現代◯◯が苦手
あんまり悪口に捉えられるようなことは書いてはいけないし書きたくもないなあと思いつつ、でも、僕はそんなにできた人間でもありませんから、やっぱりそういう風なことを書いてしまいます。
僕は、現代が苦手なんです。というか、現代と枕詞がついたもの、現代◯◯が苦手です。
なんか、色々ありますよね。敢えて例は挙げませんけど。たくさんあるので。
僕が最近短歌を始めたのは、まあ昔の人の短歌を読みまくってたら自分もやりたくなったからなんですけど、短歌ならやりたいなと思ったからなんですよね。
だって、短歌ってあんまり現代短歌とか言わないじゃないですか。言ってるのかもしれないけど。
言ってたとしても、その場合の現代短歌って、きっと言葉そのままの意味で「現代人が詠んだ短歌」でしょう。
でも、僕が苦手な現代◯◯は、そうじゃないんですよね。その場合の「現代」には「近代の否定」という意味が込められている。
「我々は現代という時代の最先端を生きる者である。故に現代人たる我々は近代に完成されたようなものに安住してはならぬ!未知の領域を開拓せねばならぬのだ!」
みたいな、なんかそういう意味が現代◯◯の「現代」には含まれている。
まあ、言い換えるなら「前衛」です。5、60年前「前衛」と呼んでいたことを、今の時代に「前衛」なんて言っても「前衛」でもなんでもない死語なものだから「現代」と呼んでいる。そういうの。
でもそれって結局、めっちゃ「近代」にこだわってるんですよね。アンチの人ほどアンチしてる対象にめっちゃ詳しいみたいなやつで。「学校は本当のこと何にも教えてくれない!」って言ってる人がカルチャーセンターの講師やってる、みたいなやつで。
大体、今の時代にちゃんと盛り上がってるようなジャンルは、わざわざ「現代」なんて自分たちで言ったりしないと思うんです。逆に言ったら、「現代」なんて枕詞つけ始めたということは、それはもう、そのジャンルが瀕死の状態にあるともいえる。
たとえば、アニメやマンガやゲームや漫才が現代アニメとか現代マンガとか現代ゲームとか現代漫才とか言い出したら、それはアニメもマンガもゲームも漫才ももう終わりってことだと僕は思う。
現代とか言い出したら、もうそのジャンルにはなんかよく分からない小難しいこと言いたがる人たちしかいなくなってる。そしてその人たちは自分たちこそが選ばれた者たちだと思ってる。
ジャズもね、ちょっと前まで現代ジャズとか前衛ジャズとか言ってたんですよね。でも、今はまたちゃんとシーンとして盛り上がってきたから、誰もそんなこと言わなくなったけど。
だから今現代◯◯とか名乗ってるジャンルも、本当にそのジャンルがちゃんと盛り上がったら、もう誰もわざわざ「現代」なんて枕詞をつけなくなる。
だって、新しいこと、その時代なりのことをするのって、別に普通なんですから。人がたくさんいたら、どこかで誰かが絶対変なことするんです。その変なことが面白かったら、それをみんなが真似する。新しいことって、そうやって広がってゆくものだと僕は思うんです。どこかの賢い誰かの理屈によってではなく。
あー、なんか、ごめんなさいね。読んで嫌な気分になった人もいるかもしれませんね。
ま、人それぞれですからね。誰が何を好きだろうと、その人の勝手なんですが。
というわけで、また明日。
おやすみなさい。
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