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自分はどこから作家になりたいと思い始めたのか、そして今、何を望んでいるかに関するあれこれ

僕はそもそも父が若い頃にラジオにネタを投稿していた人間で、そこで獲得したノベルティグッズがタンスの中に入っていたのを覚えているのですが、なので、物心ついた時からラジオは当たり前のように生活の一部として存在していました。
父の運転する車に乗ればビバリー昼ズが流れてきたり、風邪で学校を休んだ日には、寝ているとお昼前に母がラジカセをつけて、家事をしながら森山良子さんのハート・オブ・ポップスを聴いていたり。
そんな両親の影響で兄が夜のラジオを聴くようになり、何をするにも兄の模倣だった僕もそれに追随して、更にプロ野球に興味を持ったこともあって、小学生の時には既に父からプレゼントされたポケットラジオを持っていました。
そんな自分は10代の早い時期に「作家兼芸人」に憧れを抱き、夢へと近づくためにラジオへの投稿を始めるわけですが、作家への道のりには様々な選択肢がある中で、その方法一択しかないと考えたのは、やはりラジオが極めて近しい存在だったからなのは間違いないですし、父の投稿者時代のエピソードを折に触れて聞かされていたこともあって、ネタを番組に送るという行為に何のハードルも感じずに始められたのだろうと思います。
それから有難いことに色々な番組で採用して頂き、自分が思い描いたように投稿者→作家ルートを掴むことができたのですが、そこからの道のりは全く甘い物ではなく(主に自分の当時の社会性のなさが原因)、入れて頂いたテレビのバラエティ番組の終了の後の「長いお休み」期間、ほぼリハビリに近い「とても作家が仕事ですとは言えない」期間を経て、これがこのまま続いていったらどうにもならない…と焦燥感に襲われてはツイッターにあからさまな「仕事を下さい」ツイートを書いたり、全く面識のない方にDMを送るという、向こうの立場を考えると迷惑以外の何物でもない行為を繰り返した結果、運良く仕事が繫がり始め、有難いことに2022年の秋より念願だったラジオの作家の仕事を担当できるようになり、他にも動画配信番組のお仕事などもレギュラー的に動き出し、今でも全く自信は持てていないですし、たぶん思い通りの息子の姿とはかけ離れた状態で生きている身として、親に対する申し訳なさもたくさん抱えてはいますが、「さすがに作家と名乗らないと仕事をしている相手に失礼だろう」と考えられるようにはなってきました。
ただ、SNSなどを見るとズラリとプロフィール欄に多数の番組を書いている作家さんがたくさんいて、その人達と比べるとまだまだですし、現実問題としてもっと仕事を増やさないと家族の支えにはなれないな、とは自覚しています、そこに対する焦りは凄いです。
それと共に、そもそも自分は何で作家になりたいと思ったのか、ラジオに関わりたかったんだろう、テレビもやりたかったんだろう、という少年時代に沸き上がった気持ちも手放したくない、忘れたくない気持ちは何ら変わっていません。
でも動画配信番組の仕事を通じて未知のことをやる面白さも体感したので、新たに開く扉があるなら尻込みはしたくないです。
長々と何を書いているのかという話ですが、要するにもっと作家の仕事がしたいです!
この文章がとても業界の皆さんの引きになるとは思えないのですが、もしもちょっと話でも聞いてみようかと少しでも思って頂けましたら、何卒宜しくお願い致します。


サポートを頂けるような物は書けていませんが…。