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新しいホールと「左手のフルーティスト」。


迷ったとき、なにかを選択しなければいけないとき、僕はいつも直感に頼ってきた。

これでも人並みに考えることは考える。でも、一定限度のラインを越えたら、気持ちが傾いているほうを選ぼうと自分に言い聞かせてきた。

それが正しかったのかどうか、よくわからない。ただ、過去に対して、あまり後悔をした記憶がない。もちろん失敗は山ほどある。それはそれ、仕方ない、次に行こうと絶えず切り替えてきたのだ。

そんな僕の人生は、多くの予期しない人たちとの出会いで導かれていくことになる。今回もまさにそうだった。
 
彼女とふたりで新しい家を建て、一階にホールを作る。その夢を実現させるためには、音楽を愛し、響きに精通した建築家が絶対必要だ。でもそんな人、ここ札幌の、どこにいる?
 
彼女は以前仕事でご一緒したある建築家のことを思い出した。

彼は札幌で数々の賞を受賞した新進気鋭の建築家。自身もフルートを演奏し、事務所は音楽スタジオも兼ねている。まさにうってつけの人材だ。

ただ、彼は十年ほど前に脳内出血で倒れるという悲劇に見舞われている。現在は復帰しているものの、仕事はセーヴしているはず。果たして受けてくれるのか?

僕は電話をしてみることにした。人を介して、自分たちの夢を語った。幸いにも彼は彼女のことを覚えていた。お会いしましょうということになり、彼の自宅にうかがった。

それが去年の11月の終わり。彼、Hさんとの出会いだった。


 
Hさんは右半身にまひが残り、右の肺さえも完全には動かない。それでも懸命なリハビリの末、ほぼ日常生活のすべてを自力で行っていた。

建築家としての仕事をこなし、現場にもマイカーを運転して向かう。それだけではない。長沼町にあるオールハンドメイドのフルート工房に、左手一本で操作できるような木製フルートを特注し、「左手のフルーティスト」としてリサイタルを行っていた。

Hさんは僕らに、自身の理念が詰まったご自宅を案内した後、特製フルートを取り出して実際に演奏してくれた。

それは雪に埋もれた北海道の大地に届く、暖かい春の風のようだった。
 
Hさんは僕らの構想を気に入り、限られた予算にもかかわらず二つ返事で引き受けてくれた。

そこからの行動は早かった。腕利きの工務店を紹介し、いくつかの物件を見つけ、内覧に立ち会ってくれた。

そして昨日、札幌市西区の築五十年の物件を見に行った。リノベーションをして、一階にホールとギャラリーと小さなカフェ、二階に住居スペースを作る。中央に吹き抜けを作り、庭には樹木を植える。そうすれば僕らの理想に近づける。工務店さんを入れて4人で協議。実現可能。そう結論付けた。
 
交渉が順調に行き、無事着工できれば、早ければ今年の十一月には完成するという。なんだか不思議な気持ちだ。もちろんまだまだ決めなければいけないことはある。でもHさんは「楽しくて仕方がない」という。僕はもうそれだけで、すべて彼に任せようと思っている。


 
先日、時計台ホールで行われたHさんのコンサートを聴いた後、僕は東京に行き、彼のことを本にする企画を提出した。題して「左手のフルーティスト」。来月の企画会議をクリアすれば正式に決定する。僕が取材して僕が書く。Hさんもそれを望んでいる。ここはひとつ、気合を入れなければいけない。
 
すべてはひとつの出会いから始まった。なによりもそのことを、忘れずにいたいと思っている。

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