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「ちいかわ」から学ぶ「かわいい」の秘密

ナガノさんが手掛ける「なんか小さくてかわいいやつ」(ちいかわ)、すごく人気ですよね。名前のとおり小さくてかわいいキャラクターが出てくるのですが、それだけではありません。

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▲ちいかわ、LINEスタンプも出ています。

最近話題になったものだと「マジメに資格勉強していたちいかわが試験に落ち、落書きをしていたハチワレが合格しちゃってめちゃくちゃ気まずくなる」なんて展開がありました。純粋にちいかわの能力が足りなくて落ちたという事実、あまりにも残酷で泣ける。しかもそれで友達のハチワレのほうが落ち込むという展開、いじめ方を心得ている。

以前、「自分ツッコミくま」や「もぐらコロッケ」のマンガは“唐突な暴力”があるからおもしろいという記事を書きました。ただかわいいキャラクターが存在するだけでなく、それらが危機に陥るからよりかわいくなるわけです。ちいかわも基本的な理屈は同じですが、さらなる搦手を使ってきてより盛り上がっているのです。ところで、「かわいい」ってなんでしょう?

「かわいい」は定義が曖昧な言葉で、いろいろなことが考えられます。ざっくりと挙げていっても

・丸い
・赤みがかっている
・小さい
・か弱い
・無邪気である
・あどけない
・好き
・若い
・特に意味はない

など、いろいろ当てはめられるでしょう。僕も日常生活で自分の子供に対して「かわいいなー」と思うのですが、何がどうしてその言葉が出てくるのかよくわかっていませんでした。

しかしナガノさんの作品を見ていると、自分が子供に対してかわいいという言葉を使いたくなる理由がなんとなくわかってきたのです。

◆「庇護欲が発生する≒かわいい」ではないか

僕は自分の子供が産まれてもすぐにはかわいいと思えませんでした。いや、別に嫌いだというわけではないですよ。ただ、「育てなければ」という義務感や不安が先に出てくるのです。

そして数ヶ月が経過してようやくかわいいと思えるようになってきたわけですが、そのきっかけが「自分の子供が、万が一誘拐されでもしたらとてつもなく恐ろしい」と考えてしまったことからでした。

うちの子供はまだ赤子なので、何かがあっても抵抗などできません。実にか弱い。その可能性を考えるだけで悲しくなってしまい、ゆえにもっと大事にしなければならないと思うし、そんなことがそもそも起こらないように気をつけたり、あるいは何か問題があっても助けてあげねばなりません。そう考えるとより愛おしくなり、「かわいい」と思えたのです。つまり、僕にとってのかわいさとは庇護欲の一種なのでしょう。

ちいかわ、ハチワレ、うさぎたちも別にそのままのキャラクターでも十分にかわいいと言われるでしょう。しかし、ちいかわたちには試練が襲いかかる。だからこそ彼らの小ささ、か弱さが強調される。そして読者の庇護欲が刺激されるのです。

子供のか弱さを想像すればするほど、子供を大事にしなければならないと思うようになる。そうやって、対象の弱さを知れば知るほど、相手がかわいく見えてくるのです。ちいかわのマンガだって、なんか小さくてかわいいキャラクターたちがいつもつらい目に遭うのですから。

最近のちいかわは仕事をしたり草むしり検定を受けたりしていますが、最初期は本当に赤ちゃんか子供のような存在でした。やはりちいかわのかわいらしさと赤子のかわいらしさには近いものがあるのでしょう。


ちいかわのマンガに対して「どうしてこんなかわいそうなことを」とリプライする人がいます。それは逆で、むしろか弱さや不憫さがあるからこそ、ちいかわたちはかわいい。もちろん見た目もかわいいのですが、不憫さがあるからよりキュートに見える。同じく、赤子は手間がかかるし守ってあげなければいけないからこそよりかわいいのでしょう。

「不憫」、「か弱い」なんて言葉だとネガティブに見えますが、言い換えれば「かわいい」なのかもしれません。いやでも、不憫でか弱いおっさんは別にかわいくないと言われるでしょうし、「小さい」とか「丸い」とか「そもそも好意を持っている」というのも重要で、か弱さがより複合的であればあるほど「かわいい」に当てはまりやすくなるのかも。


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