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「ライター」というシンプルな肩書

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巷で「ライター」「作家」の肩書についての議論をやっているようで、一応自分の肩書に「ライター」をつけているものとしては、なんとなくざわつくわけで。

肩書なんぞ本人が名乗りたいように名乗ればいいことで、それに対して他人がとやかくいったり踏み込んだりするものではないと思う。

だけど、自分が見てほしい肩書で他の人が見てくれるかといったら、それは見てくれないときもあるわけで。

ちなみに、私も自分としては「いや、それ違うし!」という肩書で勝手に書かれたことは何度かある。ただ、それに対して「違う!」ってことさら騒ぐこともできなかったような記憶がある。

なんというか、自分が自身の意図したのと違う肩書の人に見えるとしたら、そう見られている責任は自分にもあると薄々わかっていたからだと思う。

実際、まったくもって縁のない肩書で呼ばれたら、間違えんなって怒る話だろうけど、おおよその場合、「うーん、自分ではそのつもりはないんだけど、その要素も自分にあるのは否めないからな」って感じだったので、ことさら真っ向から否定もできなかった。そんな感じ。

ちなみに私も一冊書籍は出してるので作家と名乗っていいなら名乗りたいけど、でも、まだまだ自分はそうではない気がしてる。

正直いえば、いつかは作家・文筆家みたいな肩書をつけられたらいいなとは思ってる。

ただ、私はもしかしたらそうなっても「ライター」の肩書をなくさないような気がしないでもない。

まず、単純にライターの仕事が好きだから。取材もインタビューも楽しい。
あと、「ライター」っていう肩書があったからこそつながれた仲間たちもたくさんいるし、素敵な「ライター」もいっぱい知ってるから。

そして、つい最近思い出したのが、高校生時代に見た映画「レッズ」(http://movie.walkerplus.com/mv9671/)

「世界を揺るがした十日間」の作者のジョン・リードとそのパートナーで女性解放運動家のルイーズの激動の人生を描いたこの映画の中で、ダイアン・キートン演じるルイーズがダンスを踊った男性たちから「何をしているの?」と職業を聞かれて、私の記憶違いでなければ「アイ・ライト(I write)」(著述を)と答えていた。

それを見たときすごく憧れたんだよなあ。

「アイ・ライト(I write)」

こんなシンプルな言葉で自分は書く人だっていえるなんて、なんだかとてもさりげなくて素敵だなと。

たぶん、あのときから「I write」な肩書である「ライター」に私はなりたくて、それでなれて、自分が「ライター」って名乗れてるのがうれしかったりするんです。

いつか、誰かに英語で職業聞かれたら、絶対「I write」って答えたいと思ってる。

だから、つまりは、「ライター」というシンプルな肩書が、私はわりと好きなんですよね。


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