持田 泰『變電社:第0 世代の「第一の青春」私論 序説』クロスレビュー

S評出品作:持田泰
變電社:第0世代の「第一の青春」私論 序説 上
變電社:第0世代の「第一の青春」私論 序説 下

評価 椋:良 高橋:× 東郷:× 高瀬:○ 波野:× 

椋 康雄 評価=良

この作品も「はやい」と感じました。「これ読んでる人はこれくらいは分かっているよね?」とばかりにいきなり走り出す筆致。ついてこれない読み手は置いていく勢い。今回自分が書いたところと対象に重なりがあり、そういう近さがあるんですが自分はもっとゆっくり文章を届けたいところがあって、そこに差を感じました。


高橋 文樹 評価=×

「これは名作にもなれたであろう小林秀雄賞も取れたろう、学校の教科書にもなれたろう、しかしこれは駄作以外のものにはなれなかった。これは驚くべき事実である。」と、私なら書くだろう。ラベリングという行為自体はたやすいことであるが、そのラベルが論理的生合成を伴っているだけでは価値がない。そのラベルに価値があるとしたら、ある符牒が他の符牒に一致しているというだけでなく、なにがしかの新しい「しるし」として見えなければならない。「第0世代」にはそれがなかった。そして、長い。


東郷 正永 評価= ×

大変面白いし、「メモメモメモ」と記憶したくなるような部分もあり、一読してすごいなあと思いました。ただ、問題となるのは第0世代をなぜ筆者が追っているのか?ですね。「僕はそのちょうど中間領域にあたる部分を「爆心地= 0 世代」として捉えている」というのはいいし、ベビーブームであるなどの話はあるにせよ、「第0世代」という認識がなければ抜け落ちるものがある…というようなことが感じられませんでした。おそらく筆者はそこを重々承知のため、「世代」にまつわる引用が大変多いのだと思いますが、かえってそれが読みにくさになってるような気がします。


高瀬 拓史 評価=〇

文句なしの最高点。勘違いサービスたっぷりのボリューム感、この分量ならば冒頭にサマリーや全体構成を述べるべきであろうがすっとばしてまわりくどく語る手法も好感が持てる。想定読者に要求される知識と関心のハードルおよび学習コストの高さも素晴らしい。善意しか感じられない。


波野 發作 評価=×

とにかく長く見える。上・下に別れているのもそれを助長している。だが、無駄な「  」の乱用をやめて、引用と図版をやめれば、それほど長い話ではないことに気づく。これは「1があるなら、その前のゼロもあるのではないか」という仮説である。そのために世代という概念の定義付けをじっくり行い、1と仮想ゼロが対比する図をクドいほどにじっくりと示していく。二次大戦という仕切りの後に生まれた概念を、その前の未定義の部分に適用した場合に、何が見えてくるのかという面白い試みなのだが、情報が大盛り過ぎて伝わらない。カレーライスなのにフルーツやらサラダやらが周辺に山盛りになっていて、一向にカレーが見えないようなそんな論文であることが、半日がかりでわかった。書く方の労力は計り知れないが、読む方の労力も相当である。4ページのノートの復讐心を含めて、×とさせていただいた。この評価には、引用・図版部分は含まない

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