すぎはら さや

9歳の頃からオーストラリアに住んでいます。海外に住む人間の視点からつらつらと好きなこと…

すぎはら さや

9歳の頃からオーストラリアに住んでいます。海外に住む人間の視点からつらつらと好きなことを。 ▶︎好き:⚫︎絵を描く⚫︎音楽(スピッツ/sumika/AL)⚫︎猫⚫︎写真⚫︎ものづくり⚫︎美術館⚫︎映画⚫︎マンガ⚫︎アニメ⚫︎ファッション⚫︎美しいもの⚫︎絵本

最近の記事

エイリアン

最近気付いてきたことがある。 私の周りには宇宙人が多い。 もとい、宇宙人のような人、が多い。 である。 私の家族もみんな変わっている。 根っから変人の集まりのような気がする。 普通の定義がわからないけど、普通ではない、気がする。 好きだなと思う人や働き方が尊敬できる人はこぞってこの部類の人たちが多い。天使族もここに近い人がいる。天使も好きだ。 でも天使はとてもピュアだ。そして周りがその人をとても好いている。 そこがちょっと宇宙人とは違う気がする。 宇宙人は仕事ができる

    • mumi mushu

      無味無臭という言葉をここ何ヶ月もっぱら考えている。 この場合何を指しているかというと、例えば 「自分という存在を消して絵やイラストを描いたりする」 とかいうことだ。 いかに人に求められるモノを提示できるか。 人に求められるというのは何事においても自分の存在を認識してもらってから始まる。でも最初から「自分らしさ」をぷんぷんさせてしまうと、なかなか人には求められないような風習になってきている。 何においても(仕事でも)『自分』を最初から全面的に出してしまうのは怪訝な顔をされ

      • センス・オブ・ワンダーについて

        ここ最近の自粛生活の経験から、この先の生き方を改めて考える人も多いと思う。良いこと、不便だったこと。家から出来ることへの可能性、教育のあり方、などなど。 ひとつ言える事は、人間は忘れっぽい生き物で。そんなこともすぐに忘れてまた元の日々に戻ろうとする。現に私の周りの日常はすでに取り戻されているようだ。(そうみんな思い込もうとしてるだけかもしれないけど。) 私の場合は、仕事を辞めて程なくロックダウンに入り、すごく長いお休みをいただいたような感じ。疲労し果てていた身体と神経が緩

        • 大人とは感覚の先にある楽しい沼なのかもしれない − 箱の外

          私はそれなりにもうイイ歳なのだ。 同い年の友達などは結婚もとっくの大昔に済ませていて、それでいて子供も沢山いたりする。一般的に言えば、経験したいと思うことはそれなりに経験を済ませててもいい歳だ。 それが私と言えば、未だにタマシイと身体のバランスを取ろうとしているフシがある。まあまあ、10年前から比べてみればだいぶマシだが、てんで高校生の頃と感覚が実はあまり変わらない。もっと言えば小学生の時から根本は変わってない気がする。 大人ってなんだろう。ふと考えた。 何をもって大人

          自分のことは宇宙の広さぐらい未だにわからない

          日記が昔から書けない人です。ていうか苦手なんです。自分語りが苦手。 小学生の時に書かされた「先生あのね」ノートでさえも書くことが見つからなくて四苦八苦。感情を表現する事がとても苦手だった記憶がある。 基本的な感情構成が 『楽しい』『お腹減った』『好き』 ぐらいでできている人間で、ほとんどそれ以外の事を事細かく憶えていない子供でした。今もそんなにかわらない。 その割には「なんでこんなにつまらない人間なんだ」とか考えてた。 ええ、自分でも思うけどとってもめんどくさい人間なん

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