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571有事と社会保険 ウクライナではどうなっているか

 ドキッとする思考実験をしよう。設題は「ウクライナで起きているような事態がわが国で発生したら」である。
「わが国が侵略されることはあり得ない。なぜなら日本には平和憲法があるから」という空想の世界に生きてきた人も、今回のウクライナが受けている侵略と、ロシア軍による組織的な破壊工作で、一瞬にして夢から覚めたことだろう。ウクライナの高官は異口同音に「非核三原則と軽武装路線がロシアに攻め込む口実を与えた」と述べている。
 さてウクライナで日々起きている惨劇は生々しく伝えられている。伝えられないのは、人々の生活を護る社会保障制度がどう機能しているのかだ。
 
 わが国がウクライナのような侵略を受けたとする。その場合、わが国の社会保障制度はどうなるのか。例えばわが国は国民皆保険体制にある。健康保険証と引き換えで傷病の治療を受けることができる。だれもそのことを疑っていない。
 しかしである。主な病院はミサイル攻撃で破壊されて機能を喪失し、爆撃で負傷した市民が診療所の前に列を作る。お医者さんは専門職の倫理意識に目覚めて不眠不休で治療するが、医療資材はすぐに使い切ってしまう。この場合、自慢の皆保険はどのように機能するのだろうか。機能させ続けることができるのだろうか。保険者や厚生労働省はどういう手立てを用意しているのだろうか。

 社会保障制度に精通していると自賛する人に聞いてみた。答えは「医療保険は平時の仕組み。非常時の対応は、厚労省以外のどこかの省庁が、特別法なりを作って対応するのでしょう」というものだった。そんなことでいいのだろうか。
 ランニング中の骨折治療が保険対象ならば、空襲で避難行動中の骨折も保険対象であるべきだ。その識者は「戦時負傷なのだから政府が費用負担するべし」との意見だったが、防衛戦争で手一杯の政府にそのための資金があるはずがなかろう。そこで現在進行形のウクライナではどうなっているのか、厚生労働省の調査がされているのであれば、ぜひとも知りたいものである。上述の識者のように「社会保障は平時を想定したものであり、非常時には機能しません」で済ませられては、保険料を納付してきた国民はたまらない。

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 憲法を開いてみた。13条にはこうある。「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
 二つのことを言っているように思える。生命に関する権利には医療の保障は密接に関係する。その生命に関する権利も「公共の福祉」の制約を受ける。国家が侵略を受け、その反撃に全国家資源を注がなければならないときは、平時とまったく同じ社会保障給付を受けることはできないであろう。これが第一点。
 しかしながらわが国は全体主義社会ではない。個人としての権利は国政上の最大尊重対象である。よって公共の福祉の観点からの社会保障の制約は、最小でなければならない。これが第二点。戦争が関わる傷病は皆保険の対象ではないという論理は出てこないと思える。ちなみに先の第二次世界大戦時には国民皆保険は成立していなかった。国内での先行事例はないのである。
 これは医療に関わらず、年金、介護その他の社会保障、社会保険にも共通する問題であると思える。

 外国軍の侵攻といった事態が起きないのであれば、こうした思考実験をする必要はない。だが今はどうか。力ずくで民主主義体制を押しつぶし、人権を主張する者は圧殺してしまえという独裁者が核兵器使用をちらつかせて恫喝し、防衛体制が弱い国があると見るや、侵攻侵略を開始するのである。ロシアでは有力政治家が「北海道はロシア領である」などと言いだしている。
 今後、わが国も西欧民主主義国と足並みをそろえて防衛体制の強化に方向転換することになろう。そのための経費をどこから捻出するかとなれば、社会保障関連経費を振り向けるしかあるまい。それで済めばまだよい。その努力にもかかわらず、ウクライナのように侵略を受けたとしよう。その場合において国民生活への支障を小さくするには、戦時下においても社会保障、社会保険制度が機能するよう、しっかり準備や予行演習をしておかなければならないはずだ。
 政府や専門家の社会保障に関する議論において、こうしたあるべき想定がどういう扱いになっているのか、はなはだ寒心に堪えない。

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