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「だれでもトイレ」は誰のものか?

 世の中には「知れば知るほど難しさの沼の深さに悩むものごと」で溢れているけれど、今回はその中の一つ、『トイレ』の問題に触れる……という前書きだけ置いて、ぼくが Twitter で綴った文章をほぼ転載するものです。
 当該ツイートは こちら

 では、早速引用を。

 ――※――※――※――

 トイレ問題はいろいろ難しい。
 子連れ時の、保護者による有効な児童性犯罪防止についての意見交換、あったよねえ。
 どれくらい前の話だったか。
 特に「男性保護者 + 女児」の組み合わせの場合の実行困難性が、未解決課題として残ったんでなかったか。

子どもの防犯・トイレ編 - Togetter https://togetter.com/li/870437 @togetter_jpより

 割と新しかった。

性被害対策集 ~子ども向け防犯訓練から痴漢対策、自助グループ情報まで~ - Togetter https://togetter.com/li/771675 @togetter_jpより

 初出は 2015 年か。
 何度も繰り返し議論される防犯テーマだよねえ。

 いやさて。
 トイレとは、そもそも根本的に「極めてセンシティブな領域」の一つなので、トイレで起こり得る犯罪などに対する防御には様々に限界があり、完全機械化など不可能な問題が複数ある。
 結局、最終的には「人同士による互助」に頼らねばならず、その点で完全防音の密閉型個室トイレは避けたい。
 子どもの登下校時の防犯でも現に行われているように、トイレの防犯であっても、
「不特定多数の個人による、複層的な監視に基づく防犯措置」
これが最も有効な策として落ち着くところがある。
 「外」は基本的に危険なんよな。


 「男」は、ただただ「単身の男」としてしか「外」と接しない限り、そうした「外」にある「基本的な危険」に極めて鈍感になりやすい。
 そのような鈍感さが強固に形成されやすい危険が日常化しやすいのも「男」だから、とも言える。

 「男児」もまた児童性犯罪の被害者になり得る対象ではあり、
「女性の保護者 + 男児」
この組み合わせのとき、男児は女性用トイレで保護されやすいところはあるものの、
「どんな年齢、体格までを「男児」とするか」
といった線引きに悩まされることになったりもする。

 いろいろ難しい。
 すんごい難しい。
 「境界問題」「グレーゾーン問題」は必ずあるもので、その領域の最中の「養育者による児童の保護」のベターな選択が「外出を控える」に落ち着きやすくなる。

 そこにきて、この文脈の流れのこのタイミングで「だれでもトイレ」について検討すると、
 「だれでもトイレ」とは、その字ヅラとは裏腹に、
 「結局、弱肉強食的な、強者の横暴が罷り通りやすいトイレ」
こう解釈せざるを得ない「弱者に対する防御の弱さ」が備わっているものと言える。
「混ぜると危険だから分離したんじゃんね?」
 こう突っ込まざるを得ない。
 ここで「そんな大袈裟な」と安穏として返せるのは、危険に晒される経験に乏しく、危機感が希薄な個人が主になってくる。
 事が起これば「性犯罪被害」は成立してしまうので、いかに事後の対応が為され、「命だけは助かる」ような事態で収まろうとも、「被害防止策としては失敗だよね」と断じなきゃいけない気がするのよね。
 ここでも「死んだわけじゃあるまい」に類する「二次加害」が多々起こるのが常なんで、先に刺しとく。

 「被害者になり得る弱者の立場」に立って考えるとき、一定以上の防犯効果を満たさない公共トイレとは、
・無い方がマシ
・利用の選択肢に入れたくない
これが基本的な心理になるだろうし、便意などがよほど切羽詰まっても、どうかすれば「それでも危険なトイレを利用するくらいなら漏らす方がマシ」といった選択を導かせ得る。
 また、「そんな危機状況に陥るくらいなら、外出先の選択肢に入れない」が先に生じると考え得る。
「そこで謳われる「安全」とは、どんな属性の個人にとっての、どんな「安全」を意味するものですか?」
 こうした検討が詰められてない感じは、トイレに限らず社会の至るところに多々紛れてるよねえ。


 そうそう。大事なことなので書いとかないと。
「防犯に 100 % は無い」ので、どんだけ具体的に用心に用心を重ねても、犯罪被害に遭うときは遭います
そもそも「人」自体が重大なセキュリティホールなので。
しかし、その事実は防犯の必要を一切否定しません。
減らし得る犯罪は防犯で減らすのが当然。

 ――※――※――※――
 ほぼ引用は以上。

 今回ぼくが「だれでもトイレ」を目にしたきっかけは、性的少数者、特にトランスジェンダーと総称される人々のトイレ問題を中心とした議論(議論だよね?)であり、対児童性犯罪に直接関わるものではなかった。
 けれども。
 「トイレ」、とりわけ「(公共の)女性用トイレ」には、歴史の部分にまで踏み込む必要のある様々な「弱者の安全問題」が絡む「権利獲得のための公権力との闘争の歴史」が下地にあり、同時に、児童の安全性確保の問題もあり、いずれも依然として十分と言えるような解決が為されていない現状がある。
 そうした「弱者保護のための保安問題」がおざなりなまま、当座の対策としての「トイレ空間の男女別化」を全面的に無いものにしようとする動きがあることには、どうにも危機感を刺激されてしまうわけですよ。
「歴史の針を逆に戻すんすか?」と。

 いろいろ難しくて悩ましいと頭を抱えつつ、トイレ問題については、その基礎の一つに「建築基準法が実質的に機能していると言いがたい状況があるから」ではないかと思いもし。
 他にも様々に要因が絡み合っていることは分かるので、どうにも容易でないなと、途方に暮れている。

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