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ユニバーサル・カバラ4を振り返って。破壊的変更をもたらした「叡智」

ユニバーサル・カバラを終えた後、カバラになぞらえてこれまでの事象を捉えています。

今回はユニバーサル・カバラ4が終わった後のこと。
コクマー(叡智)の話。

破壊

「俺に構うな」という態度が、これまでの人生で
私から周りの人間を遠ざけていっている。

かつて「10年来の友人」と思っていた人がいた。

かつて同じセミナーで一緒になったご縁で、
同じ趣味を持つことで意気投合していった。

「俺に構うな」という態度丸出しだった私が築き上げた
数少ない友情と言っても差し支えないだろう。

しかしあることがきっかけで
自分の生まれた故郷の街を貶められたことに激昂した私は、
その友人グループの輪から去ることを決意した。

「10年の友情」はある一つの出来事で破綻した。

もっとうまくやれなかったものかなとも思ったが
相手のリスペクトをするというのは難しいもの。

「叡智」

私はとにかくいろんな人と仲良くなりまくるのが大事だと思ってたし、
「絆」というものを大切にしてるつもりでいました。

人と人を区別してはならないのだと。

しかし友人や仲間を作り続ける行為に疲れたある時、何かに気づいてしまった。
ある時、スッと自分に「何か」が降りてきたような気がしたのです。

「叡智」なのでしょうか。

「人に会いまくる行為は、困ってることの連続」なんだと。

人が人に会いにいく理由は「困っている」からだと。

会いに行きまくる行為の最たる例は婚活だったり、セミナージプシー、
スピリチュアルジプシーであったりする。

自分が困ってることの解決策を持ってる人に会えば、解決策を提示してくれる、
なんとかしてくれる。

人は人に会うことによって自らを磨き上げることができる。
人と渡り合うことによって自らを成長させることができる。

しかし、人に会いに行きまくるというのは
「なんの課題も解決していない」ことに他ならない。

会いに行きまくるけど、自分の持ってる何の課題も解決していない。

そんな状態なのに、たくさん人との関係を作り、会いにいくことに、
一体なんの意味があるのだ?

たくさん友達がいることがすごいことなのか?誰かに自慢できる話なのか?

否、それは何にもすごくない、自分をただ大きく見せたいがだけのこと。

気づいた時には当時行ってた起業セミナーに行くのをやめたり
意識高い系イベントに行くのをやめたりしていました。

気づいた時には、自分で築き上げてきた、
たくさんの人たちとの関係性を自らぶった斬っていました。

そして私は独りになった。
周りからはただの「独りよがり」にしか見えぬであろう。

アデプトになった私は半年経ってたくさんの人間関係を切り捨てた。
イエスキリストがそう望んでいたのだろうか?

アデプトになった私が望んでいたのは
たくさんの友達に囲まれることではなかったようだ。

一度切れたヨリは、戻せない。斬り捨てて残ったものが全て。
それは、互いにライトワーカーになったとしても、変わりはないのだろう。
手出しは無用なんだろう。

「死と再生」の輪廻があるのだから、一度「死」を迎えたものの復活は叶わぬのだ。

一度死んだものは新たなものへの「再生」のサイクルにいるので
全く別のものに生まれ変わるだけなのだ。

その縁を通して「叡智」を手にして欲しかったのでしょう。

終わりに・破壊的変更

夢も

友人も

何もかも

手に入れた、長続きした試しがない
しょせん、自分には理想が高すぎたのか?

そうではなく、一度でも通しで手に入れたものから「叡智」を受け取り

これまで築き上げてきた
「間違ったことを信じ、正しいことを拒否する」価値観を壊すことが

そんな破壊的変更が、一番大事だということです。

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