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トークスキルを上げる「5つのルール」

これは僕が過去に勤めていた企業で上司に教えたもらい、今でも実践しているトークスキルの5つのルールをまとめた記事になります。少し長くなりますので、お時間があるときに是非読んでみてください。

序文

「トークは喋るな」

かつて広告代理店に勤めていたときに上司に言われた言葉を、今でも覚えています。僕が営業車の運転をしていて、助手席でタバコを吸っていた上司が僕に向かって放った言葉です。
信号が青になっていることにも気づかず、僕は混乱して、「え?」と上司の顔を見ました。すると上司は面倒くさそうな顔をして、こう続けたのです。

「お前はトークを喋るものだと思ってる。根本的に間違えてる」

その日の僕と上司は朝から営業先の企業に出向き、商談をおこなっておりました。
青信号に気づいた僕はアクセルを踏んで「どういうことですか」と質問を返します。その日の僕の結果はというと惨敗で、商談を初めて10分程度で相手の企業は塩を舐めたような顔を浮かべて「今回は、結構です。お帰り下さい」と僕らを突っぱねたのです。すっかり落ち込んだ僕は運転席に乗り、上司は溜息を吐きながらタバコに火をつけて助手席に乗り込みました。会社に戻る無言の車中で突然上司が会話を初めて、「トークは喋るな」と口にしたのです。
上司はスマートフォンを取り出してメールチェックをしながら、こう続けました。

「トークは自己表現ではなく、コミュニケーションだ。お前の考えるトークは"TALK"ではなく"SPEAK"になってる。大勢の前に立って一方的に話すプレゼンなら正解かもしれないし、お前はその才能はあるかもしれない。だけども相手の話を引き出せないトークは食欲をそそらない料理と同じだ。ただの見世物。トークはお互いを知るための手段なんだよ」

背骨に電気が走るような衝撃を受けました。確かに僕は無意識にトークとスピークの違いをあやふやにして、ただ上手に話しかけることだけがトークスキルだと思っておりました。僕の中に眠っていた意欲が沸き起こるような感覚を覚え、僕は無意識に少しだけ車の速度を落としていました。そして、上司はこう続けました。

「いいか。はっきり言う。断言するけど、トークが上手い人間には絶対と言っていい共通点がある。何だと思う」
「言葉をたくさん知ってる……ボキャブラリーですか?」
「全然違う。知識量は全く影響しない。それどころかトークにおいては邪魔でしかない」
「邪魔なんですか?」
「邪魔。マジで邪魔。知識量がありすぎると、知識が無い人間のレベルがわからないから、勝手なスピードと勝手な基準で話を進める。それはトーク力ではなく、文学性の方向になる。アートを目指す人間が行くべき世界」
「じゃあ、共通点ってなんですか?」
「トークには5つのルールがある。お前もいつか後輩が出来たら教えろ」
「いったん車止めてメモしていいですか」
「だめだ。覚えろ」
「そんな」

そのとき僕がハンドルを握りながらされた話を、このnoteを読んでいる方々へ共有できて、何かの活動をされている方の糧になったら幸いです。

■ トークスキルとはそもそも何?

まず初めに考えるべきことは「何の為に喋るのか?」ということです。
一口にトークと言っても、様々な種類があるからです。
営業みたいに物を売るトーク。漫談みたいに人を楽しませるトーク。バラエティ番組の司会のように全体を進行させるトークなどがそれに該当するでしょう。
では、この記事を読んでくださっているあなたは、何のためにトークしたいですか?

例えば最近で言えばネット配信でトークスキルを磨きたい!という方も多くいらっしゃいます。Youtuberの方が動画の質を上げるためにトークスキルを磨きたい!という方もいらっしゃいます。
しかしながらそのトークひとつにおいても、目的によっては大きく内容が変わることをご理解いただきたいです。果たして客を楽しませるためなのか、ファンを増やすためなのか。視聴者数など数字を得るためなのか、金銭などリアリティのある数字を求めるためなのか。

はたまた活動者の方ではなくとも、嫌いな人と上手く話すトークスキルもありますし、意中の異性を口説くトークスキルや、友人を多く作るためのトークスキルもあります。
つまり、トークスキルとは少し大げさに一言で言えば「自分の願いを叶えるためのひとつの手段」であることが言えます。

言葉とは殆どの国で使用されている文化で、コミュニケーション手段のひとつです。繋がりを求めたり、相手を慰めたり傷つけるためにまず使う手段が言葉です。その目的の成功率を上げる手段がトークスキルなのです。野球で例えるならば言葉がバットで、トークスキルが技術。技術なくしてバットを振っても思ったところにボールは飛ばないし、それどころか当たらないことすらあるというわけです。

■ 喋るために「捨てる」

まず、捨てましょう。
何を? と言われたら答えは明白で、目的以外のものをです。

例えば僕はネット配信を15年行っており多くの活動者を見てきました。その中にトークスキルを鍛えたいと言う方も多くいました。しかしながら大体の人がこの「捨てる」ということができず、撃沈していたのです。
何を捨てられなかったのかというと、「エゴ」です。

例えば生放送の視聴者数を多く得たいと考えていた、ある活動者がいました。
その人はトークスキルを鍛えてより多くの人に見てもらおうとしておりましたが、ある別の目的を無意識に生んでしまって失敗に終わったのです。具体的に言えば「異性にカッコいいと思われたい」「お金を稼ぎたい」などです。一言で言えば、それは無理な話です。テレビショッピングをしている人が物を売るトークをすべきなのに、テレビショッピングで異性にモテるトークをしようとしたらそりゃ物も売れなくなるしトークも中途半端なものになって撃沈するでしょう。
もっと別の例で言えば学生が「数学の成績を伸ばしたい!」と目標を掲げたのに「そういえば英語もついでに成績あげたいな」「化学も不安だな」とブレてしまったら数学の成績もあまり伸びません。
こういう事態に陥ってしまってまず起こる現象は、モチベーションが維持出来ないことも非常に大きいです。一人の人間があれもこれもとスキルを向上させるのは非常に難しいことです(たまに出来る人がいますが、それは僕にとって謎の存在なので触れません)。

まずひとつのタスクをこなすために、どうやってそのタスクをこなすかの手段を考える。そうすることで答えはシンプルになっていきます。例えば先程の視聴者数を増やしたいと言っていた活動者がどうするべきだったかと言うと、まず人が多い活動者がどうして人が多いのかを分析することから始めないといけません。ここで仮説を立てて自問自答することで答えが見えてくるのです。
他の活動者を見ていて、声がかっこいい方が伸びているのであれば「この人はアイドル的人気で視聴者が多い。つまり異性がターゲットで異性に向けたトークをしている。異性に向けたトークをする上でまず異性の価値観を理解しないといけない。疑似恋愛を彷彿とさせるワードを多く使用している。同調するような発言が多く、女性にとって居心地がいい空間を作っている。そのうえで注意すべき点は優しい口調で注意することで一定の信頼を得ようとしている」……などです。ここには書ききれないし、これは僕の分析の一例なので。
そうやって分析した要素を踏まえた上で焦点を絞ってトークして経験を積むことで成功率は格段に上がっていきます。焦点を絞るということが非常に重要で、上記の分析に金儲けという要素が加わってしまうとせっかく分析して積み上げた牙城に不純物が紛れ込んでしまい、成功率を下げてしまうのです。まずはエゴを捨てて、目的に集中すること。

■ 喋るために「見る」

次にすべきことは「見る」ということです。
先程の項目では他の人間を見て分析をするという話を挟みましたが、今度は話す相手を「見る」という話です。

例えば私が営業する際に相手を見ているのは、目線と手の動きです。目線が何もないほうに泳いだり、指が遊び始めたら相手は退屈していると判断し、相手に質問を投げかけることが多かったです。質問を投げかけることによって会話に参加性を見出し、よりこちらの言葉を受け入れやすくするのです。

Youtubeなどリアルタイムではないコンテンツにおいてはコメント欄などリアクションを見て判断したほうが適正です。例えば「●●君、カッコいい!」といったコメントが多くあるのであれば、その需要に答えたりあえて答えなかったりの判断をするのです。そこは現在置かれている状況で判断すべきではあります。「●●さんの動画、わかりやすくて好きです」というコメントがあった場合は、より言葉の表現を簡単にして言葉数を減らすなどと言った工夫もコメント欄を見ないと出来ないことです。

トークをする上で重大なことは、配慮です。
聞いてくれている方が聞きやすいかということをまず考えなければいけません。見やすいものじゃないと見てくれませんし、聞きやすいものじゃないと人はまず聞いてくれません。表現も難解なものは極力避けるべきですし、ケースバイケースで相手への配慮を忘れてはいけないのです。体調やトイレの心配などもその一例です。時間帯によっては眠くないかの確認などもあります。常に相手は自分の言葉を聞いてくれているんだという感謝の気持ちを忘れてはならないのです。たとえそれがアンチテーゼであったとしても関係ありません。反発してくれるということは自分のトークに参加してくれるのですから、立派なトーク相手です。飲食店がマズいとレビューを書かれて「じゃあお前はもう客じゃねぇ」と言ったら、あぁこの店やばいなってなるのと同じです。

配慮をする上で必要となるのは「見る」こと。相手の状態や環境を想定して話すことが一番大切です。心理効果で返報性の原理というものがありまして、わかりやすく言うと「与えられたら返したくなる」という心理効果があります。優しくされたらこっちも優しくしたくなるし、バレンタインにチョコをもらったらホワイトデーに返しくたくなるといった現象です。
こちらがどんな相手にも礼儀をもって接すれば相手もこちらのトークに参加してくれるようになります。これは相手の真理を逆手にとった心理術ではなく、人間として当たり前のコミュニケーションです。

相手がどんなに非礼を働いてきても一度は受け入れトークを展開し、それでも相手が会話をする気がなかったらこちらも会話をしないという見極めをするうえでも見るということは大切です。孫子に「彼を知り己を知れば百戦殆からず」という言葉がありますが、似たようなものでまず目的を達するために、相手のことを知るのです。

■ 喋るために「知る」

「見る」と少し似ている要素になるのですが、次にあなたがするべきことは知ることです。これは言葉を知るのではなく表現を知るということです。
というのも、上記の「捨てる」「見る」だけを実践してしまうとただの聞き上手になってしまうだけの可能性があります。ただ他人の愚痴の捌け口になってしまう可能性があります。だからこそあなたは自らを表現する方法を知らなかればならないのです。

そのプロセスは様々で、僕の一例を言うのであれば映画と音楽です。僕は映画を見ていて気に入ったキャラクターがいたら、頭の中に閉じ込めることにしています(少し誤解を招きそうな表現ですが……)。
例えば映画を見ていて、凄く格好いいキャラクターがいたとしたらそのキャラをよく観察してまず判断基準を理解します。生産性を重視するキャラクターなのか、宗教観を重視するキャラクターなのか、娯楽性を重視するキャラクターなのか。その分析が終わったら、価値観と性格を理解します。概ね理解したら頭の中にそのキャラクターを置きます。すると頭の中でキャラクターが自動で喋るようになります。例えばアンパンマンというキャラクターを分析すると、彼の判断基準は純粋な正義感です。しかし不測の事態には判断力が低下し、不測の事態を招いて敗北を期することが多いです。その際は仲間に助けてもらって持ち直すというなんだかんだ結構助けているようで助けてもらっているキャラクターだと言えます。そんなアンパンマンが例えばコンビニ店員をやったとすると、最初は「働くってこんなに気持ちのいいものなんだね」と笑顔で働きますが、クレーマーの客にあたってしまって、すっかり落ち込んでしまい他のバイトに慰めてもらう構図が容易に思い浮かぶことでしょう。
しかしこれは映画やアニメのキャラだけではなく小説家やアーティストでも同じことが出来ると言えます。三島由紀夫がコンビニ店員をしたらタバコの配列にあるアメリカンスピリットを勝手に捨てて逆ギレなんてこともしかねません。

話が少し脱線しましたが、そうすることによって僕は頭の中に「こんなとき、●●ならどうする?」と考えることにしています。宮沢賢治、安部公房といった尊敬する作家を始めとして、アーティストのリアム・ギャラガー、デビッド・ボウイなど。様々な価値観を知ることこそ様々な表現方法を学ぶひとつの方法と言えるのです。
例えば友人からの遊びを断る言葉にしても様々な方法があります。「ごめん、その日は忙しい」と嘘をつく人もいれば「最近気分が乗らないから、また今度ね」と答える人もいます。僕は映画を見るときや他人と話すときはその人が切るカードを無意識に覚える習慣があります。それが「知る」ということです。
理想を言うのであればコミュニケーションが上手な人間がどう立ち回ってるのかを分析することが一番ですので、身近にいる人間を観察してもいいかもしれません。そういう身近な日常にも「知る」ためのヒントは隠れているものです。

■ 喋るために「受け入れる」

ここまでの項目でトークの基本的な軸の部分を説明しましたが、ここで紹介するものは少し毛色が変わってきます。というのも、得たトークスキルを維持する方法です。人間とは常に気まぐれな生き物で、多忙を極めれば余裕を失い悲しみに打ちひしがれたら多少理性を失ってしまうものです。
よって上手に会話する方法を得たところでそれが自分の一部になっていないといけません。付け焼き刃とならないためには「受け入れない」といけないのです。

では、なにを「受け入れる」のか? それの答えは明確で自分自身です。
技術で得た人当たりの良さと、そもそも自分の中にある性格は別物である場合は殆どです。人間は本能的に受け入れ難いものは防衛本能で排除し、楽する方向に行きます。だからそもそも技術を身に着けて会話をしてもそれは実際は面倒なことでありますので、本心とはまた別のものであるのです。

しかし、そのままではいけません。例えば人当たり良いトークを出来ていた人が急に悲しい出来事があって冷たくなったら、「あぁあの人の本性はあんな感じなんだ」と逆にイメージを下げてしまうパターンが多いからです。そのようなときでもマイナスプロモーションを最小限にするためには技術を本当の意味で身につける必要があります。
本当の意味で身につける、というと少し抽象的な表現になってしまいますが、自分の一部にするというのが正しいかもしれません。「知識」ではなく「知恵」にするのです。人間としての浅ましさなど、マイナスの部分はどのような聖人であっても絶対に存在します。その部分を受け入れて、得た技術とその自分の人間としての本質にどれほどの距離感をあるのかを知って、「受け入れる」ことが知恵へとつなげる一歩です。
これ、僕にとって一番難しいことですし、未だにできていると思っておりません。お恥ずかしながら僕は怠け者のくせにプライドが高く、自己の向上を妨げるきらいがあります。本能的に逃げ癖が染み込んでおり、そのサビは何度洗い落としてもなかなか落ちません。10年前に比べたらかなりマシになったほうだとは思いますが、それでも自分の中で納得のいく基準に達していると胸を張って言えません。だから偉そうにこのような文章を書くことも非常に恐縮ではあるのですが、この文章を読んでくださっているそこのあなたも同じ努力をされる仲間だと思えると僕も勇気が湧いてきます。お互いがんばりましょう。

■ 喋るために「学ぶ」

さぁ最後の項目です。ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。そしてお疲れ様でした。最後は「学ぶ」です。
実はこれ、もうここまで読んでくださった時点で出来ています。これは経験とはまた別に頭の中に情報や知識を蓄えて実践に挑むまでのプロセスのことを指しますので、ここまで僕の長文を読んでくださった時点で「学ぶ」姿勢は出来ております。
敷いて言うのであれば世の中には言語学やコミュニケーション、会話に関する書籍が大量に存在します。無料で読むことが出来る記事もネット上には多く存在し、これもそのひとつです。この記事を読んだことを始めの一歩目としてこれからもトークスキルというものを学ぶひとつのきっかけになってくださったら、これほど嬉しいことはありません。

■ 最後に

7000文字を超える結構な長文になってしまいましたが、如何だったでしょうか。本来なら数日に分けてじっくり時間をかけて書き上げるべき記事だったのですが、書き始めたら最後まで書けてしまいそうなので結局1時間半ぐらいで書き上げてしまいました。よってもしかしたら駄文乱文と思われる部分があるかもしれませんが、この記事がどなたかの何かのヒントになれば幸いです。

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