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481 総理演説を標準的国語力で評価すると…○○点?

岸田総理大臣の所信表明演説(2121.12.08)を国語的側面から評価してみた。
「何をしたいのかが伝わってこない」との世評が多いのがなぜか。そのことへの回答にもなると思う。
 演説の冒頭「一 はじめに」で、「われわれみんなで協力し、この国難を乗り越え、その先に、新しい時代を創り上げていこうではありませんか」と国民に呼びかけている。 「そうだ」と同調したい。その場合、“国難”についての共通認識が必要になる。先立つ4段落で探すと、それらしいのは「コロナを克服」だけ。岸田総理大臣にとっての“国難”とは、コロナがすべて。そういう認識だから、ここぞとばかりに赤字国債を発行し、給付金や補助金をばらまく決断ができるのだと得心した。
 つい先だってまでどの政治家も、少子高齢化という“国難”への対処を叫んでいた。この問題が解決したわけではあるまい。コロナで右往左往している期間中も、高齢者は増え、子どもは減っている。年金、高齢者医療、認知症介護、どれをとっても制度は行き詰っている。給付を再設定、重点化、大胆に縮減しなければ、それらの費用負担で国がつぶれることは明々白々。コロナでカネをバラまき、社会保障給付は膨れるままにしておく。どうしてそのようなことが可能なのか。だれもが考える財政の基本問題だが、それに触れる箇所は演説中に見当たらない。

“国難”と言えば、領土・領海への侵犯、さらには日本に向けての露骨な侵略意図を隠さない中国への対応を無視するわけにはいかない。コロナパンデミックと核ミサイル飛来とで、どちらが生命危機の度合いが高いか、比較するまでもないことだ。中国の膨張こそ“国難”であると捉える国民が大半だ。それには同盟国による共同対処が必要だろう。人権、民主主義という対抗手段で連帯できるのだから。
「八 外交・安全保障」の節で「岸田内閣が重視する自由、民主主義、人権、法の支配といった普遍的価値やルールに基づく国際秩序の維持・強化等について」の取組みが述べられるのだが、歴史的論理立てがないからピンとこないし、受け売り知識の付け足しのような印象になる。列記事項は現代民主社会の心髄であり、岸田内閣の専売特許のような言い方をすると西側社会の顰蹙(ひんしゅく)を買いかねない。
「中国には主張すべきは主張する」と声高に言う。10月8日、総選挙前の所信表明演説でもまったく同じ約束をしている。あれから2か月。その間、何を主張し、どのような成果を上げたのか。それを国民に紹介、説明すべきではないか。演説で明言したからには、同盟国と共同し、正面から対峙するという決意表明以外には論理的にも、状況的にもあり得ない。一方、同盟国との信頼維持では、防衛力の整備、そのためには経費GDP費をNATO並みに2%超に引き上げるのが焦眉の急であり、コロナにかこつけてのバラマキの余裕はないはずだ。
 
 注目したい部分がないではない。「われわれには、協働・絆を重んじる伝統や文化、三方よしの精神などを、古来より育んできた歴史があります」とする。多くの日本人の肚にストンと落ちる。「人への分配は「コストではなく、未来への投資」です」もこれに連なる認識だ。ならばそれをどのように実現していこうとするのか。まさかその方法がカネのバラマキではあるまい。協働や絆を弱体化させ、人を使い捨ての草鞋(わらじ)のようにしつつあるのは何か。根本原因は突き止め、仕組みを改める。
そのために自分が考える手法は、かくのとおりである。これを順次実施する。不平を持つ人もいようが、当座の痛みとして受けとめ、耐えてほしい。そうした厳しいことは、国民からの付託を得ている民主主義社会のリーダーにしかできない。そしてそれが民主主義に加え、協働、絆の伝統がある日本社会だから可能性があることなのだ。そういう演説を国民は聞きたいし、それを聞けば元気が出るのだ。


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