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使徒の働き8章26〜40節 「多様な世界に、神の愛を -ピリポの宣教-」

新約聖書に収められている「使徒の働き」は、
キリスト教が世界にどのように広がっていったかを記録しています。

それは、それまでユダヤ社会という単一な文化の中にあった福音が、
多様さをもった世界にどう発信され広がっていったのかという物語でもあります。


私たちの住むこの世界も、
私たち自身も多様さに満ちています。

それはこれらをデザインされた神ご自身が唯一の方でありながらも、
その存在の内に「三位一体」という多様さを持っておられる方だからです。

多様でありながら互いに一つとされることを求める、
それが聖書が描きだす本来の私たちです。

しかし罪が入ってきたことによって
この多様さは互いにバラバラなものとなってしまったのです。

聖霊はこれらを再び結び合わせる神の愛を、私たちに与えてくださいます。


ピリポもまた、宣教する先で世界の多様さに直面しました。

彼が出会ったエチオピアの宦官とは、
後天的につけた身体的特徴によって女王からの信頼を得ていた人です。

ユダヤ人であるピリポから見れば、この宦官もまた未知の存在でした。

宦官は本当の神を求めてエルサレムに礼拝に行き、帰途の途中でした。

この宦官の姿に、善く生きたいという、
私たちの心の奥底にある願いを見ることができます。
しかし一方で、彼を導く人は誰もいませんでした。

彼は孤独だったのです。


現代は多様性を認め合おうとする社会です。

しかしその流れが急速で、
また提示される多様さがあまりに多すぎるが故に、
私たちは逆に孤独を抱えることがあります。

その結果、互いに一つとされることは諦め、
本当に心を開くことはできずバラバラのままという孤独を
私たちは抱えているのではないでしょうか。


私たちには聖霊という導き手が必要です。

ピリポを成功したサマリアから荒野へと導いたように、
聖霊は
私たちが慣れ親しんだ場所や文化からの変化を求め、
近寄り難い、理解しにくいあの人のところへ行ってみよと
言われることもあります。

ピリポが体験したのは、
その声に従った時、すでに神の備えがそこにあったという恵みです。


この方に従って飛び込む時、
私たちはキリストの愛がわかり、
自分に与えられた多様さを受け止め、
互いを分かち合うことができるのです。


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