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詩歌ビオトープ029:宮柊二

詩歌ビオトープ29人目は宮柊二です。

そもそも詩歌ビオトープとは?
詩歌ビオトープは、詩の世界を一つの生態系ととらえ、詩人や歌人、俳人を傾向別に分類して、誰と誰が近い、この人が好きならこの人も好きかもしれないね、みたいなのを見て楽しもう、という企画です。ちなみに、傾向の分類は僕の主観です。あしからず。

この人は1912年に新潟県で生まれました。北原白秋に師事して「多摩」の創刊に参加、戦時中は召集され、そのときの経験を詠んだ「山西省」は戦争詠の代表的な歌集といわれています。

戦後は「多摩」の後継誌として「コスモス」を創刊。「コスモス」は今も会員がたくさんいて、歌壇における重要な一派といえるのでしょうね。

門下生もたくさんいて、島田修二や高野公彦、河野裕子らもこの人のお弟子さんにあたるのですね。

さて、今回もいつもの通り小学館の昭和文学全集35に収められている歌を読んでいきます。

本書には「小紺珠」から40首、「山西省」から51首、「日本挽歌」から32首、「独石馬」から47首の合計170首が収められていました。

で、僕の分類ではxが17でyが10の「絵画的くつ自然主義的」な人になりました。

読んでる時は、青に行くかなぁと思ったのですが、結果はぎりぎり緑でしたね。やっぱり、社会に関心がある人はスローガン的な歌が多くなるな、という感じです。なのでこの人も戦争詠が多く抜かれていたのでこの位置になったのかな、と思います。

ただ、この人はやっぱり白秋門下だけあって写実の力がすごいな、と感じました。

たもえば、恐らく召集される前に詠んだ歌を集めたと思われる「小紺珠」にはこんな歌があって

瑠璃色の珠実(たまみ)をつけし木の枝の小現実を歌にせむかな

この歌なんかは、白秋っぽい感じがします。戦争がなければ、こういう歌がもっと多かったのかもしれませんね。

戦争詠でも

ころぶして銃抱へたるわが影の黄河の岸の一人の兵の影

うつそみの骨身を打ちて雨寒しこの世にし遇ふ最後の雨か

のような歌は、光景がばっと目に浮かぶ感じがします。

戦後の歌からは、敗戦という現実を見据えながら生きた人なのだと思いました。

あけがたの洋(わた)のほとりにわれは来てその轟(とどろ)きを聞かんとぞする

道に出て人仰ぎをり化物(ばけもの)のやうに澄みたる初冬(しよとう)の空を

というような歌は、もしかしたらこの人の心の奥にある虚しさ、孤独、やりきれなさのようなものが隠喩として描かれているのかもしれませんね。全然違うかもしれないけれど。

あと、この歌が好きです。

雨ののち吹く風ありて風のなか色くれなゐに顕ちてくる合歓(ねむ)

この人のこういう歌をもっと読みたいなあ。

30人目に続く。

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