【小説】ラヴァーズロック2世 #14「噴進弾型表皮嚢腫」
噴進弾型表皮嚢腫
僻地の農村から、さらに離れた山中にその家はあった。
丸太小屋と呼ぶには少々大きすぎるログキャビンの室内は、外観からは想像もできないくらいに快適だ。
冬は暖かく夏は涼しいし、必要なものは完璧といってよいほどに全て揃っている。そして、今後必要になるであろうありとあらゆるものも、半永久的に不足することはないだろう。
木製の積み木で遊ぶ女の子は、やっとつかまり立ちができるようになったばかり。祖父お手製の積み木から発する檜の香りが、優しく部屋を満たしている。
それにしても、今さっき完成したばかりのその積み木をお披露目したときの、彼女の喜びようといったら……。
幼女はまだ興奮冷めやらずの状態で、鼻息を荒くしながらその積み木を口に含むと、玩具の形や肌触りを思う存分味わっている。
オーバーサイズのサロペットを着ている幼女の背中が異様に膨らんでいるのは、噴進弾型表皮嚢腫、いわゆるロケット・アロテームのせいだ。
産まれたばかりの彼女の背中に小さな腫瘍が認められたとき、ありふれた粉瘤だと医者は高をくくっていた。
しかし、退院後異物は徐々に大きくなり、ついには二対のロケットを背負っているような恰好になってしまったのだ。
しかも、ロケットの噴射ノズル部に相当する場所は、キノコの傘の裏にある放射状のひだにそっくりで、実際その個所からはシイタケのようなにおいが漂ってきたのだった。
目下のところ、この奇妙な幼女にとっての他者は、傍らで彼女を見守る祖父と、そのふたりに背を向け、流し台で洗い物をしている母親だけ。村人との接触はほとんどないし、探検と称して時折やって来る村の子どもたちの好奇の目にもまださらされていない。
目を細めて幼い孫娘を見守るこの老人。実をいうと、意識は別のところに飛んで行ってしまっている。
別に薄情なわけではない。事実はそのまったく逆で、たびたび老人の意識は彼女を抱きかかえたまま、ある池のほとりへと向かうのだった。
「お前はまだ物心のついていないふりをしているが、本当はわかっているのだろう? だから私はお前をこうして連れ出しては話しかけているんだよ。お前が言葉を発するようになったからにはもう、私もそろそろここを立ち去らなければならないのだから……」
そこは、家からそう遠くない所にあるすり鉢状の池で、以前は村の子どもたちの格好の遊び場所になっていたところだ。
「お前が産まれる前、お前の幼いお兄ちゃんは、このすり鉢池で溺れて死んでしまったんだ。その日も村の子どもたちと一緒に遊んでいたらしい……」
母親が駆けつけたときには、もう村の消防団とレスキュー隊員が捜索を始めていた。
母親は消防団の青年から竹竿を奪い取ると、鏡のような水面を荒々しく突き刺しては池の周りを気が触れたように走り回った。
「まだ間に合う、まだ間に合うから、と叫び続けていたっけ。その時のお前の母親の美しさといったら……その汗ばんだ白い肌に張り付くおくれ毛が、脳裏に張り付いて離れないのだ。不謹慎だと思うかい? だが、これら一連の出来事が全て演技だとしたらどうだ?母親はもとより、捜索隊の面々、池の周りで見守る村人や子どもたち、その中にあらかじめ周到に準備された〈スタッフ〉が紛れ込んでいるとしたら? いいかい? これからお前が出会うであろう人々の中に、お前のためだけに働く〈スタッフ〉が紛れ込んでいることを決して忘れてはいけないよ。かれらはお前のためなら喜んで命を捨てるし、必要であればどんな残忍なことでも躊躇なく実行するだろう。お前の目の前でどんなに残酷で見るに堪えないことが起こったとしても、お前は美しい言葉を用いてそれを解釈しなければならない。それがお前の義務であり宿命なんだよ。常に美しく生き、なおかつ、それを表現し続けなければならないんだ。そう、池の底の泥を鷲づかみにしたまま引き上げられたお前の兄さんも、ライオンのように猛々しく吠えたまま石化していたっけ……」
別れの時が刻々と迫っていた。
「じいちゃ……」と幼女は言葉らしきものを発する。
これは仕事なのだ、と老人は自分に言い聞かせる。
孫娘は円柱型の積み木をひとつ、老人に手わたした。
かれはそれを握りしめると、ちょっとした用事を思いだしたかのような面持ちで、部屋を出ていってしまった。
そして、それっきり二度と戻らなかった。
つづく
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