしがちですが、
珍しく、ふと、
それは、天命に委ねるしかないことなんだ、
全ては巡り合わせで、
携わる全ての人たちの知恵と経験と瞬間の判断と、
父の命が、父の体が、どう決めるか、
ただ委ねるしかないんだ、
という気持ちが自然とわいてきました。

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