江藤淳論のためのノート――オトナコドモたちの成熟と喪失

 西村紗知氏が「すばるクリティーク賞」を受賞した椎名林檎論がすでに各所で話題になっているようで、よかった。しかし「よかった」と安心する資格が自分にあるわけでもなく、むしろ自分の姿勢を問われたし、自分の問いを触発された。同賞の最終選考に残った五本の評論のうち、三本が江藤淳の『成熟と喪失――母の崩壊――』(一九六七年)を参照し、母性的なもの、母的なものとの闘争を課題にしていた。男性権力に対するPC的な批判が全盛の今、それはなぜだろう。

 twitterでの発言を振り返ってみて気付いたが、二〇二〇年の自分の中には、持続的に江藤淳に対する関心があり、あらためて、手持ちの文芸批評やサブカル批評やメンズリブや社会学や政治評論などの知見を総動員して、『成熟と喪失』に対峙しなければならない。自分の批評の姿勢を問わねばならない。そう思った。というのも、自分は「母」という主題を評論的にも男性学的にも社会評論的にも、ずっと怖れて避けてきた気がするからだ。以下はいつか書かれるべき江藤淳論のための、助走の助走である。

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 江藤淳の『成熟と喪失』は、じつは熟読していけば、異様に複雑で難解なところのある本なのだが、ひとまずここでは単純化すると「弱い男(息子)がいかに成熟して父になるか」ということが根本的な主題であり、しかも息子は「病み狂い死んでいく妻(母)」を看護・ケアする主体である。しかし妻(母)を助けられず、己の限界と無力を味わわされる。いや、そればかりか、無意識のうちに妻(母)を虐待している自分、罪悪感を抱えた加害主体としての自分に直面する。

 そしてその場合、大人への成熟のモデルの一つとなるべき父親は、息子以上に「弱い父」(ダメな父)であり、世間にまともに顔向けできない「恥ずかしい父」であって、成熟のためのモデル足りえないし、あるいは象徴的な父殺しによって乗り越えるべき対象にもなりえない。

 『成熟と喪失』の男性主体(息子)たちは、父との葛藤ではなく、肥大化する母(妻)との密着的関係から身を引き離し、アイデンティティを探らなければならない。しかし、母(妻)もまた象徴的母殺しの対象にはなりえず、「自ずから」狂い、病み、死んでいく。息子(夫)は無力なまま罪悪感に耐えるしかない。

 言うまでもなく、女性たちがそもそも戦後日本のイエの中で「妻」や「母」の役割を強いられて、社会的制度的な要因ではなくあたかも「自然に」(自ずから)狂い、病み、死んでいかざるをえないように思いこまされていくこと――それ自体が戦後日本の構造的な家父長制的暴力の結果であるのだが、そうした現実性に対して江藤がどこまで自覚的だったのかは、かなり微妙ではある。

 たとえば江藤淳は、母=妻に対する「悪」の「自覚」と言った。悪の自覚こそが成熟の条件なのだと。ここで言われるのは責任を取るべき具体的な「加害」ではない。ほとんど実存的な、男=息子が存在することそのものの「悪」であるかのようだ。しかもそれが「悪」と名指されるということは、たんに法的/道徳的に許されないというのみならず、そこには何からの享楽があったということだ。悪の隠微な快楽の味。何からの捩れた悪の享楽のようなもの。

 こうした物言いには屈折したミソジニーがある。母や妻たちはなぜ自分(息子、夫、父親)を見捨てて、病み、衰え、狂い、死んでしまうのか。この私を置き去りにして身罷ってしまうのか。そういう恨みがましい被害者意識がおそらくはあるからだ。しかしその被害者意識の問題性について、江藤が全く無自覚だったとも言えない。だから不自然なわかりにくさを覚悟の上で江藤はそれを「悪」と言った。悪の自覚こそが成熟の条件だと言った。そういう複雑にねじれた欲望が見え隠れしている。

 いずれにせよ、弱い父の頼りなさ、看護・ケアする息子としての無力さ、無意識のうちに妻や母を虐待してしまう加害性……江藤がそうした場所から(本人が十分に意識的に自覚しきれない葛藤や抵抗感とともに)戦後的男性の成熟の問題を考えていること、少なくともそうした面があったこと、それらのことを重視して、『成熟と喪失』を、そして江藤の膨大な著作群を読み直してみたいし、それを現代的な課題に再接続してみたいと私は考える。

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 江藤は、安岡章太郎『海辺の光景』、小島信夫『抱擁家族』、遠藤周作『沈黙』、吉行淳之介『星と月は天の穴』、庄野潤三『夕べの雲』などの、第二次大戦後のいわゆる「第三の新人」の作家たちの小説を丹念に読み込みながら、戦後日本人が成熟することの独特の困難を、次のように論じた。

 ――敗戦によって「父」(国家)は死んだ。「国敗れて山河あり」と言われる日本的な「自然」の象徴としての「母」も死に絶えつつある。かといって、欧米人のような強固な近代的個人は確立されていない。戦後日本人は、あらためて、孤独な近代的個人となることを強いられながら、成熟の不可能性に苦しめられている(不能な父、弱い父)。戦後の日本人たちは、近代化+アメリカ化という「人工的な環境」の荒波に侵蝕されて「生きながら枯死」させられていく。では、戦後日本人にとって成熟とは何を意味するのか。

 こうした江藤の問いは、現在のグローバルな自由市場化や情報技術ネットワークの圧倒的な侵蝕の中にある私たちにとって、奇妙に古くて新しいものにみえる。

 ここでは「江藤チルドレン」とひとまず読んでみたい一群の批評家、思想家たちがいる。加藤典洋(リベラル)、福田和也(モダニスト/ファシスト)、大塚英志(オタク/戦後民主主義者)。そしてもちろん上野千鶴子(フェミニスト)。あるいは近年では白井聡(左翼)や宇野常寛や藤田直哉。

 こうして見ると、ロマン主義的保守と言うべき江藤淳の批評的なフォーマットは、リベラル、モダニスト、ファシスト、オタク、フェミニスト、戦後民主主義者、左翼、等々の様々な立場の人々に参照され、展開され、発展していったことがわかる。もちろん多くの論者が江藤に批判的に言及しているのであれ。

 その中でも大塚英志は、日本のオタク(的)批評の先駆者として江藤淳を見出してきた。たとえば戦後日本のサブカルチャーには、子どものための文化を作れず、大人のための文化も作れず、どちらともいえないオトナコドモ(オタク)の文化こそがメインストリームであるべきだ、という曖昧な集合無意識が積み重ねられてきたのであり、それがガラパゴス的な極度の洗練を生み出してもきたし、他方では様々な弊害や限界をも形作ってきた。これはまさに『成熟と喪失』の問いそのものだろう。

 『成熟と喪失』によれば「第三の新人」とは「中学生的な感受性」(中二病!)を武器にして文壇的出発を遂げた作家たちなのであり、それは《「子供」でありつづけることに決めた「大人」の世界》(オトナコドモ)であり、「どこかに母親との結びつきをかくしている」。まさに母性のディストピアとしての人類補完計画である。

 その意味では二〇一〇年代のこの国の政治を牽引してきた疑似カリスマとしての安倍晋三なども『成熟と喪失』的なオトナコドモであり、戦後的なオタク男性の似姿というか、『エヴァ』のゲンドウのような男に見えてくる。『エヴァンゲリオン』の主人公碇シンジの父親であるゲンドウは、身の回りの女性や子どもたちに強権的に負担を押しつけて最前線で戦わせ、己は身勝手なロマン(母子密着的な万能性)を夢見ている。安倍晋三という巨大な権力をもった政治家の話に限らない。この国、この社会には依然としてあらゆる場所に小さなゲンドウたちが存在するのではないか。

 前から書いているが、私は『エヴァ』の主人公はゲンドウであると考える。『エヴァ』の世界では大人たちが十分に責任を取らず、子どもたちに責任を押し付け、陰謀に走り、代理戦争を戦わせているから、社会的問題が永遠に解決しない、と。『シン』ではその点を正面から描いてほしい、と個人的に思う。

 ゲンドウ(弱く暴力的な父)の究極の夢は、死んだ妻(代理的な母)を甦らせ、母=妻と一体化することである。安倍晋三・昭恵夫婦の奇妙な関係性、あるいは安倍昭恵のスピリチュアルな狂気を見ると、『エヴァ』的な母=妻の不気味さ、そして『成熟と喪失』的な「病み、狂っていく妻=母」のイメージがどうしてもそこに重なってくる。むりやり虚構の物語と現実の政治を関係づけたいのではない。そこには依然として「戦後」的な「日本人」の「男」たちの欲望や想像力を拘束する何らかの「原型」があるのではないか。

 そのことを考えるためにも、江藤淳の『成熟と喪失』の問いは依然として――これが五〇年も前に書かれた著作であることを思えば、私たちの「変わらなさ」「変われなさ」に索漠とした思いがするのだが――有効である、と私は考える。

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 『成熟と喪失』は、母/父/子という「心理学」的あるいは「社会学」的なフォーマットを用いた図式的な批評にすぎない、というような批判を受けてきた。しかし、熟読してみれば、これは予想外に複雑で、難解なテクストである。江藤の中では、つねに、能動と受動、加害意識と被害者意識、罪悪感と見捨てられ不安、父性と母性などが微妙な形で入り乱れているからだ。江藤の文体が奇妙に粘着質でエロティックなのも、その点に関わるだろう。

 奇妙な言い方ではあるが、江藤は、力強い治者としての「男」や「父」として振る舞おうとすればするほど、どこか未成熟な女の子のように女々しくなっていく、と言えばいいだろうか。政治的なものと性愛的なものが絡み合っていく。だからこそ、立場の異なる多くの人々を惹きつけてきたのだろう。この本は、近代人としての自立を促すものにも読めるが(江藤は最後に父性的な「治者」としての覚悟を語るだろう)、やはり、江藤のいう成熟には、もう少し、微妙なものがあったのだ。

 たとえば江藤は、息子が母親(自然)を殺した、直接手を下した、とは決して書かない。そうではなく、母の身体は、近代化/戦後史の流れによって自然に「崩壊」してしまった、と書く。母は自ずから「崩壊」したのである。その意味では、自らの責任を否認しているかに見える。しかし江藤は、四歳半の時に母を結核で亡くし、決定的な人生の喪失を経験しているにも関わらず、その喪失の中にこそ、自らの最大の「悪」を感じる、とも言うのだ。

 この微妙なねじれに目を凝らそう。成熟とは、何かを獲得して自立するのではなく、どうにもならない喪失を引き受けることである。誰かから見捨てられるとは、じつは、その誰かを見捨てることなのだ。江藤はそう述べる。自分が愛した人、他の誰を愛せなくてもその人だけは愛すべきだった人、その人から見捨てられてしまった、という喪失感。その絶対的な拒絶の悲しみの中にこそ、この私の根源的な「悪」の手触りがある。ならば、その悪を何としてでも引き受けていくこと、それこそが、近代人にとっての成熟なのではないか。そう言うのである。

 しかも、喪失に耐えながら、家族を守り、愛するものを守っていかねばならない。それこそが「治者」であり、「父」なのだ――とすれば、江藤のいう戦後日本人の成熟とは、ずいぶんと奇妙で「奇形的」(宇野常寛)なものである。少なくともそれは、「子どもから大人になる」「没主体的な日本人を脱して、欧米的な近代的個人を目指す」「敗北や喪失を受け入れて、強く雄々しい治者へと成熟する」というようなものではなかった。

 たとえば江藤は、『抱擁家族』の主人公の俊介についてこう書く。

 《『抱擁家族』の全章を通じて描かれている彼の「家の中をたてなおす」努力が、どことなくこっけいなのは、彼ができるはずのないことを時子に強制され、自分でもしなければならないと思いこんでいるからだ。絶対者を真似ようとする努力はつねにこっけいである。ことに真似ようとする者に絶対者たらんとする明晰な意識が欠けている場合には。『抱擁家族』のヒューマーとは、絶対者になる資格のない人間が、いつの間にか絶対者の役回りを引受けさせられてそれに失敗しつづけるおかしさである。》

 ちなみに江藤淳が『成熟と喪失』を執筆していたのは、〈権威としての父親〉言説というべき父親論が世の中に流布しはじめた頃のことである。

 父親のあり方をめぐる議論の高まりは、明治期からすでに連綿と存在してきた(良妻賢母論に対する良夫賢父論、性別役割分業に対しては批判的な父親論なども存在した)。戦後に入っても父親論は繰り返し生じてきた。。

 多賀太は『男らしさの社会学』で、戦後の代表的な父親論を二つのタイプに分類する。(1)〈権威としての父親〉言説。父親と母親の資質の違いを強調し、しつけ・教育における父親に固有の役割を強調する、というタイプの言説。(2)〈ケアラーとしての父親〉言説。父親と母親の違いを前提とせず、出産前の準備や乳幼児期の世話を含め、広範な子どもへの関与を父親に期待する、というタイプの言説。

 (1)の〈権威としての父親〉言説は、一九六〇年代初期にみられ、一九七〇年代半ばから広く流布していった。一九六〇年代初期は、戦後の民法改正によって家長としての父親の法的権威が消滅し、また高度成長の中で父親の雇用労働者化が本格化し、家長が家に不在であるケースが多くなっていた。

 また一九七〇年代半ば以降になると、①七五年に性別役割分業体制の絶頂期を迎え、家庭内の父親不在が全面化した。②ミッチャーリヒ『父親なき社会』やパーソンズ+ベールズ『家族』など、父親の役割をめぐる研究所が相次いで翻訳された。③少年非行が一九六六年に戦後第二のピークを迎え、少年非行の原因が家庭・学校における父親・父性の不在に求められた。④ある程度の生活レベルの達成とオイルショックにより、「稼ぐこと」の意味自体が問い直されていた。

 すなわち、民法改正による家長の法的権威の失墜、高度成長の中で雇用労働が長時間化して家庭内の父親の不在化が際立ったこと、豊かな生活の達成による賃金労働の意味の見直し、等々の事情によって、旧来の父親的権威が揺らいでいたからこそ、父親の権威の是非が議論され、強調されねばならなかったのである。これはまさに江藤的な「治者」の論理とも言える。

 (2)の〈ケアラーとしての父親〉言説は、一九九〇年代から広く流布し始めた。その背景は次のようなものだった。①結婚後・出産後も、仕事を継続する女性の割合が増えたこと。②男女の役割の本質的違いを想定しないような、実証的な父親研究の蓄積により、父親による乳幼児のケアが、子ども・母親・父親のそれぞれにプラスの影響を与える、という事実が明らかになってきたこと。③男女共同参画を進めつつ少子化に歯止めをかけたい政府が、男性の育児参加を積極的に提唱しはじめたこと。④一九八〇年代からの、男性運動の地道な影響がメディアを通して一般化してきたこと。

 こうした観点から江藤の『成熟と喪失』の議論の構成を読み返してみると、父親の権威が根源的に崩壊していくがゆえに、「権威としての父」と「ケアラーとしての父」の揺らぎと葛藤が生まれ、その中で次第に「権威としての父」の方向をあえて目指していった、そのようなものだったと言える。

 恥ずかしく、弱く、とまどい続ける、滑稽な「父」。滑稽さを乗り越えて、生真面目で父権的な「家長」になることではなく、その状態に耐えること、生きることそのものの「ヒューマー」を誤魔化さないことが、あたかも日本人の〈成熟〉であるかのようなのだ。江藤の言う「保守」には、終生、そういう「ヒューマー」がどこかに付きまとっていたのである。

 江藤のいう〈成熟〉とは、「父」も「母」も「近代的個人」もなく、あらゆる理想や規範(ルールモデル)がぐずぐずになっていく泥沼の地盤の上で、なんとか最低限の「家」を維持・構築し、嫌でも「男」や「父」であらざるをえないことの意味を無限に問い直すこと、であるかのようだった。

 もちろん江藤は、子どもであり続けようとする大人たち、未成熟であることにとどまろうとする作家たちに対して、批判的である。しかし、それはまさに、江藤自身が引き受けねばならぬ未成熟そのものであり、ならば、そうした未成熟さの中から、いかにして、ヒューマーとしての父を演じることができるのか。それが江藤の問いだったのだ。私たちはそれをどう受け止めればいいのか。

 『成熟と喪失』の結論としては、次のような方向性が示される。男性たちはあらためて、超越的な「天」の感覚のもとに「父」であらねばならない。治者(強い父)を演じ続けねばならない。恥ずかしい父ではなく、弱い夫でもなく、「強い父」である「かのように」振る舞い続けよ。保守すべきがたとえどんなにぼろぼろの小さな家=家族であっても。江藤は『夕べの雲』をそのように読んだ。そして江藤自身がそのような「父」を実践しようとした。

 重要なのは、江藤がイロニー(かのように)としての「治者」を、その後の彼自身の実人生の中で実際に生き抜こうとしたことだろう。戦後の日本国家の公共性を回復するために、公的なものを志向しうる言語を取り戻すために、文人や文芸批評家としてではなく、一人の政治的な人間として振る舞っていく。そういう人生を生きた。たとえそれが「かのように」の虚構主義にすぎないとしても。家族の「血」の物語=幻想を仮構してでも。

 たとえばこの時期に執筆した『海舟余波』(単行本一九七四年)は、江藤のそうした覚悟をひそかに告げている。江藤のイメージによれば、勝海舟は、かつてあった江戸的な秩序の感覚(公共性)がぼろぼろに崩壊していく中で、あとは何をしても徒労かもしれないという現実の酷薄さを認識しつつも、徹底的に政治的に生きようとした人だった。もしかしたら江藤は、一九七〇年代末以降に本格的に開始される一連の占領研究を、勝海舟のような気持ちで試みたのではないか。

 しかし『成熟と喪失』の時期の江藤の動揺の中には、イロニー(かのように)ではなく、ユーモアの可能性もまたあった。私たちはすでにそれを見てきた。戦後の経済成長の中で自然破壊の不安(おびえ)に耐えながら、自分の中の悪をなるべく避け、他者をケアし、他者の弱さに寄り添い、天下国家から切り離されたぼろぼろの小さな「家」を保守するために試行錯誤し続けること。そのようなものとしての、弱い父のユーモア。そうした可能性もまたあったのだ。

 たとえば大塚英志は、江藤のそうした側面を次のように読み解いた。近代という時代は、不可避に、女性たちの中に自己嫌悪や自己破壊を埋め込んでいった。女性たちは、自然(女性性、母性)を孕んだ身体を引き受けさせられながら、なおかつそれを人工化=近代化していく、という自己破壊的なジレンマを強いられるからだ。江藤はそうした近代的な暴力性に自覚的であろうとしたし、上野千鶴子のようなフェミニストはその点で江藤を評価しようとした。それならば、女性たちに身体の自己破壊を決して強いない「男」になり「父」になるとはどういうことか。それが江藤の成熟論の意味するところだった……と。

 とはいえ江藤淳は『成熟と喪失』の中に潜在的にありえた弱い父のユーモアを強引に切り捨てることによって、最終的な局面で「治者」(強い父である「かのように」振る舞うこと)という理想へとたどりついてしまった。だとしたら、そこには考え直すべき事柄がいくつかある。


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