コロナで考えたこと
書きたい欲が爆発してさっきからひたすらタイピングしているので腱鞘炎になりそうです。なんか手の血管がみるみる浮かび上がってきてる。腱鞘炎ってなんなんだろ、詳しく知らない!あとでしらべよ。
期待の話をしたときのこと。
その時わたしがストレスフリーで生きている理由がストンとわかった。
不安って自分に対しての期待からきているよねって話になって、(シェイクスピアの名言にもある、シェイクスピアの言葉って全部かっこいいよね)
その時自分の頭の中で
「不安」ってなんだとみんなが期待の話をしている中で自分の興味は「期待」よりも「不安」とは何かだった。
私最近不安感じてないわっておもった。
てことはさ、自分自身に対しての期待ゼロってことなのか
答えとしてはたぶんそう。私は自分から自分への期待もしないし、自分から他人への期待もほとんどしない。他人から自分への期待は、親からの期待とはほぼ無縁な人生を送ってきたから、ほかの人から期待をされていると感じてもむしろそれをありがたく思ってエネルギーに変えるタイプだ。
たしかに自分への期待はない。
でも、自分へのプライドは人並みにはあるのかなと思った。
プライドがないと、バイトとか勉強とか(特に興味のない分野)そういう類のものは頑張れない。なぜなら別にバイトも勉強も義務ではないから、いやなら最悪しなくてもいいこと、自由。じゃあなんで私は少なくともそれをやっているのかというと、もちろん今のバイトはとてもやりがいがあるし勉強も苦ではないし目的があるからってのもあるけど、たぶんそれ以上にプライドがあって、の話なんだと思う。中途半端に手を抜きたくない。し、もしもプライドがなくなって手を抜き始めたらとおもうととっても怖い。
私の場合1個どうでもよくなって諦め始めたら全部崩れちゃいそう。だから道を踏み外さないように丁寧にわりと生きているんだと思う。それは何かにおびえているみたいであほらしいなと思う事もあるんだけど、それがきっと自分がより良く生きるためには必要なことなんだと思う。
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