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真心を込めて行うということ。その真心は、誰のためにある??

「あなたのためにと思って真心を持って接してくれてる人は、あなたの周りに誰もいない」

かつて私はある人に、この痛烈な一言を食らいました。
正直言って認めたくなかったのですが
弁解の余地もないくらいに、本当にその通りだったのは覚えています。

まったく認めたくないから探したし
自分に関わってくれてる「友達」が
「真心で自分に接してくれてると思うようにした」が

その人の言うとおり、私の周りに真心を持って接してくれる人は誰もいなかった。
「あなたのために」と口だけはいう人はいたが、

きっと本心からではなかったのだろう。

じゃあどこにそんな人がいたのか?
まるで蓬莱の玉の枝を探す以上に難題を突きつけられました。

真心が返ってこない理由

「真心を持って接してくれる人」

今もそんな人は誰もいない認識ですが、
あの時と違ってこれだけはわかる。

私自身、近親者や他人に対して真心を持って接したことがない
だからそんな人間に真心を持って接してくれる人間はいない、

それくらいのことはわかる。

誰かのためにやる気がないのは
私が近親者との仲が育めない家庭に育ったから。

生育過程の中で、近親者のために何か貢献したい,
と思うことはなかったのが思い起こされる。

一番身近だった近親者にすら
「真心を持って接しよう」なんて思わなかったのに

いきなり外に出て血の繋がりのない赤の他人に対して
思うようになれるのか??

コーチの言うように、誰か真心を持って接してくれた人間がいたか?

当時いた500人程度の「友達」の中には誰かいたのか?

腹の底から話せる間柄の人が誰かいたのか??

私に接してくれる人間はいたものの
そこに「真心」、「愛」があったかと言えば
そういうものはまったくなかっただろう、

どこを探し回ってもおらず今もいない。

昔はいたかもしれないが、しかしそのことを私がすっかり忘れて果てていた。

すっかり忘れ果てたということもあって、とてもじゃないが
「誰かのために」と言うふうには思えないし言えない。

誰も「真心を持って接する」ことはない、
自分がやらないんだから、真心なんて返ってくるわけがありません。

その起業は誰のためにやるのか

かつて起業塾にいたときに

「誰かのためにやることが結果として自分のためになる」

そんな教えがありました。

「誰のために?」
起業においてはそれを問われることばかりでした。

起業においても相手をしてくれる相手がいて成り立つから。

起業塾生活については結局その答えが出せずじまいで終わりました。

結局起業一つするにも「真心」が必要なのだろうが
「誰のため?」そんなふうに言われたって、

真心を向けるべき相手が思い当たらない。

そもそも何のために高い金を払って起業塾の門を叩いた?
誰かの役に立ちたいから?

日本をもっといい国にしたいという意志があったからか??

いずれも違う。

会社に行かなくても生活できるくらいの金が手に入る強さが欲しかったから。

手段はなんでもよかった。

塾長が言うようなこの国を改革して変えよう、
誰かのために生きようなんて志は一切ない。

あるのは金のためだけに心を殺して
無心で会社に行き続ける日々を無くしたい、ただそれだけ。

「誰のために?」

普段の会社の仕事は、何のために我慢してやってると思ってる?
家族のためか?

まだ見ぬ友人や恋人のためって言えるか?

それともかつての起業塾の仲間たちみたいに
「ニッポンの未来のために」ってか???

どこからどう切り取っても「自分のため」、
今日の飯を食って明日の飯を食って土日祝日に酒飲んで旅行するため。

自分のことで精一杯なのに、なんで赤の他人のためにやらなきゃならんのだ。

そう思ってるうちは起業なんて苦しかったのでしょう。

終わりに

かつて独立して失敗した人を見るに
「誰のために」という定義が曖昧なまま独立して

また元の会社にUターンしてきた人も見てきました。

「自分のため」、それはそうです、自分の生き様を表現するために

会社を辞めてフリーランスであることを選ぶ、

ということはそういうことなんでしょう。

しかし起業して誰かを相手取るといういうことは

「誰かのための商売」ということ。

結局は「誰のために」というのが問われるのです。

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