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【おはなし】へび

 「夜の暗さは、揮発性を帯びているんだ」
 へびが言いました。
 へびはその大きな口で分厚い本を一冊丸ごと飲み込むことができました。そのため難しいことをたくさん知っていたのです。

 「きはつせい?」
 かえるがたずねました。
 「液体が蒸発していく性質のことさ」
 「夜っていうのは液体なのかい」
 「当たり前さ。そんなことも知らないのか」
 へびは今日きっと科学の本を飲み込んだのでしょう。丸飲みすることでその本の内容がすべて分かるというのです。
 「森の暗さとは違うの?」
 「森の暗いのと夜の暗いのは全然違うものさ」
 「どう違うの?」
 「そんなのは自分で考えるんだな」
 へびは目をそらしました。
 「蒸発してしまったのに、また夜がくるのはなぜ?」
 かえるがまたたずねました。
 「ああ、いい質問だ」
 「質問にいいものと悪いものがあるの?」
 「あるに決まってるだろ。もし私に悪い質問をしたやつがいたなら、そいつをしめ上げてしまうかもしれない」
 かえるが身をすくめました。
 「しめ上げられなくてよかった」
 「さて、質問の答えを教えよう。ひと晩かけて蒸発した夜は昼間になると、ものかげに身をひそめる」
 「ものかげに?」
 「あらゆる物体には影があるだろ。それは濃縮された夜なんだ」
 「のうしゅく?」
 「濃くなるということさ」
 「そうだったんだ」
 「日が沈むにつれて、それらはだんだん空気中に溶け出していく。それでまた夜になるというわけさ」
 「へぇ、知らなかったなぁ」
 「きみはなんにも知らないんだな」
 かえるの知らないことを知っているへびは、かなり得意げでした。

ーーー


 「町でそんな話を聞いたんです」
 「へぇ」
 「だからそれを見習って、私も本を食べてみたの。賢くなれるかしらと思いながら」
 「何を食べたって?」
 「本です」
 「冗談だろう?」
 「やだ、さすがに丸飲みはしませんよ。1ページだけやぶいて口に入れたんです」
 「それで、どうなったの」
 「甘くて苦い味がしました」
 「そうじゃなくて、賢くはなれたのかい」
 「いえ、賢くはなりませんでした」
 「それはそうだろうね。本は読むもので、食べるものじゃない」
 「でも森のへびは、本を食べて知識が身についたようだったから」
 「森のいきものは僕たちとは少し違うからね」

 「代わりに、あなたを好きになってしまったみたい」
 「なんだって?」
 「だから、その、あなたを好きになってしまったの」
 「ええとそれは、どういう理屈だろうか」
 「へびが科学の本を読んで科学の知識を身につけたのと同じようにきっと、本の内容が作用しているんだと思うんです」
 「というと?」
 「私が食べたのは、男女が恋に落ちる物語だったから」

ーーー


 「水をぴったり100℃にすると気体に変わり、ぴったり0℃にすると固体に変わるんだ」
 「晴れた日の午前中にてんとう虫を7匹見ると、次の日はかならず雨になるといわれているよ」
 「天文学者が四角い地球の夢を見たなら、季節が次にうつる」

 へびは今日も飲み込んだ本の知識を披露します。
 「へ、へぇ」
 へびがあんまりいろいろなことを言うので、かえるは少しつかれてしまいました。
 へびは前までは、もの静かでのんびりした性格だったのですが、本を食べてからは変わってしまいました。かえるにとっては、なんだか別人のようでした。

 「四葉のクローバーにはな…」
 同じ調子でへびが言いかけましたが、続きは聞こえてきません。
 「どうしたの?」
 かえるがたずねると、へびは目を見開いたまま固まってしまっていました。

 「ねぇ、どうかしたの」
 かえるがへびの顔をのぞきこむと、へびの口からどさどさとたくさんの本が吐き出されてきました。
 「わぁ」
 かえるはおどろいて、あとずさりをしました。

 へびのお腹の中から吐き出されたたくさんの本が、かえるの目の前に高くつみ重なっていきました。
 へびはこれまでたくさんの本を飲み込んでいたので、これ以上はお腹の中に収まりきらなくなっていたのです。

ーーー


 「本を食べる前のへびと、本を食べたあとのへびは、同じだと思いますか?」
 「どういうこと?」
 「あるきっかけで、短期間で性格が変わってしまったとするでしょう。その性格が、あまりにもかけ離れていたら、それは別人というのかしら」
 「うーん、どうだろう。それは違うんじゃないかな」
 「それなら、どのくらい性格が変われば、別人なのかしら。たとえば、町の乱暴者が改心して、とても優しくて素敵な人になったなら、それは別の人間でしょうか?」
 「どれほど変わっても別人なんかじゃないよ。それだってその人が持つ一面だろう。もともと持っていたその人の性質が、ひとつ顔を出したと考えればいいんじゃないかな」
 「それならよかった」
 「ただ性格が変わってしまった原因が、本を飲み込んだへびのように、外的な要因だとしたら」
 「ええ」
 「すこし話が違うだろうね」
 「そ、そうですか」
 「それはそうと、今日はやけにおしゃべりなんだね」
 「そうでしょうか?」
 「うん、いつも図書館で見かけるきみはもっとその、無愛想だから」
 「き、きっと食べた本が関係しているんでしょう。あなたとその、おはなしがしたくてたまらないの」

 「森のへびやかえるとは会ったことがあるのかい」
 「い、いいえ、森のいきものたちは私たちとは違う時間を生きているから。私は話を聞いただけ」

ーーー


 「おや?どうしてこんなに本があるんだろう。図書館が移動したんだろうか」
 へびがあたりを見回しています。さっき吐き出した本が、あたりに散らばっていました。
 「大丈夫かい?」
 かえるがたずねました。
 「まぁいいか」
 へびはなんだかうわの空です。
 「ねぇ大丈夫?」
 「あぁ、かえるか」
 「具合がわるいの?」
 「ん、あぁ、大丈夫だよ。ありがとう」

 本を吐き出してしまって、へびはまた前のようにぼんやりとしたへびにもどりました。
 そのようすは賢いときと比べて、ずいぶん違うようでした。

 「なんだかぼんやりしていたようだよ」
 目をぱちくりとさせて、へびが言いました。
 「まるで別の人になったみたいだったよ」
 かえるが教えてあげました。
 「別の人に?」
 「うん、すごくつかれちゃった」
 「賢いときのわたしは嫌いかい?」
 へびがそっとたずねました。
 「ううん、嫌いなんかじゃないよ。きみはともだちだもの」
 あたりまえだというように、かえるが答えました。
 「そうかい」
 へびの声は小さくて、かえるには聞こえていませんでした。

ーーー


 「ちょっと待って、そういえばその話はすこし抜けてるところがあるよ」
 「抜けてるところ?」
 「へびは本を丸飲みして賢くなることなんて、できなかったんだ」
 「でも、いろんな事を知っているようでしたよ」
 「そういうふりをしていただけさ。だって言っていることがめちゃくちゃだろう」
 「そういうふうに考えることもできますね」
 「賢いふりをするのも、限界があったんだよ」
 「そうでしょうか」
 「だから飲み込んだ本を吐き出すことで、ぜんぶごまかしたんだ」
 「どうしてそんなことをしたんでしょう」
 「自分はほんとうは賢い部分もあるんだぞって、思われたかったのかもしれない」
 「見栄をはっていたという事でしょうか」

 「うん、本を飲み込んだへびの話はこれが顛末だよ。本を食べることで内容を取り込むことなんて、その、できないよ」
 「でも私は、こうしてあなたのことが好きになりましたよ」
 「それが疑問なんだ。どうして君が僕を好きになったのか」
 「それは、男女が恋に落ちる話を食べたからです」
 「食べた本に書かれた内容が人格に作用することは、ないよ」
 「でも私は」
 「それに、僕なんかを好きになるはずがない」
 「そんなことはないわ。こうやってあなたは私の話を聞いてくれたじゃない」
 「そんなことで」
 「私にとってはとても大事なことですよ」
 「でも」
 「それに私だって、森に住んでるへびの話をぜんぶ信じたわけじゃないんです」
 「じゃあどうして本を食べたりなんかしたんだい。ページをやぶいてまで」
 「いや、それは…」
 「ほらね。へびはほんとは勝手でわがままなやつだったんだ」
 「ほんとうに、そう思いますか?」
 「ああ、かえるはそれに付き合わされただけってことじゃないかな」
 「あなたは分かってないわ」
 「何をだい?」
 「へびはその、かえるともっと、おはなし、したかったんじゃないでしょうか」

***


 図書館は静かでした。
 窓からさしこむ太陽の光に、ただようホコリの粒がきらきらと照らされています。

 町にいるのは疲れてしまうので、女の子はここで本を読んでいました。
 本の内容は男女が恋に落ちる話でした。
 たくさんの言葉が並んでいますが、女の子の頭にはいまいち入ってきません。

 「科学の本が足りないようなんだけど、知ってるかな」
 どこからかやわらかい声がしました。自分にむけた言葉だとわかるのに、時間がかかりました。

 女の子は何も言えませんでした。
 人に話しかけられることに、彼女はあまり慣れていません。ただ精いっぱい首を横にふりました。
 「そっか。ありがとう」
 彼には無愛想に見えたかもしれません。
 女の子はいつもこうでした。ほんとうはいろんな事をおはなししたいのに。

 「また来るね」
 その人が行ってしまったあと、女の子はまた本に目をおとします。不思議とさっきよりも内容がよくわかるような気がしました。

***


 「だから、その、あなたが思っているより、あなたは、いい人よ」
 女の子は彼がどんなにすてきな人なのか、話してあげました。
 自分の話をこうやって聞いてくれたこと。図書館で姿を見かけるといつのまにか目で追いかけていること。いつもどんな本を借りているのかとても気になっていること。おすすめの本は?好きな場所は?においは?どんな声で笑うんでしょうか。

 女の子があんまり色々なことを言うので、彼は少しつかれてしまいました。
 「もし、私が食べたページを吐き出してしまって、もとの無愛想な性格に戻ってしまっても、あなたは私とまた、おはなしをしてくれるでしょうか」
おわりに女の子はたずねました。
 「もちろん」
 あたりまえだというように、彼が言いました。
 「ええとまず、きみが食べた本がどんな話なのか、それを聞かせてくれるかな?」
 彼は目をおよがせながら続けます。
「それと、もう本は食べなくていいからね」

 目の前にいる彼のことを、女の子はじぃっと見つめました。

ーーー


 本を吐き出してしまったので、へびはお腹がすいていました。
 横には自分が吐き出した本の山。目の前にはかえる。
 もやがかかったようにぼんやりした頭で、へびは本を飲み込んだ時のことを思い出します。たくさんのことが書いている分厚い本は、へびの大きな口でも丸飲みするのにまるまる一日はかかります。おまけにあまりおいしくない。かたい背表紙はのどの奥でごりごりとこすれるし、インクの苦いにおいは鼻の中にしばらく残ります。
 あぁお腹がすいた。

 「ふむ」
 目の前にいるかえるのことを、へびはじぃっと見つめました。

おしまい

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