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判断の基準をよくみてみる(noteに書く/書かない編)

ずいぶんご無沙汰してしまった。元気にしております。

タイトルのとおり、noteに書くこと・書かないことの判断基準ができてきた。判断の基準自体はそんなに大それたことじゃない。でも、なんでそう判断したのか?ていうところにたどりつくまでが僕はとてもすきだ。

へんな行動、と僕が思っていても、それぞれ育った環境によって築かれた「当然」がたくさんある。
例えば、初詣がそうだ(まえこの話したかな)。僕の地元ではカウントダウンのときはほとんど親族だけで過ごすが、関東の友達はほとんど友達とわいわいカウントダウンをたのしんでいるようだ。僕の過ごし方は関西特有とか大きいくくりでないかもしれないけど、「自分が当たり前だと思っていること」は、自信満々なわりに、意外と曖昧な判断基準だったりすることがとても多くて、ギャップがある。勉強になるし、それを紐解いていくのがお互いに痛快だったりする。

話がそれた。
noteにいくつかかいてみようと何話題かをworkflowyに書き出す。
これおもしろいかも!と思って、載せられるようどんどこ書き出すのだけど、いくつかの判断基準でボツったものがある。そんなことしてたら毎日かけないのだけど。

1.読書ノート

最近、読んでそのままなにも記録していない状態でほうっておくと、一ヶ月もたたないうちにもう内容の99%をわすれてしまっている。kindleでマーカーを使っていても、引いた理由すらわすれてしまう。ココ最近でよんだ面白い本も、もう全然思い出せない。病気かもしれない。でも、その病気を認め、なるべくよい方向に持っていかないといけない。ということで読んだ本をまとめているのだが、これがnoteに合わない気がしている。
そもそも読書ノートは自分の大切なものを詳細に書いてしまっておくものなのであまり公開にむかないうえ、noteに上がっている感想文をチラ見したけど、だいたいは文章量が多い。
とはいえ、絶対あとあと大事になってくるから習慣化したいな..(文章を書くことを習慣化させてくれているnoteも大変ありがたいです!)

2.これからもずっと考え続けたいこと・まだ結論が出きってないもの

ストレスのはけ口に、ノートを活用したことはあるだろうか。
南海キャンディーズの山里亮太が番組で言えなかった毒をノートに吐き出していることはよく知られているが、まぁそんなところだ。
僕はストレスではないが、何日も頭から離れない考えとかがたまにあって、それを完結させるためにノートに概要を書きなぐる。すると頭がスッキリして、別の考えができるようになる。
さらにnoteは、誰かに伝えるように文章を書くから、手書きのノートよりも「頭から離れさせる」性格がつよい。
個人的には、もうnoteでかきのこしてしまうと、はいもうおしまい、ってかんじで、目で見ない限りアタマに戻ってこない感じがある。

結論

このnoteのテーマコピーにもあるが、noteって、自分が実際に体験したものとか、自分でつくったものを発信していくプラットフォームなのだ。個人的な体験のある日の話とかはいいけども、区切りのつけにくい、なんとも着地のよくわからない永遠のテーマとかはあまり向いてないっぽいなーというのがいままでの結論。
逆に、よくわからない永遠のテーマはどこにいれておけばよいのだろう。これこそ頭にでもしまっておけばよいのかな。

これからも、判断基準、おもしろい事例とかがあればここに書いていこうかなと思っています。