ビジュアルノベル入門(2011.12ヴァージョン)

※以下の文章は僕が責任編集の一人を務めたサークル「BLACK PAST」発行のミニコミ誌『ビジュアルノベルの星霜圏』所収の文章を転載したものです。3年以上前に書いたものですが、まだ利用価値がありそうだったのでここに載せます。タイトル通り入門的に使ってもらえれば幸いです。むしろ古く感じる部分を色々な人に更新していってもらえればいいなと思ってます。



 本稿では、『ビジュアルノベルの星霜圏』を読む上で、共有しておくことで利便性を得られるだろう事柄について記述していく。ビジュアルノベルについてほとんど予備知識のない読者にも伝わるような書き方を心がけてはいるが、やはり実際に作品をプレイしなければ伝わりにくい空気もあるはずなので、興味を持たれた読者には本誌のレビューコーナーを参照しつつ(レビュー作品については、予備知識がなくともプレイしやすい名作ということを基準に選んでいる)、いくつかの作品をプレイしてもらえれば幸いである。

 ビジュアルノベルに分類される作品数は膨大であり、かつ言葉の明確な定義も定まっていないため、どうしても主観的な記述が混じってしまうことになるが、それでもビジュアルノベルの過去と現在を知るためのツールとして役立ててもらえればと思う。

【1】ビジュアルノベルという言葉について

 本誌では、ギャルゲー、美少女ゲーム、サウンドノベル、ノベルゲームといった呼び名の総称としてビジュアルノベルという語を用いている。そこにおける最小限の定義としては、「文章とサウンドとグラフィックが合わさったゲーム」という言い方をしておきたい。ここでゲームという語が使われることは、ビジュアルノベルを音と絵のついた紙芝居というイメージから解放するために極めて重要である。ビジュアルノベルにおける最も分かりやすいゲーム性は物語内における選択肢の存在にある。複数の選択肢からひとつを選ぶ行為がその後のゲーム展開に影響を与える。

 ビジュアルノベルの起源を辿ることは容易な作業ではないが、ここでは現在のビジュアルノベルの形成に大きく影響を与えた作品として、『弟切草』と『ときめきメモリアル』の二作品を取り上げておきたい。

まず『弟切草』は1992年にチュンソフトより発売されたアドベンチャーゲームであり、現在まで続く選択肢方式のノベルゲームの端緒となった作品である。それまでのアドベンチャーゲームにおいては、あらかじめ用意されたコマンドを適切に選択することでゲームを進めていくという方式が主流だった。しかし、チュンソフトが『弟切草』、『かまいたちの夜』などのサウンドノベルと呼ばれた作品において選択肢方式を採用したことで、ストーリー分岐という概念が確立し、その後のビジュアルノベルの基礎設計となった。1996年にLeafより発売された『雫』では、『弟切草』のフォーマットで18禁ゲームを作ることがコンセプトとされていた。

次に『ときめきメモリアル』だが、こちらは1994年にコナミから発売された恋愛シミュレーションゲームである。本作における目的は意中のヒロインから最終的に告白されることであり、そのために主人公のパラメータ(知力や体力など)を挙げ、デートを重ねることが必要とされた。この時点では、ヒロインは『ドラゴンクエスト』などのRPGにおける魔王のような存在と変わらない。私たちは経験値を得てレベル上げを繰り返すことでラスボスを攻略する。『ときメモ』はRPG的な能力上げのコンセプトを恋愛に応用した作品に他ならない。

 『弟切草』から始まるサウンドノベルの流れと『ときメモ』に端を発する恋愛シミュレーションの流れ。この二つを汲むようにして登場し、その後のビジュアルノベルの方向性を決定づけたのがLeafによる『To Heart』である。『To Heart』は選択肢方式の恋愛ゲームとしてmビジュアルノベルにおけるパラダイムシフトを起こした一作と言える。本作では主人公の藤田浩之が学園生活を送る中で神岸あかりやマルチといったヒロインたちを攻略していくことになるが、重要なのは、そこで攻略ヒロインが単なるセックスシーンのための素材から解放されているという点である。恋愛ノベルゲームということだけならば1992年にelfが出した『同級生』などの作品を想起できるものの、そのフォーマットはナンパゲームであり、ゲーム目的はヒロインとのセックスに集約されていた。ところが『To Heart』においてはヒロインたちとのコミュニケーションもまた重要な目的となっていた。『ときメモ』の場合、ヒロインとのデートは「相手から告白される」という目的を達成するための手段にすぎなかったが、本作においては手段の目的化が起きたのである。

 以降、ビジュアルノベルは『To Heart』を原型として発達していったと考えてもらって間違いない。「キャラクター(=単なる攻略対象ではないひとつの個性)としてのヒロイン」、「主人公に対するユーザーの感情移入」、「物語性の重視」、「ヒロインとの日常的コミュニケーションの重要性の高まり」といった要素を備えていったものがビジュアルノベルである。サウンドノベルを産み出したチュンソフトが退行していったこともあり、十八禁であるかどうかを問わず、「主人公とヒロインとの距離をいかに調整するか」というテーマが通底するものとなった。したがってビジュアルノベルの歴史はそのまま美少女ゲーム、ギャルゲー、エロゲーの流れとパラレルである。

【2】システム面での流れ

 ビジュアルノベルは物語としての水準とは別個に、男性からのヒロインに対する性的欲求を抱え込んだジャンルとして成立した。しかし、ビジュアルノベルが確実にひとつの時代を作り、今も魅力的なコンテンツとして成立しているのは、そうした欲望に対して物語外での決着、すなわちシステムの問題と性的欲望とを連動させた点にある。

 システムに着目することによって、ビジュアルノベルは三つの時代に分けることができる。①マルチエンディングの時代②ループものの時代③物語内脱構築の時代の三つである。ただしこれらの時代は完全に分割できるものというわけではなく、あくまで①から③に向けて重なり合いながら主流が変化してきたというイメージで捉えてもらえればと思う。

まずマルチエンディングとはどういうものかを確認しておこう。私たちは物語を進め、ゲームの中で複数のヒロインと出会い、何度も選択肢を選ぶことによって特定のヒロインのエンディングへと辿りつく。そこではヒロインの数だけゲームの到達地点が存在することになる。これはユーザーの性的欲望を物語外で解決しようとしたシステムだと言える。私たちはいわばポリガミー(=一夫多妻制)の形式をとって、フィクションの中で複数の女性を欲望する。そこに選択肢を投入することで複数の可能世界を産み出し、「全てが本当の結末であると同時に全てが偽物の結末である」という未観測の状態を宙づりのものとして成立させる。これがマルチエンディングであり、ビジュアルノベルの最も基本的なフォーマットである。

しかし、「Kanon問題」という言葉が後に生まれたことからも分かるように、マルチエンディングというフォーマットは倫理的な問題を抱えていた。『Kanon』は1999年にkeyより発売された作品である。主人公の相沢祐一は七年前に住んでいた土地に戻り、そこでかつて同じ時間を過ごした少女と再会する。エンディングの存在するヒロインは五人なのだが、その内のひとりである月宮あゆルートをプレイすると、実は他のヒロインを選択した場合、常にあゆは死亡しているということが推測されてしまう。主人公≒プレイヤーがヒロインと幸せになるエンドが、月宮あゆの死という代償を必要としているということが明らかになってしまうのだ。これこそが「Kanon問題」であり、マルチエンディングが抱える構造的な問題である。この形式が可能世界的であるが故に、常に幸福になれないヒロインの存在を予期させるものだということにプレイヤーが気づき始めてしまうのである。

現在に至るまでマルチエンディングはビジュアルノベルにおいてメジャーなフォーマットだが、「Kanon問題」を経ることで、全てのヒロインを幸福にしたいとする欲望が生じてくるのは自然な流れである。そして、紙媒体ではなくデジタルのゲームであるという利点を活かした上でこの問題を解決するのがループというシステムだった。

ループものという形式は何もビジュアルノベルに端を発するものではない。筒井康隆『時をかける少女』やロバート・ゼメキス監督『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のようなタイムトラベルもの、あるいは『うる星やつら2ビューティフル・ドリーマー』に代表される「終わりなき日常」の象徴としての作品など、先行するものは多数存在する。ビジュアルノベルにおいても90年代の時点で『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』、『Prismaticallization』など、ループ構造がゲームのキー要素になっているものも存在する。しかし、2000年以降のビジュアルノベルにおけるループはSF的ガジェットであると同時に「Kanon問題」を解決する手段でもあった。そのため、世界がループしてしまう現象自体は「過去をやり直せる」といったポジティヴなものにはなりにくく、脱出するべきディストピアとして描かれるケースが多かった。

2002年の『Ever17』、『腐り姫』、『ひぐらしのなく頃に』(完結は2006年)、2003年の『CROSS†CHANNEL』、2005年の『Fate/hollow ataraxia』2006年の『マブラヴオルタネイティヴ』など現在でも名作の誉れが高い作品の多くがループものであったことを考えると、2002年以降をビジュアルノベルにおけるループものの時代として設定することができよう。

ここまで述べてきたマルチエンディングとループものという形式は常に並行して存在してきたし、いずれも現在まで続くフォーマットである。とりわけループものに関しては、2009年における『Steins;Gate』(2011年にはアニメ化)、さらに社会現象となったアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』の大ヒットが記憶に新しい。しかし、マルチエンディングと同様、多くのループものもまた構造的な問題を抱えている。それはループの果てに救われるヒロインと、当初のヒロインとの存在論的位相のズレに起因する問題である。ループを意図的に発動できる主人公が、何らかの理由で不幸になったヒロインAを救うために奮闘するとしよう。主人公は時間を巻き戻し、自らがとった選択肢を変えることでAの運命を捻じ曲げようとする。二回、三回、四回……幾度ものループの果てに彼はヒロインの救済に成功する。しかし、その時のヒロインは果たして当初のヒロインと同じ人物だと言えるだろうか。反復の実行はヒロインAの死を打ち消すわけではなく、ヒロインA`、ヒロインA``、ヒロインA```……といった形で救われないヒロインを次々と生み出す結果になる。つまるところ、多くのループものにおける救済とは、ヒロインAと同じ名前を冠した全くの別人を救い出すことに他ならない。それは同一のキャラクターとして虚構内で処理されるが、いざ実存的なレベルでその結末を幸福なものとして受け取れるかは個々のユーザーの倫理観に拠ってしまうところが大きい。

さらに、2008年に発売された『スマガ』は「人生リベンジ!」というキャッチコピーのもとに展開されるメタ・ループゲームであり、そこで主人公がループ構造に対して開き直りを見せることによって、構造そのものが相対化されることとなった。さらに、先述した『魔法少女まどか☆マギカ』はニトロプラスのシナリオライターである虚淵玄が脚本を担当しており、ビジュアルノベルの流れをアニメに移植した部分が大きい。そこではループ構造によって生み出された無数の不幸なヒロインの存在を、主人公であるまどかが全ての因果を束ねることで救済するという形で、ループそのものを無効化するという手法が選択された。したがって、良質な物語が生まれるか否かとは別の水準において、現時点でループ構造がシステムとしての革新性を失ってしまったと表現することは可能である。

ではビジュアルノベルは現在どのような状況にあり、いかなる方向へ向かっているのか。それを次節では見ていこう。

【3】ビジュアルノベルの現在

 端的に述べれば、現在のビジュアルノベルは「物語内脱構築の時代」として表現できる。しかし、そのことはシステムの革新性が捨てられ、ベタな物語回帰が生じたことを意味するわけではない。マルチエンディングやループといったシステムはすでにガジェット以上の意味を持たなくなり、ビジュアルノベルにおいて内面化されたと言える。それを踏まえた上で、現在のビジュアルノベルは物語内部でビジュアルノベルの原型に対する脱構築(=根本的なイメージを刷新してしまうような動き)を行っていると考えるべきである。現在のビジュアルノベルの原型が『To Heart』にあることはすでに述べた。そしてビジュアルノベルの歴史とは、少なくともこの15年に限って言えば、「『To Heart』との差異化を巡る歴史」として捉えられる。雑な見方になることを承知で言えば、『君が望む永遠』は「リアリズム化した『To Heart』」であり、『CLANNAD』は「『To Heart』アフターとしての結婚生活」であり、『Fate/stay night』は「ファンタジーとバトルロワイアルを混入した『To Heart』」である。そうであればこそ、近年のビジュアルノベルが脱構築する対象は『To Heart』であり、そこに存在する「ヘテロセクシュアルな恋愛の理想形」である。

 言い換えればそれは①ビジュアルノベルにおける恋愛の重要性の低下であり、②同時にマチズモ(=男性優位主義)の後退だ。具体的な作品をいくつか概観しよう。

まず、前者に関しては2007年の『キラ☆キラ』と『リトルバスターズ!』を考えると分かりやすい。『キラ☆キラ』において主人公の前島鹿之助はメインヒロインである椎野きらりと共にバンド活動を始め、その過程で恋仲となる。ところが、交際過程が描かれるのかと思われた矢先、きらりは実父が家に火を放ったことによって焼死してしまう。そして物語は、その後の鹿之助がどのような人生を歩んだかを描く方向にシフトしていく。ここで殺されたのが、椎野きらりであると同時に『To Heart』の築いてきた理想の恋愛であることは疑いようもない。『キラ☆キラ』は、「恋愛を喪失した後でビジュアルノベルの主人公がいかに成立するのか」を描いた作品なのである。また、『リトルバスターズ!』では主人公の直枝理樹とメインヒロインである棗鈴との恋愛が描かれる一方、その先に続くものとして存在する棗恭介を中心とした男性キャラクターとのストーリーが最も重要なシーンとなっている。かつて主人公以外の男性キャラクターを極力描かなかったビジュアルノベルにおいて、同性のキャラクターの存在感が増していることは特筆すべきだろう。

次にマチズモの後退に関してだが、これは女性キャラクターの性質変化と、男性側のジェンダートラブルを思考するのがよい。前者に関してはタカヒロがシナリオライターを務めた2009年の『真剣で私に恋しなさい!』が分かりやすい例となるだろう。これは『つよきす』のアップデート版とも言える作品である。ヒロインは全員戦闘美少女として優秀な存在であり、男性キャラクターも含めた緩やかなコミュニティ(『涼宮ハルヒの憂鬱』におけるSOS団のようなイメージ)を形成しながらも、そこにおける主体は女性陣へと移されている。また、男性側のジェンダートラブルとは、具体的には「男の娘」を主人公とした作品の増加を指す。2005年の『処女はお姉さまに恋してる』、2008年の『るいは智を呼ぶ』、2011年の『天使の羽根を踏まないでっ』では主人公が女装した男性となっており、作品における男性性を弱める効果を持っていた。これらの作品はかつてならばキワモノ扱いされるに留まっていただろうが、実際には「エロゲー批評空間」で高得点を記録し、2ちゃんねるにおける年度別エロゲーランキングでも上位に食い込んでいる。

無論、いずれの場合もヒロインとのセックスシーンは存在し、彼女たちが攻略対象であることには変わりない。しかし、一時期のkey作品(『Kanon』や『AIR』)のように、トラウマを負った少女の傷を癒すような構造が後退していることも確かである。性差は存在しているものの、恋愛要素とマチズモが減少した結果、「少女の救済」という発想が後退していると言うことはできるだろう。

しかし、現在のビジュアルノベルの状況を語るには、作品内容を見るだけでは不十分である。ビジュアルノベルの全盛期は二〇〇〇年代前半にあった。業界全体のゲームの売り上げ本数は現在の二倍近く、ジャンルとしての単独性も保たれていた時代である。しかし、現在では明らかにポップカルチャーの主役は、ライトノベルブームを通過した後、アニメへと移行しており、そこでビジュアルノベル作品も積極的にメディアミックスが行われている以上、ジャンルの内部だけで話を完結させることは、視野狭窄を招く事態になりかねない。多くのシナリオライターがライトノベル界でも活躍しており、プロデューサーもメディアミックスを前提としたコンテンツ作りを前提とするケースが少なくない以上、私たちはアニメやマンガとの連関も考えつつ、ビジュアルノベルを捉える必要がある。

これを前提としたうえで、現在のビジュアルノベルにおいて決定的に重要な二つの変化として、①ユーザーと主人公の同一化の解体と、②全年齢版の隆盛とコンシューマーゲーム機への移植という問題を扱いたい。

まず、ユーザーと主人公の同一化について説明しておこう。十年ほど前のビジュアルノベルをいくつかプレイしてもらえば分かることだが、かつては主人公の顔を作中で描写しないことがほぼ暗黙の了解となっていた。それは、主人公の図像を特定させないことで、ユーザーの主人公に対する感情移入を効率化し、ゲーム内容を追体験できるようなシステムが目指されていたからである。ところが、近年では逆に、大半の作品で主人公の顔は精緻に描かれ、一人のキャラクターとしての図像を獲得している。これはどういうことなのか。

ここで補助線として、ライトノベルやアニメにおいて近年用いられることの多い、空気系というジャンルを参照しよう。空気系とは、作品世界を女性か男性のいずれかのみで構成し異性を排除することによって、同性の友情関係のみで成立する日常空間を描くものを指す。そこでは楽しい日常の維持が最優先課題となるため、ドラマティックな展開は求められない。その代表作としては、アニメ『らき☆すた』や『けいおん』といった女性だけの百合的な空間を描いたものが挙げられるが、この時視聴者(特に男性)は作品内に感情移入できる対象を見つけ同一化することがなくとも、外側から鑑賞しているだけで快楽を得られるようになっている。

したがって、現在ではユーザーと主人公の同一化が解体したところで別種の物語が機能し始めていると考えるべきである。そうした環境整備と並行して、ビジュアルノベルでも顔のあるキャラクターとしての主人公が受け入れられるようになったと言えるだろう。たとえばアニメ化もされ大ヒットしたビジュアルノベル『Steins;Gate』の主人公、岡部倫太郎は図像が明確であるばかりか、破天荒な言動や行動を繰り返すアクの強いキャラクターだ。いささか未来予測的なことを言えば、ビジュアルノベルは今後ユーザー自身が主人公になりきってヒロインを攻略するものではなく、魅力的なキャラクターが活躍する様を外側から眺め楽しむメディアとしての色合いを強めるというのが筆者の見解である。先述した「男の娘」が主人公の作品が増加しているという話も、ユーザーが自分に重ねられるたくましい男性を必ずしも求めてはいないということの証左になるだろう。

次に、全年齢版の隆盛とコンシューマーゲーム機への移植についてだが、これが意味する最も重要な要素はビジュアルノベルの役割分担が進んだということである。一言でビジュアルノベルといっても内容は様々であり、セックスシーンに特化した「抜きゲー」と呼ばれるジャンルも存在する。かつては、そうした「抜きゲー」と物語重視のゲームとの境界は曖昧だったが、現在ではシンプルにゲーム性や物語性を追求する作品と、性的願望を充足させるための作品とはイメージのレベルでもマーケティングのレベルでも分化している。たとえば先述した『Steins;Gate』やKeyの『Rewrite』、さらには近日発売が予定されているTYPE-MOON『魔法使いの夜』などは全て非十八禁の作品である。すでに実績のあるブランドはアニメやマンガへのメディアミックスを視野に入れつつ、セックス描写から距離をとっている。

そして全年齢対象作品であれば、プラットフォームを拡大させるという発想が出てくるのもごく自然なことだ。志倉千代丸が代表を務める5pb.では『マブラヴ』や『EVER17』、『車輪の国、向日葵の少女』という他社のヒット作をXbox 360やプレイステーション3で販売しており、またポータブルゲーム機においても数多くの名作が移植されている。つまりは、ビジュアルノベルがすでにPCの前でマウスをひたすらにクリックするだけのものではなくなりつつあるということなのだ。

筆者はこうした状況の全てを喜んではいない。「ビジュアルノベル」がある種「健全化」することによって失われてしまったものも確かにある。九〇年代後半から二〇〇〇年代頭にかけてのビジュアルノベルには、セックスシーンも含め、カルト宗教、殺人事件、社会不適合者、いじめなど、「不健全」な要素が存在した。そうした「不気味なもの」が消えることで、ジャンルの幅が狭くなる側面もあるだろう。

しかし、状況はすでに過去を懐かしみ、失われたものの回復を祈る段階にはない。インターネット普及率の高まりと共に、オタク文化そのものがカジュアル化していることは多くの人が実感していることだろう。私たちは当たり前のようにニコニコ動画を視聴し、SNSでアニメの話題を交わし、カラオケでVOCALOIDの曲を歌う。こうした中で「不気味なもの」を望んでも、それはニッチな趣味にならざるを得ない。そうではなく、情報環境が変化し、ユーザーの欲望も変わった中でいかなる可能性をビジュアルノベルに見出せるのかを考えなければ意味がない。

逆に、全年齢化が進むことで広範なユーザー層に届き、プラットフォームそのものを変化させることができる環境だからこそ可能になる物語性、ゲーム性もまた存在するはずだ。

そして、本誌はまさにそうしたビジュアルノベルの未来を考えるためにこそ作られている。収録されているインタビュー、論考、創作、座談会、レビューを読むことで、読者にこれまで語られることのなかった可能性が伝わることを信じたいと思う。

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坂上秋成

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