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667宗教法人の解散命令

所長:統一教会系の行状を踏まえ、宗教法人の解散命令を政府(文部科学省の文化庁宗務課)が裁判所に申請すべきだとの議論が高まっている。一方、憲法が保障する信教の自由との関連で慎重意見もある。
輝明:マスコミ報道を見てもどこが議論の焦点なのか混乱している感じだ。宗教家も信者もこの国の国民。悪いことをすれば罰せられるし、被害者に賠償しなければならない。国家による宗教弾圧許されないが、宗教団体を超法規の存在として公認するものではない。これが国民の声で宗教法人法の精神でもある。
香澄:「宗教とはなにか」。裁判所(津地鎮祭事件の控訴審判決、昭和46年)の説明では「宗教とは、超自然的、超人間的本質の存在を確信し、畏敬崇拝する心情と行為をいう」。なので、天動説とか、UFO支配説とか、進化論否定説を教義とするものでも、教祖と信者と布教行為さえあれば宗教活動。禁圧は憲法が許さない。
輝明:何を信じ、他人に吹き込もうが自由ということで、思想信条の自由の基本部分ともいえる。まさに自由民主主義社会の骨格部分だ。しかしその団体を国家が公認するかとなると話は別。布教活動としてでも、違法性を帯びた活動をする団体はダメ。
 宗教法人法では国家公認の宗教法人格を取得する際の行政庁の審査はほとんどない。信教の自由の観点からの制度設計だ。その反面、問題を起こしたところには裁判所が解散命令を出すことになっている。他の公益法人などが行政庁の厳格な事前審査を経て許可や認可を得て設立されるのとは違って、よくないものを事後審査で排除する。
 仕組みがそうであればそのとおりに実施するのが筋。宗教法人法81条によると、「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと」などに該当していれば、裁判所が「利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で、その解散を命ずることができる」。
香澄:そうなのよね。総理、国会、被害者など国民からなんとかしろと責められても、文科省が解散命令を出すのではない。裁判所に請求できるだけであり、申請が裁判所ではねられたら大恥をかく。宗務課長としては、法文どおり「被害者弁護団とか検察官とかが請求してはどうですか」と言いたい心境ではないか。
輝明:裁判所ではねられる怖れはたしかにあるよね。過去に2件だけあった解散命令では、該当法人が刑事犯罪に問われていた。不法行為で民事事件を起こしているだけでは裁判所が解散命令を出してくれないのではないかと心配にもなるだろう。
 だけど裁判所がどういう判断をするかは、請求してみなければ分からない。行政に解散請求させるべきかいなかを国会で議論しているのは意味不明だよ。
香澄:国会は国民の民意を汲んで立法をするところ。それが本来使命であり、おろそかにしてはならない。検察官や弁護団が各地の裁判所に解散請求をする。そして敗訴が続いたならば国会の出番になる。宗教法人法81条での解散命令の要件が厳し過ぎるのが敗訴の原因ならば、法文を修正すればよい。国会は唯一の立法機関(憲法41条)なのだから。
その改正後の条文が信教の自由を侵すとして裁判所で違憲判断が出されたら、そんな事態にはならないと思うけれど…、その時点でまた次の法改正を考えればよい。
輝明:立法作業と言えば、立憲や維新などの党派が「統一教会被害者救済法案」なるものを検討中とか。これって役に立つのかな。
香澄:選挙目当てのパフォーマンスでしょ。有害無益ね。宗教家が違法行為をすれば、それが宗教法人だろうが任意の結社だろうが、法の下の平等の原則に従って刑法、民法、その他もろもろの既存法令で対応すれば、それら政党の悪行を取り締まれるはず。「親が子どもの財産を勝手に教団に寄付する」など社会常識に照らして許されない。どこかに対応できる法令があるはず。探しもしないで新法を作って屋上屋を架す。司法の実務を複雑にするだけよ。
 どうしても立法作業をしたいなら、宗教活動がらみに限定せず、不当な財産侵奪やマインドコントロールへの社会的対応のありかたとして取り組むほうが建設的だ。
輝明:そもそも宗教になぜカネがからむのか。信教と憲法との関係では、これを論じるべきだ。後世に名を残すような立派な宗教家は昔から清貧を旨としてきた。托鉢は現物提供で所得税などはかかりようがない。布教の本拠となる教会、お社、寺院なども信者の資材持ち寄り、労力提供で建立すれば法人税のかかりようがない。
 宗教法人の固定資産税軽減程度なら、文化的価値ある旧家と同じで理解できなくもないが、法人税や所得税の非課税など必要性がないどころか、これが隠れ蓑になってよからぬことに使われている。少なくとも国民はそう疑っている。
お賽銭や念仏読経の礼金が所得税の対象になって困る僧侶などいるのだろうか。税務署に申告すれば「宗教家は経済的に大変ですなあ」と同情され、新たに信者になってくれるかもしれない。課税対象にしてほしいという宗教家の声が出ないのがおかしい。

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