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神様が私たちに望むこと

神様との質疑応答

質問:神がわたしに望むことはあるのですか?

回答:今日一日・今このとき・一瞬一瞬を幸せに受け止め、平安を感じながら着実に生きること。手が届く範囲にある仕事をするうちに、次のステップは向こうからやってくる。だから夢や希望を叶えるために思い悩まない。思い悩んでしまったら、夢や希望であるはずのものが、あなたを苦しめるものになってしまうから。

今日一日を、今のこときを、もっと楽しんで欲しい。本当に唯それだけ。

今日一日を生きる

わたしは子供の頃から運動が不得意で、体育の授業がとても嫌いでした。小学生低学年のときは確か体育の授業が1週間に一度で、その嫌で嫌で仕方ない日の前夜はおふとんの中でブルーな気持ちでしたが、翌日授業を終えてしまうとブルーな気持ちは瞬く間に消え、悩みごとから解放された気分で翌週までを過ごしたものでした。

家庭環境が良くなく、毎晩父が母を怒鳴りつける声、会社を経営していた父が社員さんを電話で怒鳴り散らす声を子守唄代わりにしていた子供時代でしたので、気が休まるときは少なく緊張状態に在ることが多かったですが、そのような中で、はっきり「悩み事」と認識していたもののひとつが体育の授業だったのです。

学生時代を終えるまでついて回る悩みでしたが、小学生低学年の頃の、前夜にしか悩まない切り替え力が、ふり返ってみると素晴らしかったなあと思い出しました。

今日一日と、せいぜい明日のことくらいしか思い悩まない、神に近い生き方をしていたから、夜はストンと眠りに落ち、良く寝て良く食べて過ごしていたと思います。

現在は依存症・摂食障害・睡眠障害を抱え、共存するのが年々上手になってきてはいますし、今はお酒を完全に断って7年以上も経ちますが、過去の後悔や不安の先取りをしてしまうせいで、様々な精神的障害が起こってくるのでしょう。

天真爛漫になるには

子供時代に戻りたいとは思えないような家庭環境でしたが、どこかあっけらかんと今を完全に受け容れながら一瞬一瞬をシンプルに生きていた、子供のマインドは取り戻したいなあと思います。インナーチャイルドに相談して、少しわけてもらおう。

過ちを償いながら生きる

これまでの自分自身の過ち全てをしっかり受け止め、無いことにはしない。出来ることを出来るだけやるし、何もしないときもある。これがわたしなんだと認め許し、生きたい。