いじめられてるわけでもなく、日常的に家庭内暴力があったわけでもなく、貧乏な生活でもなくてなんならちょっと裕福なお家に生まれたきっと恵まれていた私が死にたい理由 死にたい理由を安直に並べてすいません

注意
本気で文章を全然書かない本を全然読まない、ちゃんとした正しい日本語でかけているかわからない私が書く文章なので本当にすいません。的を得ず、何を伝えたいのかわからない文章だと思います。すいません。

題がなげえ
ナッゲエ文章なんですけど、見てくれてありがとうございます。ナッゲエ文章に何が書かれているかというと、私が死にたい理由を自分なりに分析?するためというか、そんな大したものではないですが、あとはやはり自殺する人が多いこの国で実際なんで死にたいと思うのかを私の経験からわかって欲しい訳ではないのですが、なんで自殺なんかするんだろう、生きていればなんとでもなるのに、と自殺した人に言葉をかける人に理解してもらいたいのでしょうか。わかりません。でも生きていればなんとかなるのは、生きていてなんとかなった人が言う言葉で、その瞬間になんとかなる訳ではないのではないでしょうか。私たちは苦しい今を食いしばっていつ来るかわからないなんとかなる日を待ちわびなければならないのでしょうか。そんな日を待てない、またなんとかなることを望んでいない人は、どうすればいいのでしょう。そんな人たちに同じように言葉をかけられますか。そう言うことを私はここに書きたいのだと思います。

まず、私は一般的に見てどのような役割を持つのでしょうか。5人家族、3人兄弟の真ん中、女性(恋愛対象が男、自分の心は女)、そして家族は裕福だったのだと思います。大阪の端っこの方で割と都会の方だったと思います。そんな場所で犯罪に会うこともなく義務教育を終え、私学の高校にも行かせてもらい、今は親にお金を出してもらい一人暮らしをしている地方国公立大学の3年生です。やはり、裕福だったのだと思います。私は専門職に就くために大学に通い、その専門職は国家資格なので、生涯仕事に困ることもない仕事だと思います。でも、私はその仕事に就きたくないことに去年気づいてしまったのです。その仕事に就きたくない理由は、私がそう望むように両親に印象操作のようなものをされていたからだと気づいてしまいました。両親というよりかは母親だったと思います。うちの両親の教育の方針は社会に出て独り立ちできるように、というものでした。その為に私は今まで臨んできた夢を全て折られてきました。私にはなりたいものがあったのです。パティシエ、幼稚園の先生、ディズニーのキャスト。全て全て、私の夢は母親によって折られます。パティシエは果物がそんなにすきじゃないからあんたには無理、幼稚園の先生は、ピアノが弾けないから無理、ディズニーのキャストはほとんどがバイトだから駄目。実際は頑張ればなれるんです、おそらく。しかし、このように家に生まれてきた子供は全ての夢を折られ、親が望む道にしか進めなかったのです。うちの姉もそうでした。そして未来を選択できるように塾に入り、テストでは高得点を取ることを余儀なくされました。自分たちのためだとわからなくはなかったのですが、私はその時から自分のしたいことができなくて、だから、勉強をしたくなかったんだと思います。だからとってもいい点を取ることはできず、テストを受ける前の日に死にたくて死にたくてしょうがなかったんです。怒られることがわかって、それを恐れていたからです。そしてテストが返ってきた時、一生懸命死ぬ方法を探しました。この時は死にたかったわけではなく、多分怒られたくなかったから、だったと思います。もしくは、この家に生まれてきたというだけで勉強を強いられふことに対しての嫌悪だったのでしょうか。もう前のことなのではっきりとはわからないのですが。

そして家には家庭内暴力がなかった訳ではありませんでした。怒られる時に暴力がありました。それはテストでいい点を取れなくて、どうしてきちんと勉強をしないのかについて、だったとは私は思いませんでした。父親はそうだったのかも知れません。父親は暴力をそんなに振るう人ではなくめちゃくちゃ怒った一発を振るう、という感じでしたが、母親はなんでいい点を取れないのかに対してとっても怒っていたように私は思います。髪の毛を引っ張られて叩かれて、顔を壁に押さえつけて顔を叩かれて、蹴られたり、とっても苦しかったです。苦しかった。だから私は死にたかった。逃げたかったからでしょう。苦しくて苦しくて、死にたかったんです。でも私はその為に勉強を頑張ろうとは思えなかったのです。だからテストのたびに怒られて暴力を振るわれました。一番嫌だったのはその時の自分で唯一の自信があった長い髪の毛を家で切られたことです。私はその髪を今でも実家に置いています。もちろん今回のテストで何点を取れなければ切る、とは言われていたのですが、でも取れなかったのです。そして母親と姉に切られたのです。私はそのことを一生忘れず、一生許しません。姉はその時自分の受験がもっときつかったから、甘えている、努力をしない私を許さなかったのでしょうか。だから私が中3で仲がよかった友達に何点をとったのか、を勝手にメールしたり、その子の家に行ってもう私とつるむな、と直接言いに行くぞ、と脅されたりました。母親の言ったことが全てだと思っていたのでしょうか、自分の恨みを私ではらそうとしていたのでしょうか、私にはわかりません。でも、私には許せないことでした。テストは学校のものだけではなく塾のものもあったのでとっても多かったのです。結局高校受験の直前の塾のテストで数学の点数がとても悪く私は絶対に許されない私学に行くことになりました。うちの姉は三人兄弟だから私学に行くことは絶対に許されず、姉は今でも高校の進学に対して遺恨があると言います。私は私学に行き、事あるごとに母親から嫌味を言われ続けました。中学の時から、まあずっと嫌味は言われていたのですが、覚えているだけでも、金食い虫、ドブに金捨てた、悪魔、などなど、すごいですね。逆に笑えてきます。なぜ、私学になったのかは大学受験をしない為に高校に入ってそのまま大学に進める高校にする為でした。私もそのつもりだったのですが、なぜか私はそのまま私学に入ることを母親から許されず、そしてその時に私は母親が望む、父親が許す職業に就くしかないことに気づきました。結局大学受験の際になんで私学にしやんかったんか、みたいなことめっちゃ言われましたけど。そして選んだ道が今の専門職を学ぶ道です。それからは特にそのことについて考えることはなかったのですが、私はその仕事に就きたくない、と思った時にそのことをはっきりと思い出してしまったのです。私は今からでも遅くないと、母親になりたくない、と言いました。でも許されなかったです。もうその道にしか進めなかったのです。私の思いを短い時間で話したこともありました。母親は私の話の直後、なんといったと思いますか?「で?どうしたらいいの?」と、言ったのです。私は思いました。もう、無理だ。どうしようもできない。そしてそのあと母親はLINEでそれを頭の中で削除してくれ、と言ったのです。信じられますか。私の、私が生きてきたなかの苦しかったことを伝えたのに、それをなかったことにできる母親を、どうしたらいいのか。どうにもできないことだけがわかったのです。

そして私はもう死んでしまいたいのです。なぜ死にたいのか。なんのために生きているのか、誰のために生きているのか、これから生きていくことに意味はあるのか、自分の意思が選択できない人生はなんだろうか。望めない人生を生きていけないと、思いました。きっと仕事に就いても中途半端な気持ちで、できるはずがない、死にたい死にたいと思いながら毎日生きていくのはもう、うんざりです。きっと私は死ねないけれど、でも死んでしまったらきっととても大きな傷を姉弟に残してしまいます。姉とは死にたい気持ちを軽く話せるぐらいには仲良く、弟もとっても仲が良いです。姉のしたことが許せないことはあります。でも姉も同じく私の許せない行為があるのではないでしょうか。それでも私は姉が大好きだし、弟も大好きです。私が死んだことで傷つけなくていい、傷をつけてしまうのでしょう。でも両親には傷をつけて欲しいです。私は生まれてきたくて生まれてきたわけじゃない、両親が望んだ命で私は生かされて、死にたいのです。金食い虫を育てたのは誰か、金食い虫がなぜいけないのか、あなたたちが3人も生んだからでしょう。私が生きていきたいと思える理由を1つでもくれたでしょうか。私は両親も大好きです。でも一生後悔していき続けて欲しい。私は恨んでいるからです。

さて、ここまで読んで頂き、ありがとうございます。驚いたのは私の半生は思ったよりも短く書けてしまうことですね。そして、私はこの先きっといいことがある、とは思っていません。生きてさえいればなんとかなるとも思いません。きっとそう言える人もいると思います。でも、その言葉は自殺してしまいたいと思っている人に投げかける言葉ではないのだと思います。もっと辛いことだってあるよ、も多分ダメです。実際自殺しようとする人に掛けられる言葉なんてとっても少ないのでしょうね。でも、私も自殺しようとしてる人がいたらきっと言葉は掛けてしまうと思います。どんな言葉なのかはわかりませんが、でもこう言った場面に限らず、どんな言葉を紡ぐのかはとっても難しいものですね。皆さんはここまで読んで私を自分勝手だと思いますか?我儘だと思いますか?私は当事者だからどうなのかわからないのです。でもきっと我儘なんだと思います。

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