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まるで石を集めるように

先日、ある有名な歌人の方のTwitterを見ていたら、その方が、自分にとって歌を詠むということは、きれいな石を拾ってきれいに磨いて、ほら、これきれいでしょって見せるような感じだ、というようなことを言っていて、ああ、それってなんか分かるなあ、と思いました。

その感じ、別に短歌だけじゃなくて、表現するというのは基本的にそういうことですよね。きっと。

で、人によってどんな石が好きかって違ったりする。見る方も、見せる方も。

キラキラした宝石が好きな人が、やっぱり多いのでしょうね、世の中。そりゃそう。僕も、そういうのを見るとすごいなあと思うし、そんな石を見つけた人を羨ましいなと思うし、そこまで磨いた人を大したものだなあと思う。

でも、世の中にはきっと色んなタイプの人がいる。別に、石好きが皆、遠くの秘境まで行って誰も見たことがない宝石を見つけてこなきゃいけないわけじゃない。

ある人は、宝石なんて立派なものじゃなくても、もっと身近なところできれいな石を見つけるのがうまいかもしれない。あるいはまた、別の人は、ちっともきれいじゃないけれど、わけのわからない変な石を見つけるのがうまいのかもしれない。

あるいは、別のある人は、自分で石を見つけるよりも、誰かが見つけた石をきれいに磨くことが得意かもしれない。

石も色々だし、人も色々。

とりあえず僕も拾ってはみるのです。それで、見つけたときは「やった!」と思うのだけど、人に見せると、ああ、やっぱりみんなこんな石は誰も興味ないよな、なんてことも、思ったりする。そりゃそうだよな、これ、宝石なんかじゃないしな、なんて。

あと、人が拾った石と自分の石を見比べて、ちっとも輝いてないな、と思ったり。

でも、といって自分は果たして宝石が好きなのかも、よく分からないんですよね。ただの石も、結構好きだったりするから。

それに、そんな何の変哲もない石を「このただの石、なんかいいよね」と言って分かってくれるような人と出会えたら、なんかそれこそが本当の幸せじゃないかって、そんなことも思ったりする。

難しいですよね。僕自身、誰かが見つけた普通の石に立ち止まれるかといったら、やっぱり宝石ばかり見てたりもするんだろうし。

きっと、本当に石が好きな人は、その石を名前で選んだりしないし、たとえダイヤモンドと河原の石でも、同じただの石として見る人なんだろうな、と思います。

僕は、これから先、どんな石を見つけられるんだろう。もし僕にできることが、何の変哲もない石を見つけることなら、その何の変哲もない石を、ちゃんと好きだと思えますように。

また明日。

おやすみなさい。

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