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「仕事」と「使命」を一致させるために、心の重荷を取り去ること

やってる「仕事」と生まれ持った「使命」が一致すること。

これがなかなかうまくいかないもの。

さて、平日の満員電車に揺られて思うのは、
満員電車に揺られて乗ってる人の中で、
仕事と使命が一致して、毎日やりがいMAXで日々過ごしてる人が、
果たしてどれだけいるだろうか?ということ。

私の友人は「会社員以外の生き方があるかもと考えたこともあったが、もう諦めた」
と言っていました。

「諦めた」、

そういう人が1人ではないのだろうとは推察しています。

「仕事」と「幸せホルモン」

少なくとも私は今のIT会社従事が「一生モノの仕事」でないのは、
人生のある段階で気づいてしまっていました。

だから日々生活をやりくりする日銭を稼ぐ平日において
「仕事」を通して「幸せホルモン」が分泌されている感覚は
全くありませんでした。

仕事のキリがいい週末土日にお酒を飲んだり、
旅行行ったりすることで
ストレス発散、幸せホルモンの活性化を図っていました。

私がヒーリングをクライアントとして受けに行った理由は、
違和感MAXの現状だけど、だからと言って本当の充実感、
幸せを得るための打開策がなく、

「自分の中の何か」を変えることで打開策を見出したかったから。

ずっと同じサイクルの生活の中で、1人で悩んでたって
答えが見つからないから。

今の仕事に違和感を感じてからだいぶ経つし、
なかなか現状を変えられないので、
当然「諦め」という気持ちも当然私の中に去来していました。

しかし、それでも「諦めの悪さ」が優ったのでしょう。

「仕事」を通して充実感とか「幸せホルモン」と
隣りあわせになるようになれることを、心底諦めていませんでした。

「人間」の価値観

私はある人から
「人間辞めろ」

と言われたことがありました。

ここでいう「人間」ってのは、「お金」とか「社会的地位」とか、
そういう価値観に定義されてしまった存在を意味します。

人間をやめて天使とか悪魔になれと言われたわけではない(だろう多分)。

今からすれば、あの時言われたことに素直に従ってれば良かったと思いますが、
あの当時は、言われたことを真に受けて受け入れるには、余計な重荷が多すぎでした。

終わりに・執着の終着点

今取り組んでる仕事にしてもなんにしても、
「形あるもの」である以上は、
いつかは終わりの時がやってきます。

仕事にしても定年までやるかクビになるまでやるかで、
永遠に同じ仕事をやれるわけがない。

頑丈に見えるコンクリの道路だってボロボロになるので
いつかは補修工事しなくてはいけません。

物質世界では、いつまでも恒久的に残るものはありません。

だから何をするにも「どう終わるか」を考える必要はあるし、
なんにもしなくてもいつかは考えることになります。

昔の知人がよくいってたのは
「終わりよければすべてよし」で、
まさにそのとおりで、そうしたスタンスが終着点であるべきでしょう。

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