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クロマティから駒田へ

まずはタイトルの【クロマティから駒田へ】ですが。

子供の頃は巨人ファンだったので、当時活躍していた選手の背番号から取りました。

クロマティ→49
駒田→50

…もう、おわかりですね?←いやわからんよ

私、明日で50歳になるのですよ。

ノリと勢いだけで生きてた10代後半から20代半ばにかけては、自分が50歳になるなんて想像すらしていませんでした。

30代に突入した時は、40歳になる自分がなんだかとても怖かったです。

40代前半くらいで、周りより少し早く更年期障害に悩まされ始め、30代までのように無理がきかない年齢になってきたなと感じました。

40代半ばを過ぎても、精神的には自分がイメージしていたような大人になれないままでした。

自分が子供の頃に大人だと思っていた年齢になっても、中身はほぼ昔のままなんですね。

さすがに50代に突入すれば、さぞかししっかりした考え方を持った、何事にも動じない大人の女性になれるのだろうと思っていたのですが。

明日50歳を迎えるというのに、中身は子供っぽいまんまです。

それとも明日の朝になったら、突如大人の女性に変貌を遂げているのでしょうか…?←そんな訳ない

若い頃と比べて変化したことは、あります。

アイドルグループのメンバーの顔と名前が一致しないどころか、全く覚えられません。

なんなら全員、同じような顔に見えたりもします。

あんなに好きだった音楽も、2,000年代くらいまでに活躍していたバンドやアーティストの区別が、ギリギリつく程度です。

今は流れていていいなと思うアーティストの楽曲を、Apple Musicで聴いていますけど。

自分の両親が「今時のアイドルや歌手は、みんな同じ顔に見えるし、同じような歌ばかりで個性がない!」と言っていたのが、若い頃はサッパリ理解できませんでしたが。

今はかなり、そっち寄りの感想を抱きます。


【五十にして天命を知る】

という言葉がありますが、これっぽっちも自分の天命や運命がわかりません…。

【五十にして四十九年の非を知る】
(ごじゅうにして しじゅうくねんの ひをしる)
五十歳になってみて、それまでの四十九年間の人生の過ちの多さを知るということ。また、その過ちの多さを知って反省するということを意味する。
《遽白玉(きょはくぎょく)、行年五十にして四十九年の非を知り、六十にして六十化す》
 出典『淮南子(えなんじ)』

こちらのほうが近いかもしれませんね。

父上母上、兄上姉上、親類縁者、友…いろいろ、本当にいろいろ心配と迷惑をかけてきてしまいました。

そんな私の50代の抱負は『心身共に健康であること』です。

…普通すぎでつまりませんな。

まあ、いいのです。

背伸びしないのがいちばんですし、健康でいることの大切さを、しみじみ感じる年齢になったということで。

※お祝いにスキ♡していただけたら、とても嬉しく思います。

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