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ユニバーサル・カバラ1周目を終えて。王冠(ケテル)到達後に日常生活へ戻った話

ユニバーサル・カバラ4まで終わって
王冠を取り戻した(1周目)戻ってきて翌日のセミナーで揺れる出来事があり、

ヒドイ話かも知れませんが、王冠取り戻して早々落ち着きがありませんでした。

22の平行現実があるというが、その中で一番厳しいルートを歩んでるのでないか??
そう思ってるくらい慌ただしかったのが、ことのほか落ち着いています。

このところヒーリング受けたせいか、穏やかでいられる。
いつもこれくらいならいいのですが。

ユニバーサル・カバラで「至高の三角形」に到達して何を得たのか。

「王」たるあり方を示せている

王冠を手にした、と言ってますが、普通に日常生活に戻りました。
別に目上の人を差し置いて偉くなったとかそういうわけでもない。

しかし、これまで以上に、仕事だったり人生だったりに
主導権を握るようにな流れを感じています。

カバラのセミナーでも言われてますが、
「普通の生活をしてたら誰かの家来になったり、王様になったりの繰り返し。
 本当の王は、ただ一度も家来になることはない」

私たちは生まれた時はもともと王様(女王様)ですから
自分の人生に主導権を握るような流れになるのも、
必然と言えるのかも知れません。

私たちは本来誰かの家臣でも家来でもなく、王(女王)として生まれた。

それが理屈でなく、体幹で理解できるのが
ユニバーサル・カバラの学びだと思います。

王(女王)である矜持を捨てた結果が、東京の満員電車

カバラのリトリートから戻って、久々に満員電車に乗りました。
久々に見た、おどろおどろしい光景。
満員電車にこぞって人が集まり、ぎゅうぎゅう詰めになる。

それはまるで、収監車に詰め込まれる奴隷たちのごとく。
彼らの誰1人として目に輝きがない。

ささやかな幸せを、数少ない空席に座れることで見出す。
しかして、寝てる人の表情に幸せはない。
王(女王)でなく、まるで奴隷であるかのように。

満員電車にのることごとくの人は夢や希望を追いかけるでなく、
ただただルティーンに飲み込まれることをよしとする奴隷のよう。

そこに幸せもなければ、王(女王)としての矜持もない。
だけども生活のため、幸せのためには基盤たる仕事をするしかない。

多くの人が奴隷と身をやつすに至っており、妥協点が満員電車に集約されている。

満員電車を見てるとわかるのは、人の集合意識として、
奴隷としてルティーンに飲まれることをよしとしているのが見えること。

どこにでも聞き分けのないやりづらい上司や、
鬼のようにタスクを振ってくる面倒な上司はいる。

そんな悪魔の化身のような連中に対して、
ペコペコして我慢しながら歯を食いしばって仕事をする場所、
それが会社だ。

会社では仕事の相手も仕事の内容も選べない。

どんなに嫌な、めんどくさい上司が嫌だと言っても
奴隷となると決めた以上、その時点で「選ぶ権利」は剥奪される。

だが生活のためにと言って、それをよしとして奴隷になることを
自ら選んでるのだから世話はない。

満員電車に王、女王として矜持を持っている魂は、そこにはありません。
私も含め、自ら王、女王であることを手放してしまっている。

終わりに

1人でも多くの人が、自分が王(女王)でなく奴隷なんだという
「仮想現実」から抜け出して、王(女王)として
真の人生を歩めるようにすることこそが「勝利」。

仕事にやりがいを求めるとか
そういうことにとらわれずに生きていけるのが一番良い。

悪魔たちの采配から1人でも逃れ、跳ね除けること。

不要な事業が一つでもなくなることが、集合意識の改善の早道。
たとえ誰かにやりたくない仕事をやらされていたとしても、
誰かの役に立てればそれは祝福されるべき事案。

自分で仕事を作り出せない限りは
本当の意味でやりがいは見出せないかも知れない。

多くの人が仕事を与えられてる側で
歯を食いしばるような毎日は仕方なく思えます。

どれだけの人が今の仕事を辞めたいと思ってるか定かではない。
表情には出さないが、現状に引導を渡してほしいと思ってるのかも知れない。

「隠された自分の人生への扉の鍵」を、探してほしいと思ってるのかも知れない。

自分が奴隷だと思ってるが、本当は王(女王)として、王冠を取り戻したいのかも知れない。

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