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会社との戦い

3年間というのはひとつのターニングポイントとされる。
私も会社の仕事に慣れて毎日をやりくりするのに大体それくらいかかった。

大学時代にゲーム開発者を目指して取り組んできただけに
最初の会社で配属された部署の業務が、
大学時代に取り組んできたことが否定されたかのように、
全く違う業務をやらされることになった。

これまで研鑽してきたことを無駄にされたようなことが気に食わなかったが、
生きるためにはこれしかないと割り切りひたすら自分を殺し、
IT技術の研鑽に努めた。これこそが俺の生きる道なんだ、と信じて。

3年という年月は一つの環境に慣れたり
あるいは仕事に慣れてプロと言える技量を身につけるための
一つの目安の期間と言っていいだろう。

3年という年月

私が新卒で入って3年。
この3年の間で辞めていく同期入社の人間は少なくなかった。

私がようやく社畜として会社に従順になったのを横目に
同期たちは会社に嫌気が差し、
自分の生きる道を見出して次々と辞めていった。

入社して3年の間は自分の希望した未来に叶わず、とても悔しかった。
その気持ちを殺すことに専念していて
自分の好きなことが何だろうって考える余地もなかった。

そんな若い頃に心を殺してやってきたその結果が今だ。
同期の彼らはとても器用で、会社の地雷っぷりを見抜いて早々と辞めていった。

俺は何をやっても出遅れるばかり。
心を殺してやってきたツケはあまりにも大きすぎた。

「いつまで俺は会社の奴隷としてやっていかねばならないんだ」
会社にいる間、そのように苦悩する時間が長かった。

やりたいことがわからない

社畜として飼い慣らされていくうちに
「会社のやりたいこと=自分のやりたいこと」
にすり替えられた。

そうしていくうちに、いざ冷静になって
自分にやりたいことってなんだろう?
と冷静に振り返ると、全くそれがわからなかった。

起業家を目指した時代は、何をやるにしても「自分探し」だった。
そうして数々の失敗を重ね、今に至る。

「やりたいことがわからない」という若い人に会ったことがあった。

会社で心を殺して働いていた時の俺もそうだった。
そういう人になんて言えるだろうかね。

「会社に無理して入ることはない。辞めたきゃ辞めていい。
親のスネをかじるのが問題なければ
親元にいながらやりたいことを見つけていけばいい」とかかな。

会社や学校のように枠組みで押さえつけてくる共同体がキツいなら、
あえてその枠組みに入ってやる必要なんてない。

会社の枠組みであるとか秩序が居心地良い人も中にはいるんだろう。
俺にはそれが信じられないが。自分で自分に都合の良い秩序を作って、
それを振りかざしているのだとすれば、そりゃあ気持ち良くもなろうよ。

それ以外は単にいづらい場所でしかない。
無理する必要なんてない。

まるで自分のことを棚に上げるようだが、そう言うしかないだろう。

総括

会社において日々何を思いながら働くだろうか。
自分の人生においてやりたかったことが会社にあるんだろうか。
それならばそれで問題はない。

自分の人生を生きたいのであれば、
なけなしの時間であっても足掻いていくしかない。
本来の自分というものに巡り合って、向かっていくしかない。

3年と言う年月にこだわる必要はない。

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