見出し画像

ユニバーサル・カバラ2を振り返って。「勝利」のリプログラミングに至るまで

ユニバーサル・カバラを終えた後、カバラになぞらえてこれまでの事象を捉えています。

今回はユニバーサル・カバラ2が終わった後のこと。
ネツァック(勝利)の話。

「勝利」

私がSNSを使っていた全盛期は富士山の山頂に登ったこととか
あちこち旅行してること、
あたかも「スゴイおしゃんな店に行って外食してます」って、
それらをSNSで自撮りして自慢して、いい気になっていたのが思い出される。

しかしそんなふうに勝ち誇ってたのは土日祝日だけ。

いざ平日に戻ると、特別やりたいことでもない、
会社から与えられた仕事に対し、

ただただ心を殺して働く日々になっていました。

気持ちが生き返り、自分らしくふるまえるのは土日祝日だけ。
電車遅延がいつものように起きて、それに巻き込まれる。何が勝利なんだか。

そうした生活に私は全く「勝利」を見出せませんでした。

まがいもの

本当の意味で栄光を掴んだことも勝利を得たことも、なかったのかもしれない。

「栄光」だと思っても、「勝利」だと思っても
それは「まがいもの」でしかなかったのかもしれない。

ただひたすら突きつけられたのはゾンビたちとの戦いという現実だけ。

まるで「無間地獄」。

愛とか希望よりも「金」という指標がまず大好きだったから。
誰よりも貨幣を獲得することが全てだと思ってるから。

それが「勝利」であり「幸福」だと信じてうたがいもしませんでした。

外貨を獲得することが全てだと言ってるが、
その癖、もっと金を出してくれる会社に行くわけでもない。

一体自分はなんなんだろうか。

「安心立命」になれず、やりたくもない仕事かつアクロバティックな仕事にざわつきを覚える。
金が絡むことはいつも、機嫌を損ねる出来事ばかり。

一体何が勝利なのだろうか。

だんだんわけがわからなくなっていました。

総括

お金を得て地位を得て勝ち誇る、
しかしそれで満たされるわけでもない。

金に生きる意味を見出しても不毛なだけなんだ、と気づくようになるために
かなり長いステップを踏まなくてはなりませんでした。

それだけ「勝利」に対しての思いが、
「誤った思い」を抱えていたのが

「リプログラミング」されて初めて
実に長い歳月のうちに

「間違ったことを正しいと信じ込む」と「プログラミング」されてきた、という実感をするものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?