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倫理の合意はできているのか 臓器移植の基本事項について 翼賛的新聞論説に思う

 下に掲げたのは某新聞の論説。死に行く人にとってはもはや体や臓器は必要ない。火葬場で焼いて焼骨と灰になるのだから、その一部でも必要とする人に使ってもらうことが有効活用である。
 実も蓋もない言い方が、それが臓器移植。技術的にはだいたい確立している。だが、臓器の取り出し時期を一歩進めれば、まだ生きているうちに取り出す事になる。どのみち生き返る可能性がないのであれば、その時期を1時間やそこら動かしても結果は変わらないという見方はあり得る。
 臓器移植を進めたい人たちはそう考えるだろう。そこで「死亡」の時点を”科学的根拠”に基づいて前倒しすれば、殺人の定義から逃れることができる。これがいわゆる「脳死判定」だ。
 医療行為をする側においても治癒の可能性がない者に、漫然と薬剤投入続けるなど無意味で保険財政の無駄であるから、脳死は便利は概念である。
 
 そこまでを前提に改めて考えてみよう。臓器を移植すれば回復の可能性がある患者には積極的に移植を進めるべきか。論説を書いた記者は明らかにこの立場になっている。そこで「人口100万人当たりのドナー(提供者)数は脳死と心停止を合わせ米国44・50人、韓国7・88人に対し日本は0・88人にとどまる」と、日本人の公共性の低さを嘆いてみせる。その根底には、死に行く人は臓器を提供すべきであるとの思い込みがある。
 それは政府も同じで、健康保険証、運転免許証、はてはマイナカードにまで臓器提供の意思表示をするよう求める記載欄が設けられている。にも拘らず提供者はほとんどいない。これは臓器移植についての国民合意、特に倫理的側面での納得が得られていないということではないのか
 臓器移植法制定時には特に熱心な議員がいて、その迫力に押されてまともな議論はされなかったということはなかったか。提供希望率が上がらないことが明らかになったのだから、立ち止まって国民的議論をすべきではないか。
 先に挙げた健康保険証・運転免許証・マイナカードへの臓器提供意思は国会議員ではどのようになっているのか。自分は提供の意思はないが、他人には提供してもらいたいから臓器移植法に賛成したなどということはないのか、少なくとも閣僚のみなさんはどうなのか。政権側の箸の上げ下ろしにも批判を重ねる野党のみなさん、ぜひとも質問してもらいたいものだ。同時に自身の提供意思も明確にすることだ。
 

脳死と臓器提供 移植希望かなえる体制へ

福井新聞論説 2024.3.15

 臓器移植法が1997年に施行されてから、臓器提供のための脳死判定が本年度、千例を超えた。約26年かけての数である。昨年7月には福井県内で7例目の提供があった。人のために役立ちたいとの善意は広まりつつあるが、移植の希望をかなえる体制づくりが急がれる。

 脳死は、生存に不可欠な呼吸や循環をつかさどる脳幹を含む脳全体の機能が失われた状態で、回復の可能性はなく、やがて心停止に至る。厳格な基準に沿って脳死と判定されれば、心臓、肺、肝臓、腎臓、膵臓(すいぞう)、小腸、眼球の7種類の臓器を提供できる。

 2010年施行の法改正で条件が緩和され、本人の意思が確認できなくても家族の同意で提供が可能になった。提供数はそれまで年間最大13件だが、近年は年約100件で推移している。

 だが、この数字でも提供不足だという。日本臓器移植ネットワークによると、人口100万人当たりのドナー(提供者)数は脳死と心停止を合わせ米国44・50人、韓国7・88人に対し日本は0・88人にとどまる。

 移植を希望する患者の待機期間は長期化している。移植を待つ人は全国に約1万6千人。平均的な待機期間は心臓で約3年5カ月、腎臓で約14年8カ月にも及ぶ。待機中に亡くなる人も多く、機会の少なさから海外で移植を受け、トラブルになるケースもある。

 厚生労働省の資料によると、都道府県別で昨年3月末までの累計提供数が多いのは東京106件、愛知77件。人口100万人当たりでは新潟が19・3件と最多で、福井は7・9件。秋田の1・1件が最少だった。

 提供数底上げが急務だ。臓器提供は誰かの説得や強要で決めるものではないため、早期解消は難しいだろう。ただ、提供の希望があっても医療機関側の体制不備により提供できないケースがあると指摘されている。大学病院など高度な医療を提供する医療機関は全国に895施設あるが、約半数は設備不足などにより脳死提供ができないという。まずは提供する意思を最大限かなえる体制整備が急がれる。

 臓器提供の鍵になり得るのは、医療者から家族らに脳死提供の道があると伝える「選択肢提示」だ。近年は臓器提供のきっかけの大半を占める。臓器提供に関わるコーディネーター、患者の家族と医療関係者をつなぐ「メディエーター」ら、専門家の育成が課題になろう。誰もが当事者になる可能性がある。日ごろから身近な人と話し合いを促す啓発も進めたい。

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