かっこいい・悪いにメガネは関係ないぜ!という話

ついこないだ、ライターの上司に「お前メガネ似合ってねぇよ。メガネのチョイス間違ってる。」と言われた。が、自分で自信満々に答えられることの一つに「自分のメガネチョイスはかなりいい線行っている」というのがある。点数にすれば98点くらい?(気持ち悪い?)。メガネ歴すでに14年、メガネについてかなり色々考えたりした。このライターは、ずっと裸眼なのだそうだ。論外。無視していい。

たしかに僕のメガネは、かけると見た目は悪くなる。 僕のメガネは近眼がとてもつよくて、実際より2−3ミリほど目が小さく見えるのだ。
これに気付いた中学生の僕は衝撃だった。ハードコンタクトでも乱視が完全に矯正できないことも高校のとき判明した。目が悪いのに裸眼で登校していたが、顔がよくみえず友達に挨拶もできないこともおおかった。今思えば超やばい。

それで絶望したわけだけど、そのときから「こいつメガネなのにカッケーな」みたいな人が自然と目につくようになったのである。
このnoteでは、メガネキャラクターなのにかっこよいという人を、二次元三次元問わず、さらっと紹介したいと思う。

GTO「菊地善太」
GTOは中学〜高校にかけてよく読んでいた。頭が良いのにタバコは吸う、みたいな。そこまでは普通だが、男気のあるところとフザケに走る大胆さは頭ぬけているところがあって、「メガネなのにクールでカッケー!!」と、漫画なのにそうおもってしまう、というか、こんくらい魅力溢れてたらメガネマジ関係ないなと初めて思わせてくれたキャラである。今自分が彼ほど思い切ったことができるかと言われれば、かなりむずかしいだろう。懐かしくなってきた。もう一回読み返そうかな。

ZAZEN BOYS「向井秀徳」
NUMBER GIRLやZAZEN BOYSで有名な向井秀徳。「福岡市博多区からやってまいりました、ナンバーガール」。このセリフは超かっちょいい。見た目は過去にいじめられてたんじゃないかとおもうくらいの地味さ。だが口をあければ、ナルシシズムそのものが言葉というかたちでとびだしてきて(?)観客である僕らはそれをあびることになる。その強気な言葉にふさわしい天才的な演奏、歌唱、指揮、どれもこれも天才。見た目なんて全く関係ない。いや、むしろこの天才的な色々を、地味な見た目が引き立たせている。彼から感じた「かっこよい」は、僕の大きな価値観の軸となってカラダに染み渡った。

ピンポン「スマイル」
松本大洋の漫画ピンポン。アニメから入った新参者だが、めちゃくちゃ楽しんだ。情熱。グルーヴ。青春。スポーツ。
高校のとき陰気なイメージをもっていた卓球部だが、ここまで情熱的に描けるものかと感動した。
スマイル。しずかだが確かな芯がそこにあって、彼の情熱とネクラなメガネのギャップのかっこよさは、本当に痛快だった。

著作権的に画像を載せるのは怖いので、知らない人は検索してもらえるとうれしい。上記三人以外にもメガネでかっこよいひとはもっといるが、今回のラインナップは「ネガティブ要素としてのメガネなのに、かっこよいキャラクター」というのがポイントだ。中身が勝負!というやつ。僕の感情のなかでは、これらの憧れ・かっこよさの価値観が渦巻きのひとつとして確かにあるぜ!というお話でした。