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ユニバーサル・カバラ3を振り返って。「味方がいる」という名の「慈悲」

ユニバーサル・カバラを終えた後、カバラになぞらえてこれまでの事象を捉えています。

今回はユニバーサル・カバラ3が終わった後のこと。
ケセド(慈悲)の話。

あなたの人生は誰がため?

ITフリーランスなりたての頃、私には親兄弟含めて
周りに誰も味方がいなかったことが思い出されます。

「私はあなたの味方(友達)です」なんて言ってた者たちは
みなビジネスのことでしか絡まない人たちだったので、
自分の味方ではあるかもしれないが
話する内容がビジネスのことばかりだったので
同じ時間を共にして付き合うことそのものが

ただただ、面倒を通り越して窮屈、苦痛でしかなかったのです。

当時の私は、時間も金も、何かにあるいは誰かに捧げるだけの毎日でした。
そのたびに「自分の人生は一体誰のためにあるんだ」と
ただただ、私には葛藤するしかなかった。

自分のために使える時間がなけなしのものでしかなかったし
そのくせ周りに味方は誰もいない。

ただそれでも「誰かの言うことを聞いてる方が楽」という思いも抱えていて
ずっと矛盾した感情が私の中を渦巻いていました。

「慈悲」

そんな私が唯一「味方」と呼べる人物がいました。
年は自分の父親ほども離れるけど、面倒見がとてもいい人が。

お金のことで悩んだり
仲良くなった人によくわからないセミナーに誘われたりしたこと、
そのことあるごとに相談に乗ってもらったし

「きちんとした相談相手が、フリーランスで孤独になってしまった自分にもいる」

そんな安心感がありました。

私はその人のおかげで「自らのアイデンティティの死」を免れることができた。

私がスピリチュアルの道を進んでからでしょうか、
アデプトになって、アダムカドモンになってとステップを踏んでいくうちに

次第に自分を縛る、窮屈な人間関係が離れていきました。

実家にいる時、通信教育でペン習字を学んだ事があるが、
結局字が綺麗になることはなかったし

その上、字の汚さを会社でも注意されるし。

今は、人に見せる時だけはそれなりに形になった字を見せるようにしてなんとかなってる。

パソコンのキーボードばっかり打ってるので
文字を書くことそのものがほとんどなくなった。

手書き文字をやる必要が、実生活でほとんどなくなってしまっていた。

それと同じように「私はあなたの友達です」と言ってた人たちは
いつの間にかことごとく消えてしまっていた。

私から離れていった、あるいは手放していった関係の中で数少ない生き残り。

今いる世界は「峻厳」でしかない。しかしながら
互いに辛苦を共有できる仲間がいるという「慈悲」が確かにそこにあった。

総括

「峻厳」の後の「慈悲」が見えればいよいよ「至高の三角形」が見えてきます。

至高の三角形に入る前に全ての準備を整えて。

「言の葉よ、聖なる疾風の刃を帯び、勇ましき正義の剣となり悪を撃て!
 地の精よ、己の四肢に堅固なる母なる大地の力を与えよ。
 清流よ、龍の怒りで不浄なるもの全てを流したまえ!
 天使の劫火よ、神に相応しくない悪鬼の化身を焼き尽くせ!」

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