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ユニバーサル・カバラ2を振り返って。周囲をひれ伏させたいための「栄光」が誤りだったということ


ユニバーサル・カバラを終えた後、カバラになぞらえてこれまでの事象を捉えています。

今回はユニバーサル・カバラ2が終わった後のこと。
ホド(栄光)の話。

下克上

親族の実家を見てみると、
親族の皆が学校やどこかしらの団体から表彰状をもらっている。
自分はそういうのを何ももらっていない。

優秀な親族と比べて私には何もない。
「栄光」と呼べるようなものは何もない。

若い頃はそのようにずっと歯噛みしていました。

一つ一つのコンプレックスを打開するのに、
私の場合はかなりの時間を要しました。

下克上、出世欲といった野心が生まれたのがいつだったかは定かでありませんが
コンプレックスを解消するのが名誉ある地位、称号だということ

私がそのように認識するのに、そう時間がかかることではありませんでした。

「栄光」

人と話すのが得意でもなければ好きでもない。

コミュニケーションスキルという単語がとにかく嫌いでした。

人と話せない人間は社会から孤立してしまう。
周り中敵だらけだし、自分だけ誰からも取り残されてしまう。

そういう恐れが自分の中に渦巻いていました。

じゃあどうすれば良いのか?

答えは「技術信仰」。

とにかく技を磨いて、自分ができることを証明して周りの人間を認めさせる。屈服させる。

IT技術者である私はたくさんの資格を取りに行きました。
中には100万円かかった資格もあった。

たくさん金がかかっても、認めさせたかった。

たくさん資格をとった私は社内でも「資格マニア」と言われるようになりました。

100万円の資格を受けに行って、落ちて初めて
資格を取るにとって認めさせる、というのが
「栄光」でも「やりたいこと」でもないと初めて気づきました。

終わりに

「栄光」と「勝利」ってなんとなしに似てるから、
「ホド(栄光)」と「ネツァック(勝利)」に関しては
若干混同しがちかもしれない。

「勝利」「栄光」というのは失敗があって崩される。
そういう意味ではどのセフィロートでも同じことが言えるかもしれませんが。

何かしら失敗をして初めて気付かされるのが
誤った「栄光」であり、

「真の栄光」がなんなのか書き換えてくれるのがカバラのすごいところだと思います。


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