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おもしろい・オモロイの違い、つまらないの原因

この人の話がつまらないなぁ、とおもったりしたことはあるだろうか。
それには原因が主に3つ考えられるとおもう。
1つは、その人が本当につまらない話をしているとき。
2つめは、センスが全く合わなくてつまらないとき。
もうひとつは、自分の理解力不足が原因でつまらないときである。

3つ目のことに気づいたのは、中学生のとき、部活の大会があって早起きをしたときだ。
朝6じくらいにおきてみると、早朝から母親が枝雀さんの落語をみていたのを一緒に見ていたが、全く面白いと思えなかった。というか、何を喋っているのかすらききとることができなかった。それでも母親は笑っている。そもそもききとることができないという、明確にその世界に入れないことを目の当たりにした瞬間だった。
おもしろいと感じないのは、自分の理解力のせいだ。せめて理解したうえでおもしろいかおもしろくないか判断しようとこころに決めた瞬間だった。

余談だが、面白いことを続けて発信しつづけていると面白い仲間が自然とあつまってくれる世の中だとおもう。SNSとかあるし。
今一緒にいる人たちは全然おもしろくないなと思っていたら、自分がおもしろくないかもしれない。


舞台ははかわって東京、僕が話すこと話すこと、みんなおもしろい、おもしろいと興味をもって話をきいてくれるなぁ、というのが、就職してから感じていた。
そんな簡単におもしろがってくれるのか、大学の教授はなかなかおもしろがってくれなかったのに!と思ったものだ。この体験に関連して、先日、良い本に出会えた。

「この企画、もっと面白くできますよ。(中尾孝年・著)」著者は電通のコピーライターで、ライター視点で企画を考えていく。
この本には企画の本質というか、忘れちゃいけないことを強く再確認できる良い本だったし、広告業界の本を僕が買ったはじめての本である。

この良書のなかで、関西特有のオモロイと、「おもしろい」の違いについて詳しく書かれている。
筆者が関西出身なこともあり、関西人によくある勘違いポイントというか、固定概念となってこびりついていたことを本当にスッキリこそぎおとしてくれて、非常にタメになった。
主に、笑わしてなんぼ、それが「おもしろい」や!みたいな誤解をキレイに解いてくれた。

関東の人は簡単に面白がってくれていると思っていた少し前の自分を恥じた。
なんでもおもしろいと言ってくれる彼らは、好奇心が旺盛で、なんでも情報を取り込んで糧としてしまうクリエイティブ人間だったのだ。

オモロイと「おもしろい」の違い。
オモロイというのは文字通り、笑いがどこかしらにあるというか、お題などがあったときに何かしら笑いが伴ってくる企画、事象に対して言っている。落とし穴は、当事者は笑わせていると笑われていることの判別が難しいことと、広告でいえば与件を満たしていなくても笑いは取れるということが往々にしてあるということだ。

対して「おもしろい」というのは、とあるモノゴトに対して魅力的に映える可能性を秘めているとか、いままでにない見え方で新鮮!とか、インパクトをもたらすかも!とかにつかう。
ある事象:企画にたいして未知数の期待を感じるときに使うことばだ。
広告に当てはめ直すと、与件を大いに満たすばかりか、クライアントが予想していたものを大いに上回るクオリティで提供できる可能性があるかも!ありそうでなかった!という期待などで使われたりもする。
(こんな仰々しいことに毎度つかわれているわけではないが、マックスでここまでの意味に使うときもあるということ。)

生活していくなかで、会社や友達といるときに「おもしろい」、オモロイを使い分けることで、トンチンカンな発言や提案ゴトが減っていく(笑)のだろうと思っていつも大切に胸にしまっている。
僕が陥りやすい点なので、特に忘れないようにしたい。

(意訳で自分なりに簡単にまとめたので、著書と違う点があると思いますが、ご了承ください。)