働き方改革にはもう飽きました

ここしばらく「働き方改革」って言葉について思うことを書きます。

まず、労働基準法の「36協定」の運用を見直しが実現されましたが、過労死ラインギリギリのところで落ち着いちゃいました。

副業容認も名言され、有名企業も副業解禁をスタートし始めましたが、大方の企業は様子見…という印象です。

これからの労働人口の現象を考えると、劇的に生産性を上げる必要があり、のんびりやっている余裕はないと思うのですが…

期待よりもだいぶノロノロ感たっぷりですよね…今の雰囲気でもやもやしたまま東京オリンピックを迎えてしまいそうです。

以下だいぶ前の記事ですが、いろいろと私も書いています。

ですが、私自身、最近あんまり「働き方改革」という言葉、使わなくなっちゃいました。

飽きちゃったんです。

なんで、のんびりでしか進まないのか、ちょっと考えてみたところ、その原因は「特別なことを始めよう」としているからカナ、と思いました。

「働き方改革」という言葉、「特別なことをを始めよう感」、ありますよね?

そもそもなんですが、働き方を顧みて、改善すべき点を見つけて、改善策を考えて、必要なポイントについて行動や習慣を変えていくのって、日々常にやるべきことかなと。

あえて号令出さないとそれができない状態、あえて「改革!」と銘打たないといけないほど凝り固まった状態が、実は異常なのかなと思っとります。

「働き方改革推進会議」とかあったら、その会議でしかその議論や意思決定ができないように見えるし、「働き方改革推進担当」とかいたら、それ以外の人はそれについて考えなくてもいいように見えちゃう。

これ、ちなみにですが、実は「IT推進会議」とか「IT推進担当」とかでも全く同じことが言えます。

あと「新規事業推進会議」とか「新規事業推進担当」とかも同じです。

役割に名前を付けちゃうと、それ以外の時間、それ以外の人は、「自分事化」がしづらくなるというリスクがあるんですよね。

なので、真の働き方改革は、「働き方改革だ!」などと大号令出さずに

・「この仕事ってどうなん?やる必要あるんだっけ?」
・「この作業、毎日2時間もやってんの?ゲー!絶対マクロとかRPAとかの出番じゃーん」
・「これ…君がやる必要ある?アウトソーシングできない?」
・「はーい、定例会議棚卸ししますよー」
・「もう、電話多すぎなんで、減らしましょ」

というのを、日々積み重ねて、静かに進めるべきものなのではないかと思いますよ。

働き方を良くしていこうというのを、経営者を筆頭に全員の常日頃の「ノーマルモード」にも実装していかないと、ただの祭りで終わっちゃう。

ただ、そこが難しいんでしょうね。


まあ、祭りな感じのおかげで議論が盛り上がっているという点はあるかと思いますけど。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?