見出し画像

「普通」であること

多くの人はこの虚構の現実を信じきっている。
多くの人たちはマトリックスの異変に気付きながらも、

普遍性ある自分を演じていくうちに、自分のアイデンティティを失ってしまった。
普遍性の地獄というものがマトリックス(仮想世界)。

そう、会社の優等生だったり、良い奥さんだったり。
その場その場で、人は何かしら演じてる役割がある。

自らのアイデンティティを取り戻さねばならない。
それが自らをマトリックスから救うこと。

普遍性から解き放つことが役割としてある。

マトリックスに最適化された者たちは
非普遍的な者たちをいじめたり除け者にしたりする。
こうしたことで個性の強いものが生きづらい世の中が出来上がっている。

思えば私も学校での集団生活のくだらなさというか
普遍的なものに乗っかるくだらなさというのかな、
そうしたものから離れていくうちに
いつの間にか同級生の集団からも距離をとるようになった。

その積み重ねで、いつしか私に近寄る同級生はいなくなりました。
会社に入っても人から避けられる(特に女性社員から)のは顕著だった。

普遍的になれなかったことに後悔がなかったか?
でいえば、まぁ後悔したこともありましたね。

なにしろ人生でアルバイトなんてしたことなかったもんで。
アルバイトをしたことなかった学生生活を
社会常識が身についてないだのなんだのと
社会人新卒になってなじられたことがあったな。

当時は学生時代に社会経験を積まなかった後悔はしたものですが
今にしてみればそんな経験値があろうがなかろうが
たいした問題にならない、とは理解しています。

そんなわけで「そんなの自慢になるか」というのが持論としてあるわけだが。

会社に入って学生時代にアルバイト経験をした社員の方が圧倒的に多い。
ごく稀レベルではあるけれども
学生時代アルバイトしたことない人と関わることもありました。

そういう人たちもかつての私と同じように
「アルバイトしなかった奴は社会経験がない」となじられていましたね。

そういう人を見るたびに、「そんなもん、別にいんじゃないのしなくて」
ってフォローしたこともありましたね。

「気の合わない人間と一緒に仕事することほど苦痛なことはない」
と思ったから俺はやらなかったので。

アルバイトをしなかったことで何かメリットがあったか?でいえば
社会経験のない若者のフォローに回れるようになった、
ということじゃないでしょうか。

この「学生時代にアルバイト経験のあるない問題」に近い話題で言えば
近頃は不登校児童が増えている、というものがあります。

社会常識だとか教養が身につかないとかそういう懸念がありますが
別にそのことで生命を盗られるわけじゃない。

社会のため、家庭のためと自分を殺したその結果どうだ?
鬱になるとか、離婚が増えるとか社会問題で色々上がっている。

普遍性の地獄に入り浸ることの方がよほど苦痛だろう。
それを避けただけでも「善の選択」と思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?