音楽文「荒川ケンタウロスがいる日常 バンドの物語が続いていくこと」



「おすすめのバンドは?」と尋ねられた時、荒川ケンタウロスの名前を挙げることにしている。

男性5人組、鳩が目印のおしゃれバンド。

このバンドが奏でる音を聴いてほしい。あわよくば、一緒にライブに行ってほしい。

きっと好きになるよ、とっても素敵だよ、と推し、せっせと荒ケン仲間作りに勤しむ。

彼らの音楽を聴くと、ありふれた日常が、物語のように変わっていく気がする。何気ない瞬間が愛おしく感じられる。

「大人になるってなんて 自由で不自由なことなんだろう あこがれになってしまえば楽になるのかな」【RPG】

「どこまで逃げてもこの町は 君の面影に出会うばかり 高層ビルに遮られて 今となってはもう景色も変わって」【ニュータウン】

懐かしい景色、子供のころの思い出、誰もが感じたことのある寂しさ。

それらが呼び起こされて、記憶の中から転がり出してきて、きらりと光るような気がするのだ。

声高に、勇気や希望を叫ぶのではなく、明日からも自分の日常をしっかり生きようと思わせてくれる。
荒川ケンタウロスはそんなバンドだ。

「バンド」なんてものを好きでいると、「大切なお知らせ」という文字に対しては、反射的に身構えてしまう。

「大切なお知らせ」という言葉の裏には、かなりの確率で、解散や活動休止、脱退、メンバーの体調不良などの良くない知らせが待っているものだ。

だから、彼らから発信された、「今後の活動に関するお知らせ」という言葉を目にした時、とっさに「その日が来てしまったのか」と思った。

覚悟を決めてクリックした時、1番最初に「まずはじめに、悪い話ではありません」とあった。

そこには、

「結論として、僕たちはバンドを継続させようと思っています」
「それぞれの人生を大切にしつつ、ライブもこれまでよりもっとするだろうし、CDでの音源もきっと出します」
「何より、このまま荒川の楽曲たちが忘れ去られるのは悲しいから」

という言葉が並んでいた。

安堵で視界がじんわりと滲んだ。彼らの音楽がある日常は、これからも続いていくのだ。

その後にふと、彼らの物語の始まりの曲、そして私と彼らとの出会いの曲、【天文学的少年】の歌詞が頭に浮かんだ。

「いつの時代に 生まれようとも どこの世界で 亡くなろうとも 君をとりまくことの全てが 奇跡そのものだよ」【天文学的少年】

バンドが、続いていくことは、奇跡だ。

どんなに人気のあるバンドでも、ある日突然終わりの日を迎えてしまうことがあるから。

そんな世界で、そのバンドに出会えたこと、好きになれたことも奇跡だと思う。

奇跡と言ったら大げさで、偶然の連鎖かもしれないけれど、彼らに出会えたことが嬉しいし、見つけ出した自分を誇りに思う。

「忘れ去られるのは悲しい」と言うが、私が荒ケンの曲を忘れ去ることは絶対に無い。

誰が忘れても、その優しいメロディーを、美しい歌詞のひとつひとつを、ライブのあたたかさを、私は覚えている。

「僕がひとりよがりを止めないから たくさんの輝きをなくしてしまっていたのでしょうか ホントの自由はどこまでも不自由と隣り合わせだ」【ティーティーウー】

2年前の「時をかける少年」リリースツアーのファイナル渋谷WWW。アンコールが終わってメンバーがステージ袖に帰った後、誰からともなく歌い始めた【ティーティーウー】。それはやがて大合唱となり、その声に応えてメンバーが再びステージにやってきた、あのあたたかくて幸せな時間を、いつまでも覚えていたい。

またライブにだって行きたい。
CDを手に取る喜びを味わいたい。

次のステップに進む彼らの音楽が、私たちの日常を輝かせてくれることを楽しみにしている。

2018年4月9日掲載




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