おもしろおかしく

私の父は、2015年、
94才で正月に亡くなった。
口癖は、
「毎日、おもしろおかしく」

父は、自分で計画し実行する
という習慣に無縁であった。
全てが人任せ。
例外が、定年後に決めた散歩くらいか。

面白おかしく生きたいと思っていても、
それをなしたようには見えない。
主体性がない人だった。

しかし主体性がないから、
決断や選択で後悔することもなかった。
親から命じられるままに進学や就職や結婚。
親が死んだあとは、面倒の全てを奥さん任せ。
ストレスのない人生だったと思う。

死ぬ前日も、気楽な感じだった。
自分が死ぬなど、思ったこともないように。

父が少し道を外したのは、
パチンコとお酒くらいか。
それも大事に至らず、少し
私の母を心配させた程度。

身だしなみの良い紳士として、
近所の評判は良かった。
外見を気にする人だった。

父は子育てに無関心。
何もかも母に一任。
当然、父親の権威をひけらかすこともない。

私が高校の頃、
天皇の戦争責任をめぐり、
夕食のとき、言い争ったことがある。
父の意見はおざなり。

それ以後、
父と争うことはなかった。

父は変わりようがない。
期待する方が愚か。
私は受け入れた。

尊敬する人は親父・・と
言う人もいるが。
私には、若い頃から尊敬する人がいない。

吃音や何やらで苦しんでいた青春。
吃音を克服した先輩でもいたら、
尊敬していたかもしれないが。

吃音は、
独りで立ち向かうしかない、
私に突き付けられた宿題だった。

それからの人生、
尊敬する人はいない。

いろいろな人が、
それぞれの状況で、
おのれの限界の中で、
多方面と折り合いをつけて、
何とか乗り切ろうとあくせくしている。
とても英雄的行為だ。

私はそれを尊敬する。


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