たまにこうなる

 また先日受験の話から普段考えないようにしてる昔のこと思い出した。寝た。昔の自分の記憶の引き出しのようなものから思い出の品をいくつか選び出して他を捨てないといけないという象徴的な夢を見た。引き出しを開けた時の、母がきちんとしまっていて整理された靴下や衣類の感覚が懐かしかった。幼稚園の頃自分が使っていたミニモニのポケットティッシュがボロボロの状態で夢に出てきた。幼稚園、小学校、中高の思い出がごった煮になってその中にいた。私が大学入ってからの6年間ほど母親の人生にとって悲しい6年間は無かったのではないだろうか、という言葉が昨日口をついて出た。本人の口から聞いたわけではないがその罪責感がまた表層意識に出てきて、朝起きて涙が出た。両親の思う私のまま大人になったのではなく別の生き物に捻じ曲がったように思われていそうだ。私自身でさえ高校生までと大学生以後の自分に断絶を感じているのだから。ナイーブになっていると子供を亡くした親関連の情報を耳にするたび泣きそうになってしまう。もちろん、私たちは未来のことだけを考えなくてはいけない。別の形で、両親の残りの人生を幸福に満ちたものにしてあげないといけない。それが達成できなかったら、という大きな不安が心の底につきまとう。この不安が原動力になることもあれば心の余白に広がって支配されてしまうこともある。人間なので

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