見出し画像

浪もすがら君想う

木を見て森を見ずという言葉がある。
作品や群、概念などを、構成する一要素のみに注目し全体に視野を向けないことを批判するものだが、こと文芸において読み手が森を見ることは本当に可能なのだろうか。
作品の全貌を真の意味で理解するためにはそれの属する、あるいは周辺に存在するすべての分野についての体系的な知識と作者のバックボーンについての知識を網羅する必要がある。それがほとんど不可能と言って良いことは議論の余地もないだろう。
その上、仮にそれらを達成し、森を見たとして、その者の視点は本当に読み手のそれと言えるのだろうか。
文芸に関しての学びを深める中で、真っ当な機関なら授業の一環で、そうでなくとも学びの一環として創作に手を染める機会はほぼ確実に訪れるだろう。創作分野に手を出した者が同業者の作品を純粋な読者として楽しめなくなることは実体験として頻繁に語られる、有名な話だろう。つまり、学びを深める中で読み手は、書き手として森の中に入っていってしまうのではないだろうか。
だとすれば読者は書き手の意図を汲み取った上に純粋にかつ客観的に作品を楽しむことは不可能ということになる。なんと悲しい話だろうか。

こんにちは、鴉語です。あがたって読みます。
更新期間が大きく開いてしまいました。いないとは思いますが楽しみにしてくださってる方がいたら御免なさい。
4月になり、僕と同じ浪人日誌投稿者が増えてきました。全体として見ると浪人生の合格率は現役生とそう変わらず、一年追加で勉強していることを考えると大変悲しい結果となっていますが、予備校のクラスによっては7-8割などの高い合格率を誇っているところもあります。ここnote予備校もそうであることを祈り、切磋琢磨していけたらなんて思っています。

さて、先日の日誌でも申したように、最近動画を作っております。cevioAIの小春六花ちゃんに声を担当してもらおうと思い調声に励んでいますが、一部の単語の発音が表現し辛くとても苦戦しているのが現状です。特に「浪人生」と言う単語を六花ちゃんが知らないようでなかなかうまくいきません。小樽潮風高校、結構高偏差値のはずなんですけどね。
調声において音感があればと思わずにはいられません。今までは音楽でのみ役に立つ技能だと思っていましたが、最近その有用さを感じる機会が多く、いつか見た音感持ちにとってそうでないことは障碍を持つことに等しいと言う主張に改めて共感しました。

勉強面についての経過報告は今後のnoteや動画の方で行おうと思っています。最後まで読んでくださりありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?