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2024/03/08

有名人の方の訃報には基本的にはSNSで触れないことにしています。理由として僕は人々の笑顔を作ったり希望を作るのがネット活動者の役目であり、悲しみを思い出させるものではないと思っているからです。だから追悼の気持ちは胸にしまうことにしているのですが、今回ばかりは胸にしまいきれません。世界に誇る漫画家が亡くなってしまいました。僕もテレビの前でドラゴンボールを見て、心を踊らせた日本男子の一人です。

少しだけ話は逸れまして、僕が高校に入学したばっかりのときは友達ができる気などしませんでした。吃音症があったしネガティブで、陰鬱とした高校生活になるのだろうと思っていたのです。学生時代のコミュニティに属する能力は残酷なほど差が出るもので、僕は入学初日は誰とも会話せずに帰宅したものです。
1週間ほど経って、クラス内で仲の良いグループが出来上がりつつあるとき、僕は完全に取り残されておりました。男子の仲良しグループは既に一緒に登校したり下校したり、弁当を食べるときは特定の人たちで固まっておりました。僕は誰かに話しかける勇気など持てず、教室の端っこで静かにコンビニのパンを食べていたのです。そこで、クラスのある男子がこう口にしたのです。
「あれ、悟空に瞬間移動教えたの誰だっけ」
その言葉を聞いた僕はある単語をずっと心の中で連呼しておりましたが、クラスの男子の誰もが答えられない。そんな中で、思わず僕はその男子の方に振り返って「ヤードラット星人じゃない……?」と答えたんです。すると面識のなかったクラスの男子たちの表情がぱぁっと明るくなり、「それだ!!」と大盛りあがり。クラスの男子のほとんどがドラゴンボールとワンピースが好きで、アニメと漫画の話で僕たちは繋がりを持てました。
それからすぐにクラスと馴染んで放課後に友達の家に遊びに行き、高校生男子数名でPS2のドラゴンボールの格闘ゲームを遊んで「ブロリー強すぎだから禁止な!!」「パイクーハンって映画のキャラ?」みたいに夜遅くまで盛り上がって、また次の日も学校でドラゴンボールの話で盛り上がったのです。「ポルンガ呼ぶときの呪文言えるやついる?」みたいなくだらない話でも、昼休みの退屈を埋めるには十分でした。オタクもヤンキーもアニメや漫画を愛する気持ちに違いはなく、少し怖い友達とも仲良くなれたきっかけでした。友達の家でワンピースを考察しまくったあとは自転車で各々帰宅し、近所迷惑も考えずに「DANDAN心魅かれてく」を熱唱してみんなで帰ったものです。今思うと絶対に近所迷惑でしたけど、あの時間は二度と帰らない青春だったのです。ドラゴンボールがあったから僕らは友達になれたし、繋がれて色々なドラマへと繋げてくれました。未だにその高校時代の友達とはつながっておりますし、あの日を懐かしく思うこともあります。あのかけがえのない日は絶対にドラゴンボールがあったからこそ存在しておりました。だから僕はドラゴンボールにとても深い感謝があるのです。
だからこそ、僕は日本を代表する漫画家がまた一人この世を去ってしまったことが残念で仕方がありません。他にも有名作品はたくさんありますけど、ドラゴンボールほど少年たちの心の中に残り続けた作品はそう多くはありません。かめはめ波を出してみようとしたり、瞬間移動をしてみようとしたり、界王拳10倍をしようとしていた僕たちが今は次の世代の子どもたちに何を残せるか試されているのです。先駆者が残したバトンを大切に受取り、次の世代につなげようと心に誓った次第でした。

心から、御冥福をお祈りします。

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