男性性/ケア/アナーキー(1)

 わたしは20代半ばから10数年ほど、川崎市のNPОで障害者介助の仕事をしていました。また結婚して、子どもが生まれたことを機に、主夫的なことをしながら、在宅でも可能な物書きの仕事をはじめました。障害者介助の仕事から徐々に離れてしまったのは、もちろん色々な要因が絡み合っていますけれども、その理由の半ばまでは、ケアの仕事にバーンアウトした、という感じだったと思います。

 たとえば、介助者という主体になることは、ある意味で、主体性を「去勢」されることでした。

 去勢とは、次のような意味です。主体的な当事者はあくまでも障害者自身であり、介助者は余計な口出しをしたり、当事者の意思決定や選択を邪魔してはいけない。特に脳性マヒ者たちの障害者運動の流れにおいては、そのことは厳しく戒められました。

 むしろ、障害当事者にとっては、介助者の存在(特に介護労働者)は、当事者の自由を疎外するもの、搾取するもの、さらには権力の側に位置するものかもしれない。「健全者文明」を維持し、強化する側の立場かもしれない。つまり、障害者と介助者の間には敵対性がある。そのことを忘れてはいけない。

 有名な「介助者手足論」という言葉があります。これも様々な解釈がある言葉ではあり、単純ではないのですが、ひとまず最大公約数的な解釈として捉えるならば、介助者は「頭」を使ってはいけない。あくまでも「手足」に徹しなければならない。そういう意味です。行動や選択の主体は、あくまでも、障害者の側にあるわけです。

 たとえば、「無知なる教師」という政治哲学者のランシエールの言葉がありますけれども(生徒に真の主体性を発揮させるには、教師は「無知」=「無」であったほうがいい)、介助者たちとは、手足に徹して、「無知無能なる介助者」でなければならない。介助者はそうした逆説的な主体性を生きなければならないわけです(注)。

 もちろん、一口に「障害者」や「ケアラー」「介護者」「介助者」と言っても、身体的な特性や社会的な環境によって、さまざまな違いと歴史があるために、これも簡単に一般化はできないのですけれども……。

 それだけではありません。ケアラーの主体性を積極的に語ることは危険である、というのは、他の文脈でも指摘されてきました。

 今述べてきたような障害者運動の文脈(1)のほかにも、フェミニズムの文脈(2)があります。介護の主体性、ケアの道徳性などについて語ることは、そもそも家父長制や性差別的な構造が根深く根強くある以上、それは女性たちにさらなる過度な介護負担を強いることになる、ゆえに、ケア倫理をポジティヴに主張する言説そのものがジェンダー不公正を(そのような言説の効果として/再帰的に/メタ的に)強化することになる、ということです。これもまた、大きな問題です。

 健常者(健全者)と病者・障害者・要介護者の間には権力性/非対称性がある、というのみならず、男性/女性・性的マイノリティの間の権力性/非対称性もそこには重層的に交差している、ということです。女性がケア倫理を語ることと、男性がケア倫理を語ること、そこにも非対称性があります。

 さらに、リベラルな社会においては、そもそも、誰もが過分な形でのケア負担を課せられないような社会――つまり、誰からもケアされず、誰をもケアする必要のない世界こそが理想的である、とも言えます(3)。

 安全・安心securityとはcureのない状態のことだからです。誰に対しても特別な配慮をしたり配慮されたりしなくてすむということ。自分の意志によって自由な決定ができる社会であること。それがリベラルな社会の理想ではないでしょうか。

 実際に、障害当事者からも、日常生活の隅々までケアに満たされた社会は息苦しいものであり、抑圧的である、という指摘がなされてきました。「入所施設から在宅介護へ」と言われるけれども、その在宅生活がそもそもケアプランや支援計画に管理されて、国家と市場に絡めとられて、ミニ施設のようなものになるとしたら、在宅介護や地域生活は本当に障害当事者にとって自由と言えるのか、と。小児科医で脳性マヒ当事者の熊谷さんは、「ケアへの自由」とともに「ケアからの自由」も必要である、と言っています。

 つまり、もちろん、ケア実践の多元的な拡張(ジェンダー不公正、能力主義、外国人の人身売買的な搾取などに抵抗するケアの発明)が必要なのですが、ケアによる社会的包摂のある種の全体主義化(監視化)――ケア全体主義?!――については、障害当事者たちが批判してきてもいるのです。社会的に排除された人々の生存を、単純に、国民的+市民主義的な包摂だけで考えるのは危うい。

 実際に、すべてがケア的な配慮に満たされた社会は息苦しいものでもあるでしょう。誰もが配慮し配慮されるネットワークの中に包摂され、あらゆる場所に生権力(生かすのはよいことだという力)が充満し、日々セルフケアし、自発的(ボランタリー)に自治に参加しなければならない、としたら……。

 これらの理由もあって(もちろんそれだけではなく、もっと世俗的で具体的な幾つもの要素があるわけですが)、わたしは障害者介助の仕事を実際にしているあいだ、あるいは賃金労働としてのケア労働から基本的にはリタイアし離脱したあとになっても、ケア倫理や介助者の主体性について、道徳や倫理について、あまり積極的なことは語ってこれませんでした。語る資格がないし、語らない方がいい、と感じてきました。

 ある意味で介助者としての積極的な主体性を去勢されてきた、障害者運動の理念という超自我を内面化してきたとは、ひとまず、そのような意味になります。

 (わたしもまた、たとえば『非モテの品格――男にとって「弱さ」とは何か』の第三章などでは、ケア関係を通して、「男」の身体をクィア化≒異形化しつつ、大いなる自然の循環に男性身体を根付かせつつ、ジェンダー不平等や健全者文明を問い直し、社会変革的な欲望を着火させていく、というような議論を展開してもいるのですが、十分とは言えませんでした)

 ……おおむね以上のような前提があったためもあって、わたしは、近年のケア倫理やケア文学論から、大きな刺激を受けることになりました。

 こんな風に、ケアを人間の倫理や民主主義的な政治の土台になりうるものとして、積極的に語っていけるんだと。これまでの自分は、介助やケアという営みの中の積極的な側面、倫理性や政治性を十分に見てこなかったのではないか。

 とはいえ、もちろん、ことは単純ではありません。(続く)

(注)自分なんかには誰も支えられないし、誰も愛せないかもしれない、そういう己の無力さから出発すること――木原活信によれば、それはむしろ、福祉支援(福祉と福音)の根本にあらねばならない感覚なのです(『「弱さ」のむこうにあるもの イエスの姿と福祉のこころ』)。
 自分は誰かを助けられる、何かをしてあげられる、という思い込みは傲慢でしょう。しかしそれ以上に、自分は恵まれた強い人間であるのだから、貧しく弱く不幸なあの人たちを助けてあげねばならない、そうした「同情心」や「憐れみ」は一層、傲慢な感情ではないでしょうか。
 そうではなく、何もできず何者でもない自分として、何もできず何ものにもなれない目の前の他者に向き合うということ。対峙すること。そこからようやく、ささやかな支援がはじまり、福祉と福音の関係が開かれるのではないか。学び捨てるとは、そうしたアナーキー(誰も支配せず、支配されない方向へと自らを開くという意味で)な営みであり、アクションでしょう。私たちは無知な教師になっていかねばならないし、無力な支援者になっていかねばならないのです。

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