「花と鞭~萌黒民間刑務所~」(小説)

目次 


○あらすじ・前書き

一. ようこそ萌黒民間刑務所へ

二. エリカ御嬢様のおな~り~

三. 萌黒な日々

四. 荒野に沸く泉

五. サービス・ペナルティ・サービス

六. 「エロス真理教」誕生

七. エリカはエロスの化身なるか


性愛。性欲。それは人間に限らず、雌雄同体を除く息とし生ける者達全てが自然に持つ感情。男と女がある限りは。
そして煩悩とは、生きる人間誰もが不可欠として持ち合わせるものだわね。
それがあって初めて、悟りもあるの。
しかし、境地に行き着くまでには必ず誰かが辛抱ならずに過ちを犯し、そして制裁を受ける。でも、それは強い衝動とか一定の環境下に脆弱な精神が負けて起こるものである。
だけど、心配しないでね。ふふ。二度とそうならないように、この私がたっぷりと仕込んであげるから。とことん満足の行くまでね。だから、それまでは辛抱なさい。でも、甘っちょろいものばかりでもないから、それだけの覚悟も必要よ。

ようこそ萌黒民間刑務所へ

 見渡す限り、辺り一面に岩山があり、荒野が広がっている。町外れの広大な土地になるのだが、訳あって最近、あらゆる木々は切り倒され、自然に生きる動物達は住処(すみか)を追放されたのだった。それもある有力な一家の力によってである。
 ここでは何人もの男達が、上下ともに白い作業服を着せられて、シャベルで穴を掘ったり鶴橋で岩壁を削ったり岩を運んだり、機械を操作したりと、大変な重労働をさせられていた。しかし、時は二十一世紀になる現代で、それも日本だ。だから単なる奴隷などではなかった。奴隷制度が出来た訳でも決してない。
 そう。ここにいる者達は皆、囚人なのだ。勿論、何がしかの悪事を犯して捕えられたのだが、でもそれは強盗だとか泥棒とか、放火とかそんなに重い罪を犯した輩は、ここには一人もいない。
人里離れたこの山地では、雑草さえも疎(まば)らで、土とか岩の他には所々幾つか洞穴が見える。非常に殺風景な所で、泥と岩石で出来た階段を降りると、そこは辺り一面が固い土の壁で覆われ、そこでは何十人もの、二十代前半から五十代ぐらいまでの幅広い年齢層で男の人達が作業を行っている。ここでは斜面や地面に穴を掘っている人が殆どだ。掘り出された物は、上から吊るされるリフトで運ばれて行く。皆、汗水垂らしてぜえぜえ言っているが、本当に疲れたような表情をしている者は約半数になる。逆に少しは嬉しそうな顔して働いている奴もいるようだが……。

バチンッ!  バチンッ!

「ほらほら、そこ!休まずしっかり働いて!」
鞭を持った女は、そう言うと一人の囚人の身体を鞭でバチンと叩いた。
「ひい!は、はい!」
と男はきりきりと動き始める。
 皆体中が赤い痣だらけだ。全員何度も鞭でやられたのだろう。少し手を抜くと鞭でバチン、のようだ。
 しかも、囚人達の周囲は、数人の、鞭を持った、それもメイド服を着た若い女性ばかりなのである。十八歳から三十五歳ぐらいまでの年齢層になるのだろう。中には、アルバイトとして雇われている、十六歳や十七歳の現役女子高生も少数ながらいる。それにしてもメイドが鞭を持って下人を扱き使うとは、まるで立場が可笑しいのではないかと思われるが、これは彼女達の仕事着になっているらしい。
「くう。ここにいる『逆メイド軍団』。きついけど堪んねえよなあ……。」
何やらヒソヒソと二人並んで仕事をしながら雑談している男がいた。
「おいおい、また鞭で打たれるぞ。」
「こら、そこ!何喋ってるの!」
とまたバチン!
「つうーーっっ…………。」
「そら、見ろ。」
 このように、鞭を持って男達を奴隷のように働かせているのは、どうやら「逆メイド軍団」と言うらしい……。まあ、あの嘗てのメイドとは業務が逆になるからだろう。元々は「ご主人様」と「家政婦・メイド」と言う事になるが。これではまるで天地が引っくり返ったようなものではないか。世の中色々ではあるが。
 この逆メイドとやらは皆、動きやすいように勿論の事、ミニスカートのメイド服で、下は膝上までの黒ストッキングか、股までの黒ストッキング、若しくは黒か紺のハイソックス、オーバーニーソックスを着用している。白だと土とか付いて汚れて色が黒ずんだりしやすいからここでは白はいない。皆黒か紺のようだ。下は黒いパンプスかストラップシューズになる。希望者によってはスニーカーや黒や茶の紐付きサンダルもいる。職員の服装は幾つか自由にも出来るようだ。
 数分間に一度、二度と鞭の音だ。
「こらそこ!サボるな!私達までどやされちゃうでしょ!!」
バッチイインッ
「もう勘弁して下さい!」
「駄目!でもそれって本心から行ってるの?ねえM男君?嬉しいんならもっとやってあげようか?それとも後で、あのエリカ御嬢様からきつーーい御灸を据えて貰う?」
「す、すみませんん。ごめんなさいい。いえ申し訳ありません。きちんとやります。」
「よし。じゃあやって。ちゃんと有言実行してよね。」
「ねえイバラ御姉様、今度調子に乗ってたら、次はグーで殴っちゃえば?でないと性根に入らないかも。」
「まあそれもそうね。考えておこうかな。うふふ。じゃああんたも出来たらやりなよ。ヒガン。だけど、もし頬骨とか歯とかが折れて病室や歯科衛生室に連れて行かなくちゃならなくなったら、労働者が一人減っちゃうし、その間は被害受けたそいつが働かなくて楽しちゃいそうだし。」
どうも姉妹のように仲良しらしいこのメイド二人組はこうして談話する。きつい眼をした美人イバラと、ギャル系の可愛いメイドのヒガンとのコンビらしい。
「だよね。でもさ、度合いによっては病室でもじわじわと拷問とか出来るんでしょ。」
「うん。そう。病室とかでも、一日一時間は石や鉄で出来た鉋(かんな)みたいなギザギザのブロックの上に座らせたり寝かしたりもしてるしね。」
「フムフム。」
「あ、そうそう。一か月ぐらい前はさ、その辺の逆メイドの女の子達をシャベルで叩いたり素手でぶん殴ったりして抵抗して何人かを大怪我させた囚人の男がさ、その後ここから逃げ出そうとしたところ、見張りに捕まって縛られ、鞭で散々に顔や全身を打たれた後、顔面や上半身に蹴りや殴打を喰らい、あいつは歯も折ったのよね。そこで、病室で傷薬を塗って貰ったり湿布を貼って貰っている時でも、鉄の鉋(かんな)の上にずっと正座させられたままで、歯科衛生室で刺し歯を入れて貰ってる時でも、鉄の鉋で出来たベッドの上だったそうよ。あれ程酷い事したんだものね。」
「うわあ、痛そう。やっぱりそうなんだ。馬鹿よねーー。ここから逃げられる筈なんてないのに。それに、自業自得だよね。元々は自分が悪い事して刑務所入ってる癖にね。詳しい事は知らなかったけど、流石はあのエリカ御嬢様の考えたドMでドSな民間刑務所ね。」
「しかも彼は強姦罪と下着ドロよ。女好きな癖にここ入ってから耐えられなくなってあんな事して。ここはそんな人達の為にある専門の躾(しつけ)場所なのにね。」
「ここはセクハラとかそんなので捕まった男達ばかりなのよね。」
二人は長々と会話するうち、ふと口を閉じる。
「そう。性犯罪で捕まった人しかいないの。あ、そろそろメイド長って言うか私達のリーダー格になるローズか、エリカ御嬢様が見回りに来るかも知れないから、お喋りはもうこの辺にしときましょ。続きは仕事終わった後でも出来るからざ。」
「そうですよね、御姐(おねえ)様(さま)。」

 そうだ。ここは、萌(もえ)黒(くろ)財閥の娘、エリカ令嬢によって建てられた民間刑務所なのである。しかも普通の刑務所とは違い、痴漢やストーカー、下着泥棒、猥褻(わいせつ)行為などと言ったセクシャルハラスメント、つまり性に関わる罪を犯して逮捕された男ばかりが集まった官能刑務所になる。ここでは、二度とそんな行為をしなくて良いように再犯を防ぐ為、見せ締めを行う為もあって、職員はドSな女ばかり。囚人の男は対照的に勿論ドMとして扱いを受けながら期間を過ごす場所になる。出られるまでここで頑張る者や辛(つら)くなって逃げ出そうとする者もいれば、逆にここでの暮らしを気に行ってしまい、すぐに出るのが惜しくて、わざと反抗していつまでも刑期を延長させたがる奴もいる程だから困ったものでもある。その分、風俗店みたいに職員の収入は、バイトでも高いのだ。萌黒財閥には、言うまでもないが金が掃いて捨てる程ある。それは、大手のAV会社と風俗店を経営していた両親が事故で亡くなり、一人娘のエリカが高校卒業後に好き勝手をしている訳である。父がAV会社、母が全国チェーンの風俗店だったそうだ。ここでエリカは風俗店を閉めてしまい、店のこれまでの売り上げ分の三分の一を自分の所のAV会社に渡し、そこの元専務を新たに代表取締役として社長代理として営んでいるとの事である。会社の売り上げの取り分は、エリカと彼とで半半とする。エリカ御嬢様とやらには逆らえないようで、皆彼女の言いなりである。
 それも、エリカは美人でナイスバディ、スタイルも良く、声も高らかで美しい。センスが良く歌も上手と評判。リラックスしている時、自分が現場にいる時はそこそこ普通の服装でいる事はあるようでも、外出する時などは一番高い物を身に着けて出掛けるのだ。
 屋敷は、この山を降りてすぐの場所に設けてあり、敷地は遊園地のように広い。メイドも高収入で何十人も雇っている。
 近年、日本では性犯罪者が増加している。性犯罪者と言うのは再犯率が高く、何度も刑務所に戻って来る者が多いのも現状だ。この萌黒民間刑務所では、性犯罪者達が二度と同じ罪を償わないよう、受刑者達の管理・指導を他の刑務所よりも厳格に行なっている。
 エリカは、そのようにして性犯罪者専用の刑務所をここで一人で運営しているのだ。国にもサービスを提供し、性犯罪者は国の刑務所ではなく、出来ればこちらへ移すように呼び掛けするなどの活動をも行っている。このままでは、いつかジャンボ宝くじまで全部買い占めして、国家財政をも奪う?事をもし兼ねないのでは、と言う噂も立っている。
 話を戻すが、つい先程、喜んで逆手に取って刑期延長したがる輩について挙げたが、やっぱり何処までも甘くはないのだ。次に始まるのは放置プレイである。それは、誰もいない真っ暗な個室に入れられ、何度も刑期を延ばされていた者にはやがて、更なる懲罰が待っている。その個室で何か月も放置されるようになり、食事は粗末な物が運ばれて来るだけで、食事や入浴の時間以外はまるでメイドの女の子とも会えない。何を言っても無視、病気になっても薬をくれるだけで口をきいて貰えない。そうなれば、気が狂って自殺を図るような者も出るだろう。そう言うシステムになっている。
 ここで働いている女達は、そのエリカだけは尊敬せざるを得ないようだ。いや、そのうち男達もきっとそうなるに違いないだろう。

 そこへ金髪ロングで美人な、同じくメイド服を着た若い女がやって来た。
「あ、ローズリーダー!」
「ハーイ!ミンナ、ちゃんとやってマスカ?我らがエリカ御嬢様が見えましたワヨ!図が高いワ。控えてネ!エリカ様に粗相の無いように。」
どうやらここの逆メイドリーダーことローズらしい。見てみると欧米人のようで、日本人だ。これはきっとイギリス人のハーフだろう。金髪でサラサラのロングヘアにパッチリと開いた青い目。英語と、微妙に片言な日本語。そして、さっきの外人のあのセリフでは、まるで和洋折衷…………。
「は、はい!」
「エリカ御嬢様の、オナ~リ~ッッ。」
とローズが声を張ると、皆一斉に両手を臍に当てるようにして頭を下げる。
 コツコツとしなやかな靴音が聞こえて来る。漸く中央の階段の上まで音が近付くと、スマートで容姿端麗で、表情が引き締まった感じの若い一人の女性がついに現れた。そのまま土と石で出来た階段を軽やかな足取りで下りて来る。踊り場の所でいったん立ち止まり、ここで働いている者達を見下ろすように仁王立ちをする。そして右往左往に辺りを見回しながら、一同に声を掛ける。
「御機嫌よう。いつも御苦労様ね、みんな。今日もしっかり出来てる?」
「は、はい!御蔭様で!」
とここでイバラが答える。
「そう。おほほほほ。感心だこと。イバラも頼もしくなったのね。ローズも負けないように頑張ってね。言う事聞かない子は、遠慮無くビシバシと折檻しちゃっていいからね。その弾力性の強いゴム製の鞭でね。その鞭は第二次世界大戦の後にアメリカ兵が拷問で使ったブラックジャックにも負けない程よ。はむかう者がいたら、殴るなり蹴るなり好きにしてね。まあ加減も大事だけど、これはここにいる囚人さん達の為を思ってする立派な調教になるんだからね。花園には蜂と鞭は付き物でしょ。」
エリカは目を細めてこう言うと、左手を口元に当てて冷笑する。見るからに冷徹な風格漂う女性だ。右手にはフワフワの扇(おうぎ)を広げて持ち、それで首筋を仰いでいる。
「はい!御尤もで御座いマス!」
とローズ。
「今のところは皆やる気ありそうね。それをちゃんと持続するのよ!囚人さん達は手を抜かずにしっかりやるのよ!分かった?」
「ははーーっっっ!!」
と囚人一同。
「ふふ。(忠実な犬になってるわね。)」
エリカは口元に笑みを浮かべて囚人達の方を、手を腰に当てたまま首を軽く動かして見回すと、また真っ直ぐ前を向き直る。
「さあてと。ミーティングはこれぐらいにしてと。ワタクシも今日からは少し現場に入ろうかな。皆いいわね。」
「左様で御座いますか。」
とローズ。
「ええ。今週末まではワタクシも入りますわ。丁度暇も持て余してる事よ。ここ運動不足だった事もあるから。ほら御覧なさい、この通り。私今日は、服装もこんなに簡素で粗末なものでしょ。ほら地味よ。これは現場作業をしやすい為に、汚れても良い服で来たの。週末まではこんな格好で行くから皆宜しくね。」
エリカはそう言うと、センスを閉じる。
 確かに、今日のエリカは特にケバケバしくはなく、御嬢様にしてはごく普通のようだ。上はレモン色のブラウスで、袖は肘まで巻くっているのだ。七部袖を着て来ても良いとは思うが、長袖をわざわざ巻くっているのだ。働いている女って感じがしてそんなワンポイントに目が行く男も中には間違いなくいるとは思うが。下は橙色の、裾がフレアなミニスカートだ。強い風が吹けば捲れてしまいかねないだろう……。そこからは痣一つないぐらいの脚線美がすらっと伸び、靴はどうやら、何処にでもいそうな女子高生とかが履く茶色のローファーだ。肩までのロングヘアで、前髪だけはヘアバンドで旋毛(つむじ)辺りまで纏め上げ、後ろ髪はストレートではなく先がカールしているのだ。きっと高いムースを使っているのだろう。
「そう仰られては左様で御座いますが、エリカ様なら綺麗な物は何でも御似合いだと思います。」
とイバラが言うと、「ありがとう。相変わらず口が達者ね、イバラ。さてと……」
エリカは、今度は閉じたセンスを上下逆さにして、柄の横に付いたスイッチを押す。すると中から黒く長く太いゴムが出て来る。これは鞭のようだ!!扇にも鞭にもなる便利な道具なのだろう。エリカが頼んで作らせたのか。
「さあ、皆!業務に戻りますわよ!はい仕事に戻ってね!!」
「イエス!ヘイ!ボーイズ!メンズ!さっさと仕事に戻るのヨ!!」
するとローズは叫びつつも鞭で力一杯、地面を数回バシッバシッと叩いた。
皆直ちにそれぞれの仕事位置に戻って行く。

エリカ御嬢様のおな~り~

 エリカが現場に付いてから、空気が変わったのだろうか、逆メイドのスタッフ達も奴隷囚人達も皆黙々と業務に取り組んでいる模様だ。
 間もなく、ヒュン、バシンッと鞭の音が響く。また囚人が鞭で叩かれている。
「こら、そこ!手が止まってるわよ!余所見(よそみ)してたでしょ!しっかりおやりなさい!」
全員一生懸命するようになったかと思いきや、やっぱりそうはいかないようで、一方では絶世の美女エリカの姿をチラチラと見たりして時々仕事そっちのけになる者も出て来ている様子だ。まあ無理もなかろうが。ミーティング中は皆エリカの方に目が釘付けだったのだ。
「エリカ御嬢様に夢中になってるかしらね?ここの男達。」
奥にいた一人のメイドが、隣にいる眼鏡のメイドに聞く。
「そのようね。まあ仕方ないでしょ。特に私みたいなこんな地味な女には見向きもしないでしょうけれど。」
答えた眼鏡のメイドは厚化粧でどちらかと言うと老け顔で口数も少なく、非常に落ち着いている感じのメイドだ。多分この逆メイド軍団の中では一番頭良いのかも知れない。他のメイド達は殆どギャル系で、性格はキャピキャピのオチャラケか、感情的な者が多い。しかし中には何人かは真面目な子、物静かな子も混じっている。
「社内で一番美人のエリカ様は、あのスタイルでも十分魅力あるのだものね。外に出ても男達はエリカ様に釘付けよ。あれでエリカ様がSMの女王様とかバニーガールとかレースクイーンとか御色気ムンムンの格好になったら、更に注目度アップよ。私の計算では、五十人ぐらいに一人がこの場で興奮して反乱起こすかもね。ここにいる男の三百人に一人ぐらい、興奮し過ぎて脳がオーバーヒートしちゃう者が出るかも、なんて。」
「凄いなあ。聡美さんは。」
「ふふ。当然よ。だからエリカ様はここではそんな服装はきっと控えて……あ、エリカ様がこちらへ来る。私達まで叱られてしまいそう。さ、早く仕事よ、仕事。」
「うん。続きは休憩時間とか仕事終わった後でも出来そうだしね。やめにしよっか、今は。」

この後も、鞭の音とエリカの甲高い罵声は頻繁にフィールド一面に響き渡った。
「こらあ!安まず働きなさい!」
「うっ!」
「そこ!さぼらない!」
「ひい、すみません!」
「さっきから私の脚ばかり見てたでしょ!この!」
「はい!ちゃんとやります!」
「えい!」
「いて!」
「何が『いて!』よ!きちんとやりなさい!いいわね。」
何と今度は、エリカは離れた場所から、一人の囚人に靴を投げ付けたようだ。それも丈夫な革で出来ているローファーなので思い切り投げて当たると痛い。
こんな感じで業務終了時間まで延々と続いた。ベテランの囚人の中では、全く鞭で打たれなかった者もほんの一握りはいたようだが、大体いつも全員が何度かは鞭で打たれる。
「さあさあ!後三十分で今日のここでの作業は終わりよ!あと少し頑張ったらね、夕方からは皆の大好きなあの御仕事が待ってるのよ!!ほら、皆様御楽しみにしているんじゃなくて?」
 そう。夕方からは、社員のマッサージタイムがある。囚人が、メイドの身体をマッサージするのだ。グチグチ文句を言われながらも結構囚人は喜んで行うようだ。若くて綺麗な女の人ばかりだからだろうが、一日の精神的な疲れを癒したり、少しでも性欲を満たせてまた元気に社会復帰出来るように、と言う期待もあるだろう。身体はかなり疲れるが、柔らかい女体の神秘と言うものや香水、アロマオイルの香り、柔らかい太(ふと)腿(もも)に触れる事によってそれなりに緩和されるのだろう。一番頑張った者にはエリカの身体もマッサージをさせてくれる事もあるのが、更なる条件があるのだ。
 ここでは、実務経験を積みながら、マッサージ師の資格も取らされる。人の身体に触れる事が好きな連中も多く集まるから好都合だ。出所後はマッサージ師としてやって行く者もいる。マッサージ師の資格を取得した上で、毎日の作業をしっかりとこなして認めて貰えない限り、エリカの身体をマッサージさせてくれたりはしない。マッサージ師の資格を取得出来た者には、ここのマッサージルームに訪れる一般女性客のマッサージもさせて貰えるこう言うシステムだ。
そう。ここは社員ばかりでなく、女性専用のマッサージ施設にもなっているのだ。
「へへ。後三十分で二十分休憩があって、その後はいよいよマッサージかあ。何だかんだ言って楽しみだなあ。」
「だな。」
矢張り場所が場所なので、このような所では流石に「御前も好きだなあ。」とか「このドスケベめが。」とか言ってからかうような人もいないようだ。皆似たり寄ったりの集まりなのだから。当り前の事を言う気もここでは起こらないのだろう。中には、普段硬派過ぎてストレス、性的欲求が溜まり、恋人も作らないまま突発的に通りすがりの若い女に強制わいせつ、暴行を加えてここに入れられた男性もいるがこのような人はいつも所内でも寡黙で非社交的だ。居室ではいつも本ばかり読んだり、一人で腕立てやダンベル運動をしている。

「よいしょっと、よいしょっと。そりゃっ、そりゃっ。」
「うるさいわね。一々掛け声を口に出さないでよ!こっちがリラックス出来ないじゃない!もっと静かに、黙ってやって!」
「ぜえ、ぜえ。」
「もっと力入れてやってよね。」
「そこはもう凝ってないから、次はもっと上の方。」
「右(みぎ)脛(すね)で痒いとこあるから、掻いて。」
「はい。」
「まだ圧力が足りないかなあ。ねえ今の部分を、片手じゃなくて両手で思い切り押さえ付けてくれないかしら??」
 するとここへエリカも入って来た。ここで一つ呼び掛ける。
「さあ皆!しっかりマッサージ出来てる?勝手に足や腕にキスとかなんかしたら、この間の奴みたいに刑期を延長よ!」
こう言うとエリカは部屋を出て行った。エリカには社長用のビップルームみたいな部屋があるのだろう。エリカはそこでマッサージを受けるようだ。
「坊や。ちょっと足の裏をマッサージして欲しいの。」
とあの眼鏡のメイド聡美が言う。
「解りました。」
と囚人は答えると、足の裏を黒い薄手パンスト越しに力一杯揉んだ。揉むふりをして足の匂いもこっそり嗅いでいた。甘酸っぱい匂いが鼻を突いた。
「えい!」
「うぐっ!」
「私の足の匂い、密かに嗅いでたでしょ。」
眼鏡のメイドは仰向けだったので見えたのだろう。こう言いつつも聡美は男の口の中に足を思い切り突っ込んだ。
「す、すみませんでした。つい……。」
「いいのよ。これぐらい当然だから許してあげる。変態行為だけど違法、犯罪とまでは行かないから。いっその事しゃぶっちゃいなさい。匂い嗅ぐだけじゃなくて、食べちゃった方が良いでしょ。後でこのストッキング脱がせて直(じか)に揉んでくれる?凄く凝ってるから。足指も間も遠慮無く舐めて良いわよ。サービスしてあげる。」
「有難う御座います。」
こちらはどうやら、先程のむっつりした硬派の囚人のようだ。二人とも性格は御堅い為、気は合いそうだが。
 マッサージ終了後、やっと夕食の時間らしい。囚人達はそれぞれの牢内にて食べるが、現場で働いていたメイド達は、それぞれの控え室か食堂で食べるのだ。囚人と従業員は、基本一緒には食べない。食事の時間、控え室にて優等生タイプの眼鏡メイド聡美と、別のメイドとが何やら話し込んでいた。
「ここだけの話だけどさ。私、ここは収入高いからさ、ここでしっかりと貯金した後、K大学の大学院へ進学しようと思ってるの。」
「へえ、凄いなあ。余程勉強好きなんですね、センパーーイ。ここで働いてる人の中では珍しい勉強家じゃないですか。」
「まあね。学生に戻るんだけど。私はG大学の理学部を首席卒業したの。将来は大学で生物学を教えるつもりなのよ。博士課程まで取りたいから、学費の蓄えの為に後五年ぐらいはここで働こうと思ってね。向こうでは、もっと熱心な研究家がいると思うから、私はそこでも新たな戦いを繰り広げるつもりよ。いつまでもこんな所にいるつもりはないわ。それに、私みたいな地味な女ってこう言う所は元々柄じゃないんだし。」
「ふーん。大学教授かあ。格好良いなあ。頑張って下さいね。先輩。」
と若くてキューティーなメイドは応援するように言う。

とある牢屋の中にて。夕食の時間、若い囚人と年老いた囚人とが話し合っている。
「今日はカツ丼かあ、好きだよな。如何にも監獄って感じがするなあ。」
「いえいえ、それは取調室ですよ。」
と二十代後半ぐらいの囚人が苦笑して突っ込む。
「ぐへへ。細かい事はまあどうでも良いじゃねえか。」
と五十過ぎぐらいの囚人は言う。
「この中には、あのメイド達の汗とか唾が若干入ってるんでしたよね?」
「ああ、そうだよ。わしはここへ入れられて三年目ぐらいになるからな、色んな話を聞いてるんよ。あんたは先月入れられたんだろ。ええとだな、わしは下着ドロで捕まえられたから、わしの分には恐らく、メイド達の洗濯前の下着をたっぷり漬けられた汁が掛かってると思うよ。味噌汁の時だとな、小便も入れられておるそうな。」
「へえ、そうなんですか。」
「で、あんたは確か……。」
「はい、靴下泥棒と家宅侵入罪です。ある可愛い女子高生Bのベランダから洗濯済みの紺ハイソックスを盗んだぐらいでは物足りなかったので、翌日の夕方には帰宅する彼女の後を付けるように彼女の家に忍び込んで、靴下を脱衣所で脱いで二階へ上がった後、洗濯籠の中に入れられてあった脱ぎ立ての紺ハイソックスを盗んで思い切り匂い嗅いだ。それまではばれずに済みましたが、どんどんフェティシズムと言うか性的欲求がエスカレートして、その次の日には、彼女は友人を連れて家に帰り、二階のマイルームでルーズソックスを脱いで着替えていたところを屋根まで上って窓からこっそり覗き、二人が部屋を出て行った隙を見計らって開いている窓から忍び込みました。ルーズソックスの匂いを嗅ぐと、ハイソックスの酸っぱい匂いと比べると、今度は泥沼みたいな匂いがしました。するとそこへ友人が部屋へ入って来て、興奮のあまりボーッとしていたところ、私は彼女の友人に取り押さえられ、片腕で首を締め付けられ、口を押さえられて、後から入って来た彼女によってロープで縛り付けられて、そのまま通報されたのです。警察が来るまでの間に、一昨日、昨日も犯人はあんただったのねと問い詰められて、僕は素直に頷きました。逮捕の後、私はこちらへ送り出されたのです。私は下着とか水着は興味ありませんが、極度の足フェチと言うか、靴下フェチですので。逮捕前には二人からたっぷりと靴下や素足の爪先の匂いを嗅がされたり、舐めさせられたりしました。」
と微苦笑しつつ長々と過程を告げた。
「ほ、ほう。若い女の足とか靴下が好きか。じゃあストッキングも好きじゃろう?やっぱりフェチの趣向は人それぞれ、千差万別だよな。でも、あんさんはまだ若いし、これで一生を棒に振るうのも辛いかのう。わしはもうジジイだからまだしもだがねえ。ま、従ってあんたの分には、メイド達の脱ぎ立て靴下をたっぷり漬けた汁が掛けられてあるだろう。」
「猫まんまみたいにですか。」
「おお、そうさのう。それも、少量の白湯(さゆ)に何人もの蒸れた靴下やストッキング、また下着なぞが浸されておったのだからな、濃縮還元ジュースとやらじゃ、ふぉっふぉっ。」
「はは、まいりましたよ。」
落ち着いた男達の会話だが、矢張り助平で変態だからこうして捕まったのだ……。
「ところで、あんたは捕まるまでは何か仕事とかしておったのか。わしはずっと大工だったが。」
「俺ですか。俺は、文科系の大学卒業後、営業マンを半年で辞めて、販売員を一年足らずで辞めて以来、ずっと漫画家志望のフリーターやってたんですよ。夢は漫画家になりたくてね。内向的なオタクと言うか、まあマニアックで、ずっと『硬派でクールで真面目な子』って印象だったけど、やっぱり突発的にやってしまったんですよね。自分の中の何かが切れたんだと思います。ぼちぼちこの牢屋の中でも、絵の練習とか、漫画を描いて行くつもりです。」
「成程な。あんさんのような芸術肌タイプの人には営業マンみたいなのは恐らく向かんと思うよ。漫画家とかデザイナーとして成功を収めた方がええぞなもし。わしはもう天職付けとるから出所後もまた何とかなるが。」
「芸術家は変わり者が多いと言いますか、真面目に見えてむっつり助平みたいなのが多いと言いますか。」
「あんたの場合は真面目過ぎたんじゃろう。顔にも書いておるぞ。ひょっひょっ。」
「ですか。ですね。」
「で、あんたは漫画を描く時にでも、その足フェチ漫画とかを描いておるのか?」
「ああ、いえいえ、そうでもないんです。普通のファンタジーとかギャグ漫画が主ですよ。足フェチなシチュエーションを挟んだりしますけど、まだそう言う趣旨の漫画は描かないですね。エロ漫画はまだ描いてないですから。そう言う所に投稿するかどうかも躊躇(ためら)い勝(が)ちですね。自分で描くのは面倒になりますから、その手の漫画や小説を探して読んだりはしますけど。ニオイ責めみたいなものが良いですね。」
「ほう、そうか。じゃがいつかエロ漫画描いたら必ず買うてやってもええぞ。わしは特に下着フェチ、爪先フェチがええかのう。はは。」
こう言って二人は笑みを交わし合っていた。
「飯の後はもう一働きでしたよね。グラウンドのライトみたいに、夜でも見えるような照らされた現場でまだ作業ですね。」
「おう、そうじゃ。もう流れを覚えたようじゃのう。」

控え室にて。
「さあてと。ストッキング穿き替えようかなあ、って言ってももう夜だわね。ま、いっか。大分蒸れてるけど。ねえヒガン。あんたもそう思うでしょ。」
控室の椅子に座って靴を脱いだイバラが足の指と指をくしゅくしゅ擦りながら聞いてみると、
「はい。そうだと思いま~~す。私も大分臭くなってますう。」
と元気そうに答える。
 そう言い終えて間もなく、二人とも控室を出て行った。

 午後十時を回る頃。
「よし!今日はここまで!皆、御苦労様デス!日勤のスタッフは全員上がって!泊まり、と言うか夜勤者の皆さん及び囚人さんは各自部屋へ戻って休んでクダサーーイ!」
リーダーのローズが号令を掛けると、ぞろぞろと日勤のメイド達は帰り支度の為に部屋へ戻り、夕方から来た夜勤者は少しの間、休憩になる。また囚人達は後片付けを終えてそれぞれの居室へ戻って休みに行く。
 夜中は、定期的に夜勤者が見回りに来るのだ。それ以外は控え室で待機している。
いつまでも眠らずにガヤガヤと御喋りをする囚人達がいると、その囚人達は皆、きつめの眠剤を無理矢理飲まされて眠らされてしまう。どうしても夜眠れないような囚人がいようものなら、夜勤者の見回りメイドが、足フェチな者には嗅ぎ取りの麻酔薬を足の裏に塗って嗅がせ、胸フェチな者には胸に塗って嗅がせて、ゆっくりと眠りに誘うようにしているのだ。起床は六時半。日曜日だけ、正午までの労働となり、後は居室か若しくは、裏庭での自由時間を囚人達は楽しむ。
先程のあの若い囚人は、その時間は漫画やイラストを描いている時間が多いようだ。また平日の昼休みや就寝前も描いている。それを郵便受けのポストへ入れ、出版社へ投稿するそうだ。送料は皆、口座から引き落としになるのだろう。所内で漫画家や作家を務める事も一応出来るが、そのような創作活動は日曜日の午後しか出来ない為、獄中ではそのような職業は出来たとしても僅かの時間しかさせて貰えないのだろう。そこはまた所長エリカ御嬢の力により、出版社にも代金を支払って事情をうまく説明し、申請している。
 ここも決して、人の夢を奪うような所ではない。それぞれの個性が尊重される場でもあるのだ。

「ふううっと。よう御前さん。まだ起きておったのか。寝なくて良いのか?明日も早いんじゃろ。」
トイレを済ませて戻って来た男が、同室の若い男に話し掛ける。
「ええ、ですよねえ。解っていても最近はすっかり嵌っちゃっててこうもやめられなくて……。明後日は日曜日ですから昼までで終わりですけどねえ。」
「その前に明日があるじゃろ。絵を描くのが好きなのも解るがね。明日、鞭で打たれるのが嫌ならもう床(とこ)に着いてはどうじゃ?」
「解ってますけど……。何回かは毎日皆打たれてるようなもんでしょうし。」
「おお、そうじゃったか。はは。それにしてもアンタ、上手いのう。」
「そうですかね。学生の時はサークルの中では中の下で、同人会では一番下の方だったのですがね。」
「ほっほう。それで下の方って訳なんか。やっぱり『上には上がある。』ものよのう。プロの世界はワシにもよう分らん。建築の技術もワシより上の大工はまだまだ仰山おるわい。」
するとその時……。
コンクリートの床を叩く、パチンと言う鞭の音が廊下中に響いた。
「こら!そこの五○七号室の二人!いつまでも御喋りしてないで早く寝なさい!全く、いつまで起きてるつもりよ?後三十分で完全に消灯よ!それまでに寝ないと、どうなるか……。」
「ワカリマシタ。」
「わ、解りました。」
と漫画を描いていた方の若い男囚も震えるような声で答える。
 そう。矢張り世の中そんなに甘くは無い。午前零時までに寝なければ、すぐに対フェチのエクスタシーな麻酔は貰えず、その前に顔面と背中と腹部と腕と脛を三発ずつ思い切り鞭で打たれると言う決まりである事をこの二人は危うくすっかり忘れるところであった。
 五○五号室の方で、夢現(ゆめうつつ)な二人の耳に、素早く六回程鞭が鳴らされる音と、巡回中のメイドと、その部屋の囚人との話し声が聞こえて来た。
「これでよし、と。ふふ。じゃあウチは今から脇にこの麻酔を塗るから、しっかり嗅ぎなさいね。そしたらもうしっかりと明日の朝まで眠るのよ。分かった?」
「は、はい。分かりました。御手数掛けます。すみませんん。」
「ああら、嬉しそうだわね。うふふ。じゃあ行くわよ。」
 ここでもう一つ。どうしても眠れない場合は、仕方無いので巡回中のメイドを呼び止め、こちらから御願いすれば、鞭は手足だけを三回ずつで勘弁して貰える。
豆知識だが、眠れない時はホットミルクや羊数え等の他に、横になって目を閉じた後、手足がずしっと重くなる暗示を掛ければ良いそうだ。効果には個人差があるのだが。
羊を数えて眠れる事もうまく行くなんて所詮は大嘘ではないかと言う者もいるので、全てにおいての何もかもが「人に寄りけり。」が立派な答えになるのだろう。
「あんなにされてまで眠りたいって気持ちはここにおる者こそ解る事じゃろうな。御前さんはされたいとは思わんか?」
「さあな。でも元々は俺も硬派だったし、簡単にされて溜まるかってところですかね。まあ既に捕まってから今更こんな事言ってクールぶっても仕様がないでしょうけどね。」
と若い囚人は顔をあげて言う。
「ほう。じゃあ狸寝入りしてでもそんなにされたいとは思わんと?」
「その時の体調にも寄りますが、まあそんなところでしょうかね。」
「ふぉっふぉっ。じゃが無理は身体に良くないじゃろ。」
「ええ、貴方こそ。」
ここで二人は思わず苦笑いする。
「ところでですが、眠れない時に羊の数を数えて、眠れたタメシがありますか?」
「いや、ないのう。」
「俺もですよ。」
ここでまた二人は先程より大きく笑う。
「話すと疲れて眠くなって来たのう。」
「そうですね。では俺ももう休みましょうか。」
「わしはもう寝るぞい。」
「はい。私も続きはまた明日、そして明後日ですね。では御休みなさい。」
「おう、御休み。寝付けなくならんように、あらゆる雑念や思想も明日へ回せよ。」
ここで漸く就寝のようだ。

 翌朝六時半。
「ほらあほらあ!起きる時間よお!野郎共お!ほら起きなさーーい!早く起きて支度しなさい!でないと、鞭が飛ぶわよ!バチン!とね。ふふ。」
ここで起こしに来ているのは、夜勤明けに増して、早番出勤のメイドもいた。早出とも言う。
右手に鞭、左手にはハンドベルを持って力一杯チリンチリンと鳴らしつつ、鞭も思いっ切り振って床を鳴らし、廊下中に響かせているのだ。鞭とベルの音がフロア全体を迸(ほとばし)る。
朝一番に鞭の音を聞くぐらいでも精一杯で、朝っぱらから鞭で打たれるのも溜まったものでないので、大抵皆急いで起きようとする。起きたら廊下で整列して、先ずは倉庫へ行って鶴橋やシャベル、バケツや籠、荷車等を全員で準備する。その後は食堂へ行って朝食である。朝飯前に出来るような事は、本当に朝飯前にするようになっているのだった。
「ふあーーあ。朝かい。」
「よう、お早うさん。」
隣の五○六号室の年取った囚人同士が眠い目を擦りながら会話を交わし合っている。
「よお御前さんはよく眠れたんかい?」
と五○五の元大工の方の囚人は尋ねる。
「へえ。まあ辛うじて五時間はね。」
「五時間睡眠じゃ割ときつくないかの?」
すると後ろから、あの漫画家志望の若い囚人は、
「私は何とか、ギリギリ六時間ってところでしたね。ええと、五時間半睡眠でも何だか全身だるくて一日気分が優れなかった事がありましたから、やっぱり睡眠は六時間は必要ですかなと思いまして。」
「君い、人は人だよ。おらは平気なの。それはあんたの性格から来てるんじゃないすか。」
と隣の五時間睡眠の囚人が目を細めたまま突っ込む。
……とその時。
「こらそこ!いつまでも御喋りしてないで早く並んで!」
バチンと空中から、対話している全員の頭上に降り注ぐ雨のように飛んで来た。全員頭を鞭で打たれたのだ。メイドは脚立の上からジャンプして、皆の頭を器用に鞭でぶったのだ。そこそこベテランで、鞭の振り方もよく習っているからのようだ。これじゃあまるで、あのロールプレイングゲームのドラゴンクエストの、敵グループ全員にダメージを与えられる、鞭系の武器ではないかと考えたりもする。
「ひい、すみませんでした、本日早出の刑務官(メイド)さんこと、牡丹(ぼたん)様あ。」
「あら、いつの間にか私の名前覚えててくれてたのね。その調子でしっかり仕事をこなして行く事も忘れないでよね、そして若い子には職員や囚人の名前ばかりじゃなくて、仕事をきっちり覚えるように言ってよね。じゃあ私も鞭ばかり振らなくて済むんだから。いい加減手が痛いったらありゃしない。」
 食堂でも鞭の音はバチンバチンと響いていた。
「はいほら!ごちゃごちゃ御喋りばかりしてる暇あったら、ちゃんと食べて力付けるのよ!後で泣くのは自分達なんだからね!迂闊に残すのも半分は自滅行為と同じだと思いなさい!」
 どうやらここの厨房で働いたり配膳をする者も、当然ながら全員メイドの格好をしているようだ。いやこれこそがメイドには相応しいものだろう。これでは逆メイドとは呼ばず、普通のメイドになるのではないか。厨房にいるパートのおばさんまで一応メイド服である。
 食堂でも、そこそこの時間が経てば、鞭の音は飛び交うようだ。
「(鞭を床やテーブルに叩きつつ)はいはい、いつまでもチンタラ食べてんじゃないのよ!もうすぐ仕事の時間なんだから!解ってる?そこも、いつまでも御喋りなんて出来ないわよ!」
 朝から鞭で打たれるとか痛い思いをするのが嫌で、急いで食パンを平らげようとする者や、味噌汁でおかずを流し込もうとして咽(むせ)る者もいる。
食堂内でも逆メイド職員の早出さんが一人か二人は必ず着いており全体を見渡しながら時計の針のようにぐるぐると回っている。
 食事が終わると、鞭の音でメイドに促されつつ、早々と囚人達は食堂を出て行く。そして現場へ向かうのだ。ウキウキしているような者も中にはいる様子だ。欠伸をしたり眠そうにしながらも、楽しみだな、ぐへへって感じの微かな笑みが目に表れているような囚人もいる。午後から休みになる日曜日の明日の事を思えば気が楽って事もあってか、この土曜日の朝は表情が柔らかで落ち着いている者は若干多い。まあこれは何処ぞの学校でも職場でも同じではないか。月曜日の朝の雰囲気と金曜日の朝の雰囲気を比べれば違いは良く分かるかも知れない。

萌黒な日々

 今日も現場では、至る場所で相変わらず鞭の音、罵声、鞭の音、罵声、鞭の音…………。勿論、先日も聞かされた通り、オーナーことエリカも現場で鞭を鳴らしたり囚人を叩いたりしている。合間でエリカだけが、現場の隅でパラソルを立て、その下にサマーチェアベッドに座ってトロピカルジュースを飲んだり、仰向けになって寛いだりいている。このように、エリカだけは自由奔放のようだ。靴を脱いでそのまま寝てしまう事もある。
 するとここで、ヒソヒソと遠くでメイド同士が何か話している。
「エリカ様、オーナーだから現場ではあまり働かない代わりにいつもしっかりと全体を纏めてるわね。従業員一人の教育も怠らない完璧主義者ね。」
「だよね。でもこんな当たり前な事がエリカ様に一言一句でも聞こえたら、私達しばかれちゃいそうだわね。」
「ええ。ささ、今週中はエリカ様もいる事だし、御喋りはこれぐらいにしときましょ。」
 隅っこの方では、小さな鞭の音が一発飛び、
「そこ!ちゃんとやってね!」
「ほらほら、そこのバイトさん!それじゃまだ鞭の振りが甘いわよ!それじゃどれ程も痛くないと思うわ!もうちょっとしっかり、力入れて鞭を振るのよ!分かった?声ももう少し、二倍は大きくね。次同じだったら承知しないわよ!分かった?バイトのユカリちゃん。」
「は、はい!解りました。失礼します。」
どうやらこの子は、職員ではなく新人のアルバイトのようだ。女子高校生が休日にバイトとして雇って貰っているのだろう。
「ねえねえ、さっきのバイトのユカリって子、他のスタッフと比べると、人見知りが目立つんじゃない?御小遣いの為に給料狙いとは言え、人見知りでありながらこう言うところで働くのには多少きつくないのかしら。でもやっぱりこの就職難な時代ではここで我慢するしかないと思って頑張る者も年々増えているのかな。」
「それもそうかも知れないわね。ねえところで牡丹。今のって何か、私に喋り掛けているように託けて自問自答してない?あんたも物知りじゃないの。」
「そうかしら。で、『も』なのね…………。」
相手のメイドに突っ込まれて、牡丹は思わず苦笑いする。

 この日、大事件は起こった。
 一人の囚人は、社長室に呼び出された。そこは、現場や宿舎とは少し離れた、別館となる、小さなビルのような建物の中にある。渡り廊下がある訳でもなく、宿舎を裏口から出た場所から北へ、それも林を越えて三百メートル程度離れた、薄暗い位置にある。森の奥ではなく、深い森の入り口手前に当たるような気味の悪い場所である。その建物は三階建てで、最上階がエリカのいる社長室になる。一階ごとのフロアは広く、一階のエントランスホールの奥にはエレベーターも付いている。中央には階段がある。入口前にも階段の両サイドにもエレベーターの前にもミニスカの女性警備員が常に仁王立ちをしている。入口前の警備員は制服にベージュパンスト、エレベーター前や階段横に建っている警備員は薄手の黒パンストである。社長室に近付くにつれて、エリカの冷徹さを醸し出させるような雰囲気が強くなる。
「ナンバー三○五の者です。エリカ御嬢様に呼ばれ、参りました。」
「よし。中へお入りなさい。」
 そのまま、その囚人はエレベーターの警備員にも同じ訳を話し、三階の社長室まで通して貰う。
 この建物は、一階は何の変哲も無いエントランスに、ピカソやゴッホ等世界中の画家によって描かれた絵が壁一面に飾られている。二階には食堂と書斎、倉庫、主に警備員の為の職員ラウンジとかがあるようだ。一階の案内板にはそう書かれていた。
 しかも、職員も囚人も皆、呼び名は「エリカ御嬢様」と呼ぶようで、エリカ社長とかエリカ理事長なんかとは呼ばないようなのだ。何処でも、敬称は「御嬢様」を付けるように統一されているようなのだ。
そして漸く社長室に辿り着いた。足取りが重い為、近くとも遠く感じるのだろう。
「ようこそ。我が社長室へ。」
エリカの冷ややかな視線が、囚人を見下ろす。

「さて、貴方を読んだのは他でも無いわ。」
「は、はい。」
王の玉座のように、部屋の奥に五段の階段が設置され、その上に脚の高い手摺付きの椅子がある。そこにエリカは座っていた。服装は現場にいた時のあのままである。女王様のように飾った服装ではない。この前と同じ、レモン色のブラウスに橙色のフレアスカートだ。袖は相変わらず捲くったままである。
「ねえ貴方、自分のした事、解ってる?」
「…………。」
「本日の午後二時頃、脱走を試みた挙句に、捕まりそうになった所、手持ちの鶴橋を二人のメイドに振り下ろしたでしょ!!それで見張りのメイドを、一人殺したのよね、貴方は。」
「すみません。」
するとエリカは、右足のローファーを脱いで囚人に思いっ切り投げ付ける。
「” すみません ”なんかで済むと思って!?その前に、一人のメイドを半殺しにしたわね。近くにいたメイドの背中を鶴橋で抉るように殴って、そのまま出口まで逃走。それで、見張りのメイドが槍を振り上げた瞬間、そのメイドの胸部から腹部までをズバッ!!と…………。」
「はい、やりました。」
そのまま下を俯いたかと思うと、また顔をあげる囚人。
「このままタダで済まされると思わないでね、囚人さん。」
エリカの細められた目には冷笑が浮かび上がる。
 エリカは、左足のローファーも脱ぎ、靴を履いていない足になると、ベージュのストッキングに包まれた両足の指をクネクネと動かし始めた。脂汗だろうか。この部屋には、今から消える事になっている囚人といつもの警備員と自分一人しかいない事から、平気でそれが出来るのだろう、と多くの囚人がこう考える。今ここにいる警備員も囚人もそのようだ。暑い日に現場を一回りして来た後でもあるし、足の裏もかなり汗ばんでいたのだろう。あんなに薄いストッキングをローファーの下に穿いていたなら尚更で、かなり蒸れている様子だ。
エリカはストッキングを脱ぐと、睡眠薬と一緒に囚人の口の中へ押し込み、呼び鈴で二人の警備員を呼び、取り押さえられる。
「警備員A!例の物を!」
「はい!!」
すると奥の小部屋から、エリカが先日穿いていたらしい厚手の黒ストッキングをビニール袋から取り出して、そのストッキングで囚人の胴体を両腕もろとも縛った。
 エリカが「仕上げね。」って合図をするように頷くと、リモコンのボタンを押す。囚人の意識が朦朧と仕掛けた頃、そのまま床が大口をパカッと開ける。その下は深い池のようで、囚人はそこに落とされ、一匹の巨大鰐の餌食にされてしまったのだった…………。これは、一つの処刑法になるらしい。
「ウギャッ…………。」
「オーーッホッホッホッ!これで不届き者は片付いたわ!さて。ワタクシは、帰って御風呂に入って来ますわ。はい、御苦労様。」

「また一人、処刑されたみたいだな。」
「ああ。」
昼休みに、二人の若い囚人が談話している。
「今度は、三十代のしっかりした見張りメイドを一人殺した奴が、社長室の床下の池にいる人食い鰐の餌になったんだとよ。」
「おっかねえよな。眠らされた直後を鰐に食わせるのもなあ。」
「去年は、若い見張りメイドの首を腕で絞め殺して逃げ出した所をすぐに捕まって、他のメイドの腕で首を思い切り絞められて意識が薄れたところを睡眠薬飲まされて、エリカ御嬢様の個室まで運ばれ、そのまま彼女の巨乳の中へ顔面を押し込まれ、窒息死させられた奴がいたとな。」
「絞首刑にはならなくとも、窒息死させられたのは同じだな。」
「最後には息が出来ねえようになるんだから、さぞ苦しいだろうな。」
「そうそう。それでさ、しかもあいつは、無期か死刑かのどちらかになるかを選択させられる書類を事前に書かされていたみたいで、しかも何の躊躇いもなく、死刑の所を選んで○を付けたらしいよな。」
「そうなんだよなあ。あいつ、本当にどうしたんだろうね?処刑を選んだら、二十四時間以内に処刑が必ず執行されるのにな。無期を選んだ場合には、今後態度が良くなれば、一人、二人殺したぐらいでは、十五年とか二十年で出してくれる場合もあるらしいのにな。」
「まあ、彼はもう生きる事そのものが億劫になっていたんだろうね?一喜一憂まるでが波のように、同じような事が繰り返されるような毎日に疲れ切っていたのだと思うよ。」
「人間の心ってのは、いつ底知れぬ穴に落ちるのかも分らんものだよな。」
ここで、二人同時に溜息を付く。
 毎年のように、この事件は起こっているようで、必ず職員もしくはアルバイト学生のうちの 誰か が犠牲になる。刑務所内で反乱を起こして殺人を犯す者は毎年一人か二人、非常に多くても三人だ。しかし、脱走者の大半は、メイドに軽い怪我をさせるだけで済んだりとか、場合によっては重傷を負わせてきつい御灸を据えられる場合がある。いや、軽い怪我をさせたり、口答えするだけでも、顔面を鞭や素手でぶたれたり、ハイヒールの爪先で力一杯蹴られたり等、十分にきつく御仕置きされるのだ。囚人の業務中に甘っちょろい事は、この施設内には何一つない。そして囚人の方は、死刑を選ぶ者もいれば、中高齢者層の中では、「老い先短いし、今更外に出て働く気にもなれないので、一生御嬢さん方に御奉仕致します。」とか言って無期懲役を躊躇いなく選択する者もいるのだ。そんな輩は、毎日疲れ果てる事もなく現場でしっかり働いている事だろう。時にはだらけて鞭で打って貰う。懲りる様子がまるで見られないような者も中にはいるのであるが。しかし大抵の者は鞭で打たれる痛みに懲り懲りして真剣に業務に取り組むようになり、刑期満了して社会復帰して行く。そして無事に適当な相手とゴールインし、ちゃんとした家庭を持てる者もそう少ない訳ではない。だが、孤立する破目になる者もいるのだ。一度逮捕された人間はそれぞれのレッテルを貼られ、社会からは疎外されるのが普通である。多くの女性は寄り付かないだろう。それでも努力して会社を設立したり、職人となって働く者も多い。海外へ行って暮そうと考える者も出て来る。
「そう言えばさ、刑期満了する日が近付くと、わざと脱走をしようとしてわざと捕まりたがる奴が出て来るんだってな。」
またある個室では、先月入ったばかりの、五十歳になる囚人が話している。こちらは下着泥棒で捕まった、元下着コレクターだそうだ。
「そうらしいっすね。困ったもんすよね。皆そうですが、そんな奴なんかは特に、ね。」
と、同室の、茶髪の若い囚人が答える。この男は一週間前に、ストーカーで捕まった囚人である。
「やっぱりここがいい、なんて思うようになったらおかまいなしにそんな事するそうだな。お嬢さん方も気の毒じゃがのう。ほっほっ。」
「まああんな奴らの御気持ちは解りますよ!だってですよ、鬼畜な企業でジジイやババアに毎日散々扱(こ)き使われるよりは、綺麗な姉ちゃんに囲まれて一生ここで働いてる方が、満足でしょうし、ちゃんと飯は食えますしね。」
と、向いの個室から、別の若い囚人が牢屋越しに喋り掛けて来た。
「そうじゃそうじゃ。わしも検討しようかのう。なんてな。はは。」
「ボクは、遠慮するッスよ。ふふ。身体のあちこちが腫れて痛いっすから。」
談笑はこうして休憩時間中続くのだ。
 こう言ってみては、反省の色さえ、日々色褪せて行くような囚人も増えている事で、この萌黒民間刑務所の従業員の皆及び運営者エリカは、少しずつ悩むようになっているのだ。
そしてまた新しい怒りも覚えている。

荒野に沸く泉

今日は日曜日。もうすぐ午前中の労働が終わり、昼食後は囚人達の休日となる。
「やれやれ、やっと終わったよな。今月の仕事。」
「ああ。かったるかった。でもちと嬉しかったカモ。」
「お、おい。後ろ。」
バチン!
「ひいいっ!」
「何が嬉しいのよ!罰を受けに来てるんでしょ!dそんなだったら、来週からはもっと厳しく行くわよ、それでも良いのね。」
と一人のメイドは目を吊り上げて上から目線で言う。
「わ、悪かった。ああ痛て。」
いきなり背後から鞭で打たれた一人の男は、背中を軽くさすりながら言った。
「そら見ろ。口は災いの元だよ。それもよりによってこんなところで。」
こうしてひそひそと話しながら二人は部屋に戻った。
 昼食後は、夕食、就寝時間までは休みになる。つまり、居室で過ごすもよし、中庭でジョギングしたりボール遊びをしても良し。親しみやすい、話しやすいメイドがいればそのメイド達と世間話している人もいる。しかしここでも、失礼な事や傷付けるような事を言えば場合によっては鞭で速攻打たれたり、刑期延長にされる事もある。胸や尻に触ったりでもすれば一発でアウトである。ボールが置物やガラスに当たって器物を損壊すれば、器物損壊罪に鞭打ち三十回程を御見舞いされるのだ。日曜日の午後だろうと、ちゃんと早出、日勤のメイド達が巡回しながら見張りをしている。変な事をしたり、職員の悪口を言ったり脱走を企む者が出て来ないようにする為に見張らなくてはならないのだ。
 そしてここで一人、写生をしている囚人がいた。そう、あの漫画家志望の若い囚人である。ここで写生をするのはまだ二回目らしい。いつもは図画やイラスト、漫画の書き方の練習をするならスケッチ事典やイラスト事典、専門書等を使い、部屋で絵を描いたりしている。
「やあ漫画家見習いの兄ちゃん。今日はここで御稽古かい?」
「ああ、そうだよ。」
「あの大工だったおっちゃんからも聞いたよ。まあ出所したらまた頑張ってくれよな。」
「おお、サンキュ。」
「俺もクレーン運転士とか土木の資格あっから、またガテン系の仕事に就こうと思ってる。兄ちゃんもどうだい?土木の資格は、製図とかさ、図形や角度には結構強くなるぜい。それに、いざって時も就職困らないと思うぜ。だから兄ちゃんも良かったらどう?俺は図形や角度以外の数学問題は苦手だったからさ。プラス体力なら、まあ仕事はこんなとこだろうな。」
と四十歳ぐらいの気の良さそうな男が話し掛ける。
「まあ考えておくよ。でも多分、その手の職には俺就かないと思うから。本屋とかネットカフェとかでバイトするかな。」
「そうかい。お、メイドの姉ちゃんだ!アンタに結構気があるようだぜ。じゃ、俺は向こう行くわ。創作とか、…………頑張れや。」
「あら、また絵描いてるの?」
ポニーテールの、なかなか綺麗でいつも友好的な感じのメイドが寄って来た。このメイドは、この男よりは二歳位年上のようだ。この男にとってはこれからは御姉さんらしい存在になろうか。それともならいだろうか。いやまあ、今そんな事はどちらでも良いだろう。
「う、うん。ちょっとスケッチ事典に飽きて来たからね。ここで描くのは久しぶりなんだ。一か月ぶりぐらいかなあ。」
「へえ、そうなんだ。で、貴方は漫画家になりたいのね。まあ頑張ってね。」
「ありがと。」
顔をそう赤らめる事もなく男は答えた。
「ねえ、良かったら、私の事写生する?クロッキーしてみる?」
「え?」
「貴方、ここにいるような人達の中では結構硬派って感じがするね。満更エロ漫画とか描いてる訳でもなさそうね。」
「エロ漫画ですか。昔は描いてましたけど、今は…………。」
「普通のコメディーとかファンタジーとか??」
「まあね。よく御存知ですね。」
「他のメイドさんとか囚人さんからも聞いたわよ。」
「どうも。」
「メイドも出て来る話?」
「まあ、そうです。メイド喫茶に入るシーンも描くつもりでいますから。」
「そう。じゃ、私なんか参考になりそうね。後で呼んでくれたら私ここに立つから、して欲しいポーズあったら言ってね。」
「はい、では御言葉に甘えて、参考にさせて頂きます。」
 一方、中庭の隅では、あの大工だった囚人と、クレーン運転士や土木の資格を持つ囚人が話し込んでいた。
「そう言えば御前さんは、どんな罪で捕まえられたんじゃ?」
「俺かい?ええとなあ、シャベルカーで道行く女子校の姉ちゃん三人を一遍に掬いあげて、パンツ覗いたり、靴や服を脱がせたりして猥褻行為したのさ。この萌黒民間刑務所の話を耳にした三日後に働いた違法行為に当たる。すぐ訴えられて捕まったよ。怖くもなんともなかったかな。」
「どれだけ太い神経なんじゃ?」
「若い姉ちゃんばかりだからだよ。過ごしやすいと思ったのさ。」
「ほう。で、あんさんはSか?それともMか?」
「俺は、どうも両方の特性があるみたいなんだ。S&Mだな。この刑務所内で一番軟派なのも俺みたいだしな。はは。」
こう言うと煙草を一本取り出し、ぷかぷかと吹かし始めた。ここはどうやら喫煙所らしい。
元大工の囚人も二本目の煙草を吸っていた。周りでは何人かの囚人、そしてメイドまでもが煙草をぷかぷか吹かしている。

 ここは、職員やバイトの、メイド達の控え室である。交替で休憩中のメイドが色々会話している。夜勤明けのメイドで、次は休日だからとずっと残ってここで休んで御菓子を摘まんだりしている者が一人だけいる。オカッパ頭で目が細いメイドだ。
「週に一度の、この日は楽よね。早出さんも日勤さんも。」
とここで夜勤明けのメイドが瞼を重そうにしながらも喋り掛ける。
「そうかしら。こんな時こそ油断は出来ないのよ。責任はその日の職員にも掛かってるし。こう言う時間に、脱走者は多く出たりするのよ。人殺しは起こらないけど。しっかり見張らなきゃならないし。」
「うん。去年は私達の更衣室に忍び込もうとした奴もいたでしょ。」
「そうそう!嫌らしい!あれでまた刑期延長ね。て言うかさ、アンタもう夜勤明けでクタクタじゃない?早く帰って寝たら?ぼうっとしててまた痴漢とかに遭うと嫌でしょ。」
「そうね。じゃあそろそろ帰ろうかな。じゃ、御疲れ様あ。イバラ。」
「うん。じゃあね、洋子。」
「ふう。夜勤明けだった洋子は帰った、と。ああそれにしても、またさっき脇の下や足の裏に余計な汗かいちゃったわ。あの口軽の軟派野郎のせいで。」
「いつもある事じゃない。それに、ここの囚人は基本皆軟派でしょ。硬派だった人もいるけど。」
と、牡丹と言う名のメイドが言った。彼女は隅のベンチで煙草を吸いながら、脚を組んで座っていた。

屋内で休んでいる囚人も多数いる。牢部屋の並ぶ廊下では、聡美が巡回している。他のメイド達も何人かいる。居室を覗きながらあちこち回っていた。
 聡美が立ち止まって外した眼鏡のレンズを拭き、漆黒のニーハイソックスを膝上までぎゅっと上げ直すと、再び廊下を徐に進む。ハイヒールの音が廊下中に響く。聡美は、屋外ではスニーカーやローファー、ローヒールな紐付きサンダルを履くが、屋内ではハイヒールやパンプス等、靴音がよく鳴る物を履いている。靴音を響かせる事で、居室にいる囚人は、看守が来たとすぐに分かるからだ。
 ここでふと、聡美の目に止まったのは、一番奥の部屋で、じっと分厚い本を読んでいる、分厚い眼鏡を掛けた囚人がいた事だった。
「あら、今日もまた読んでるわね。」
「あ、あなたは。あ、聡美さんですか。」
「御機嫌よう。」
「あ、どうもこんにちは。御疲れ様です。」
男が微笑すると、聡美も微笑で返す。
「今日は何の本読んでいるの?」
「あ、これですか。ゲーテ全集の中の一作目の『ファウスト』です。」
「そう。ゲーテってドイツのあの人ね。それは面白い?」
「さあ、どうでしょうね?まだ一回目なので、このような劇曲ものは中々全体の流れの把握が難しいものでして。そもそも、深くて難解と主流した一作になるますので。」
「そうなの。普通の小説じゃないのね。」
「そうですね。」
「そう言えば、この間読んでた『砂の女』って面白かったの?私も本好きなんだけど。」
「あれですか。安部公房の作品ですね。面白いですけど、ちょっと怖いと思いましたね。主人公が、まるで砂で作られた牢獄に嵌ったみたいでしたね。抜け出せたと思えばまた捕えられたところで御話は終わっていますね。」
「そう。」
「良かったら御貸ししましょうか?」
「ええ、ありがとう。まあ検討しておくわ。その時また貸してね。私も他に読みたいの一杯ありそうだから。」
「ええ、喜んで。」
「あら。そこにあるのはドストエフスキー全集第一巻の『罪と罰』じゃない。トルストイ全集の『戦争と平和1・2』も、『アンナとカレーニナ』もあるじゃない。私もあの辺は昔読んだなあ。」
と牢屋越しに見える本棚を眺めながら聡美は言う。
「ええ。ドストエフスキーとかは特に内容がとてつもなく深くて、読めば面白いですよね。あ、そうです。安部公房は他には『壁』が面白いですよ。彼のデビュー作です。」
「安部公房もやっぱり面白いみたいね。」
「世界観が独特なところが好きです。評論家、ジャーナリストは、橋本治とか立花隆も気に入っています。橋本さんはまた作家でもありますよ。今度、大江健三郎とか森鴎外を読もうと思っていましてもうそろそろ注文する予定です。はい。」
「なかなか難しい物を読むのね。」
「聡美さんこそ、色々読んでらっしゃりそうですね。勉強家ですし。」
「よく言われるわ。そう言えば、貴方、作家志望だそうね。原稿も書いて出してるみたいじゃない。」
「はい。よく御存知で。」
「御向かいの部屋にいる囚人さんから聞いたのよ。彼は今、中庭で煙草を吸ってるみたいだけど。」
「そ、そうですか。」
「ま、私は御金が溜まったら大学院へ進学するつもりだけどね。理学部のね。いつかは名誉教授になるのが夢でね。」
「じゃあ、聡美さんはいつもバリバリの理系だったんですね。」
「まあね。でも小説や色々な論評を読んだりするのは気休めだけどね。他に、趣味としては映画や漫画も見るわ。外国人作家では、ジョン・ホーガンとか好きかな。秀逸なるSFよ。良かったら御勧めするわ。」
「そうですか。私も、SF映画とかは結構好きなのでよく見てました。」
この場で優等生同士の会話はこの調子で延々と続き、約一時間半にも渡ったのだった。

 そして夕食の時間はこの日もいつも通りであった。食事、入浴、睡眠の時間は日曜日も平日と全く変わらないのが規則であって、矢張り自由な休日とは言え、個人的な家庭のようにはいかない。
「このクリームシチュー、好きだけどニンジンとブロッコリーがどうもねえ……。幾らクレーン運転士の免許持ってる俺とは言え、これだけは掬えね……はっ!」
この男が隣の顔馴染みの囚人に、愚痴るように冗談半分らしく呟いていると、後ろには鞭を両手で握りつつ、指の骨をポキポキ鳴らすメイドの御姉さんが見下ろすように睨んで立ち塞がっていた。
「ひい、すみません。何でもないっす!」
「鼻を摘まめば食べられるでしょう?!ニンジンもブロッコリーも、目には良いのよ!それにあなた、休憩時間も、休日も殆どコンパクトゲームやゲームボーイばかりしてるんだから、目が危なくなくて?」
「は、はい。」
「もし今度捨てたりしたら、鞭で打つだけじゃ済まさないからね!私が足で潰して細かくしてでも食べさせてやるんだから!ついでに私の靴の裏も奇麗に口で磨いて貰うわよ。解った?」
「わ、解りやした。」
「ほら、あっちの眼鏡掛けた囚人さんを見習って!彼はニンジンとかの緑黄色野菜大好き
君一号よ!仕事以外の時間は本ばかり読んで目を毎日使い過ぎる分、ビタミン類、特にビ
タミンAはサプリメントを頼んででもしっかり摂るようにしてるそうなの。」
「そうですか。見習いますから勘弁して下さい。」
 その時、先程の眼鏡の作家志望の男は昼食を食べ終え、自分の個室に戻るところだった。
「御馳走様でした。美味しかったですよ。」
「あら、もう食べ終わったの?いつもより早いのね。」
とそこでこう話し掛けたのは矢張り、同じく眼鏡を掛けたメイドの聡美だった。
「早く帰って原稿の続きを書いて、また本の続きも読みたいんです。」
「そう。作家目指して頑張ってね。でも、もう性犯罪なんてしちゃ駄目よ。何でもない人
達に迷惑は掛けちゃ駄目。そして、いつかここを出ても元気でね。」
「はい。ありがとう、聡美さん。」
「ふふ。次こそ捕まったら、私も貴方の味方するかどうか解らないかも知れないわ。寧ろ縁切るかも。」
最後に、聡美は首を斜め右下に傾けるように、目を細めながら言う。
「気を付けます。」
「さて、明日からはまた通常通りになるわね。明日に備えてしっかり体調を整えるのよ。」
ここでまた聡美は顔を上げて言う。
「そうですね。日曜日ももう御仕舞いですね。明日からビシビシ働かなくてはなりません。」
「頑張ってね。私も本当は、鞭ばかり振るいたくないのよ。でも、貴方は真面目だからそんなに打たれないでしょうけど。それに引き換え、あの元大工さんの囚人とか元クレーン運転士の囚人と来たら、打たれても打たれても喜んでる感じで懲りる様子見せなくて困ったものだわね。軟派な男って、やっぱり嫌いだな。明るいだけが取り柄みたいな……。」
「ワンパターン人間ってやつでしょうね。話はしやすいのですが、ヒョウキン過ぎる性格としてはどうも頂けませんよね。」

 そして日は沈み、また昇る。
 鶴橋で岩を削る音、シャベルで土に穴を掘る音、鞭で人や土を叩く音がこの広場では飛び交っている。相変わらずな毎日だ。
 ここで一人、親知らずを抜きに歯科衛生室へと向かう囚人がいる。メイドに殴られて歯が折れて歯科衛生室へ治して貰いに行くような囚人は、そういつもいるものではなく、彼は普通に歯をぬいて貰いに行くだけのようだ。
 歯科衛生室へ入ると、メイドではなく、派遣社員として働く歯科衛生士さんが数人いる。皆小柄で顔は可愛らしく、服装は不思議の国のアリスのコスプレをしていた。白いブラ椅子に水色のエプロンドレスと、頭の上にはリボン付きカチューシャ、下は黒のストラップシューズに白タイツを履いていた。そして半数が童顔の女性だ。
「じゃあ、貴方は親知らずは抜くだけで良いのね?」
「はい。御願いします。」
「じゃ、ちょっと痛いけど覚悟してね。」
隣の席には、虫歯で治療に来ている男がいた。
「ちゃんと歯磨いてるの?」
「ごめんなさい。毎朝磨きますけど、夜は偶にしか磨かないんです。」
「まあ!それってマイナスよ!夜が一番大切なのに。」
歯科衛生士は両手で男の頬を挟むようにしながら迫って言う。
「す、すみません。」
「夜磨かないと、次の朝は口内がウンチで汚れているのと大差ないのよ。知ってる?」
「そうだったんですか。ワカリマシタ。」
「やっぱり知らなかったのね。じゃあ今回だけは勘弁してあげる。次同じ理由でここ来たら、私の糞尿を貴方の口の中へ垂れ流すわよ。」
更にその隣の席では、麻酔を鼻から吸い込むように注入されている囚人がいた。
「一箇所腐り掛けてる!これはもう抜かなきゃね!後で差し歯を嵌めなくちゃ。じゃあ先生の前に、私が鼻で嗅ぐ麻酔を入れてあげるわね。」
するとこの女は、穿いていた白タイツの右足の裏に爪先メインで麻酔液を染み込ませる。それを男の鼻に近付けて行く。
「はい。これで三十分ぐらいしたら先生と代わって抜いて貰うからね。私もこのままじっとしておくから、あんたも動いちゃ駄目だよ。まあ眠っちゃうかも知れないけどね。ふふ。」
と高めの椅子を持って来て腰掛けながら右足の爪先だけ男の鼻に付ける。
「おお、この匂い、いやこの香りは……あああ……。」
爽やかそうに男は眼を細める。この女の足の汗の匂いと麻酔の臭いが混ざって、何やら不思議な独特の香りがする様子だ。寧ろ気持ち良いのだろうか。
 三十分後、やって来た先生は、そう、あの見るからに頑固で冷酷非情そうなハートの女王様の格好をしていた。もう四十を超えるおばさん、ではなく、まだ三十ぐらいのなかなか目鼻立ちの整った美人だ。容姿だけは、あのハートの女王とは全く異なる。でも目つきが鋭くて怖そうな感じのする女性だ。流石は女王様の格好をするだけの事はある。
「さあ、抜くからね。覚悟なさい!!」
これは容赦無い抜き方をするに違いない。
「うぐぐ!…………ぐ!」
「まあ痛そう。如何にも女王様の拷問よ!幾ら麻酔掛けても、あの抜き方じゃあね。」
とさっきの歯科衛生士の女が傍で見ながら両手を口元に近付けながら言う。
 現場で働く時間が少し潰れただけでも良いと思う囚人もいるに違いない。

 今日の洗濯係に当たった人は、ラッキーな事だった。洗濯係とは、毎日囚人一人一人に当番が回って来るようにシフトが組まれており、今日はあの元大工の囚人が洗濯係になる。洗濯係とは基本、この施設で前日に囚人や一部の職員が脱いだ衣類、タオル、雑巾等を集めて、洗濯機に入れて、昼前からその日の夕方までの間に洗濯をするのだ。そして各居室や職員室に残らず配布する。タオルや雑巾等の細かい物も、脱衣室とトイレと、それぞれ決められた場所に戻さなくてはならない。
では話を戻そう。そのラッキーな事と言うのは、その日はあのエリカ御嬢の来ていた衣類やハンカチ等を洗濯出来るのだ。そう。毎月、第三週目の日曜日には、エリカが所内の休憩室の奥に泊まりに来るのだ。その日の就寝時間前にエリカは必ず、まるでファッションショーのように、全居室を、子守唄を歌いながら徐に歩いて回る。月一度の受刑者サービスデーだ。勿論、パジャマ姿ではなく、入浴前のエリカはその日の、きつい香水の香りを染み込ませたままの私服姿で歩くのだ。勿論高価なスーツもエリカにとっては私服の内なので、スーツ姿でもパーティードレス姿でも、ブレザーやセーラー服と言う女子高生の時のコスプレ姿でもバニーガールの衣装でも、如何なる服装でも、私服と呼ぶ。
 この美しい歌声で歌うエリカの子守歌によって、易々(やすやす)と眠りに付ける囚人もいれば、鬱陶しい、うるさい、もううんざりだ、とか思って逆にすぐには寝付かれなくなるような囚人やそっぽを向けてこっそり耳栓をいれたりするような囚人もいるようだ。それは勿論、全ての囚人がエリカの事を好きな訳ではないからだ。しかし、何だかんだ言って殆ど九割五分程度の囚人がエリカの事を恋い慕っている。だが、誰もエリカに告白なんぞ出来る筈が無い。性犯罪者として、あんな身分違いの女にそんな行為が許される筈も無いのだろう。
当然の事になる。
 その日、元大工の囚人はウキウキしながら洗濯物を洗っては乾燥機に入れて回し、もうそろそろエリカ御嬢様が自分の洗濯物を専用の籠に入れて持って来る頃だと胸を躍らせていた。現場で扱かれる時間は減ったりしてまたも嬉しい。
 間もなく、エリカが早足でやって来る。そして近付いて来て言う。
「さあ、これは全部私の洗濯物よ!知ってるわよね。そこにある職員用の洗濯機の中で一番奥にあるあの洗濯機で洗うの。分かってるわね。間違えたらどうなるか……。」
「は、はい。存じております。」
「ま、貴方はもう何回目かになるから大丈夫よね。」
「はい。じゃあ、こっちのナイロン袋に入ってるのは昨日私が穿いていた白いハイソックスと、黒いストラップシューズよ。靴はそこにある私専用の一番高い靴墨でしっかりと磨いてね。靴下は、その洗面台でいいから、しっかりと力を込めてゴジゴジと洗うのよ。あ、そうだ。私、今穿いているこのストッキングも脱いで穿き替える事にするから、このストッキングもしっかりと擦って洗ってね。慌てなくていいから。」
「了解です。」
 するとエリカは、白いパンプスを脱ぎ、薄茶色のストッキングをスカートの下に両手を嵌めてその場でそろそろと脱ぎ始める。ここは屋上にぽつんと建つ小屋の中の洗濯室なので、普段は洗濯係以外の人間はあまり来ないようになっているのだ。
 ここで、ボタン付きの半袖の白ブラウスと山吹色(濃い目の黄色のような色)の膝丈スカートだけの姿になったエリカは、ポケットからもう一つの、濃い目で厚手の茶色いストッキングを出し、またもそこでそれを穿き直し、パンプスを嵌めると顔を上げて言った。
「じゃ、夕方までに御願いね。子犬さん。」
「……。」
ここでは、如何に年を取って如何に大柄な者でも、囚人であるからには女から可愛がられる子犬と変わらぬようにエリカは見ているのだ。下で働く刑務官の中では、色々と好きになった囚人の事を一人の人間として、一人の男として贔屓(ひいき)するような子、恋い慕うような者もいるのだが、冷徹で生真面目で理想の高いエリカは勿論違っていた。
 洗濯を始めながら男はぶつぶつと独り言を言っていた。
「さて、先ずはこの汚れた男臭い、囚人の皆の衣類から洗ってやるとするか。そんで、畳んで配るのもこっちをささっと終わらせようか。やっぱり楽しみは後さ。はっは。」
こう言いながら、「標準」ではなく「お急ぎ」のボタンを押して回す。どうせ薄汚い囚人の制服や作業服なんだから、ここはお急ぎでも十分だと思いつつ……。
 ここの職員も大抵は着替えを家に持って帰るが、時々、汚れたり汗臭くなると特に夏には服や靴下を日中に一度か、二度は替える職員もいるのだ。特に、外にいるあの逆メイド軍団の連中はそうである。下着やストッキングなんかは特に汗で蒸れるのでよく洗う。
 ここで、女職員の衣服の匂いが嗅げるなと喜んだら大間違い。洗濯室にも監視カメラが設置されている為、セキュリティも甘くはない。もし嗅いだのを見つけられると、職員室へ呼ばれて鞭で臀部を十発叩かれ、刑期が一か月延長されるのだ。
 そう、職員の物を存分に嗅いで許されるのは、このエリカが来るサービスデーの日だけになる。だからその日の洗濯係はそれが出来る為、毎回、洗濯が回って来るのを皆楽しみにしているのだ。しかも、驚くなかれ、職員の”洗濯前”の物なら、身に着けてみたりしても許されるようになっている。ただし誰かのをただの一着までだ。下着なら下着だけ、靴下なら靴下だけ、靴なら靴だけ、肌着なら肌着だけ、服ならその服だけと言う風に。
「くうーー。この鼻の奥までつんざくような酸っぱい匂いが溜まらんなあ!お、この甘い香りもだ。ぬぬこれは甘酸っぱいのう。……ぐげげ、この黒タイツは、何か納豆臭いぞ!このパンストは生ゴミの如く、この白いフリルのハイソックスは、まるで兎小屋かな。こっちのは卵が腐ったようで……。むむ、これは豚小屋か、あのぽっちゃりした子のかな。おお、臭(くさ)極楽じゃのう。」
その時、監視室では監視係の職員同士の会話が弾んでいる。
「うわあ、やっぱりあいつ、キモーーい。」
「ホントよねええ。」
「うふふ。まあ許しておやりよ、あれぐらい……。エリカ様によるサービスデーなんだし。」
「でも、ストレスが過剰に溜まってる時とか虫の居所が悪い時は、アタシ暫くはあいつにいつもより三倍は辛く当たるかもお。あいつが現場でまた働く時にね。だってあの下着と靴下、今日の昼過ぎにアタシが脱いだ分だもん!!」
 時刻は夕方六時を回る頃、エリカの衣類も全て洗濯され、乾燥機ですっかりと乾いていた。ストッキングとか薄手の靴下は、晴れの日は極力室内で吊るして干す様になっているので、エリカのストッキングも奇麗に乾いており、男はそれを取って小屋の中へ持って入る。
「洗濯はもう終わったかしら?ワタクシ、自分の分だけ引き取りに参りましたの。」
 するとそこへエリカが洗濯室へ入って来る。突然、狭い室内に鞭の音がバチンと鳴り響いて鋭くこだました。
「あう。」
「あう、じゃないでしょ!洗濯後の私のそのストッキングを床に軽々と置くなんてどう言う事よ!ねえ!慌てずゆっくりやるように言った筈じゃないの。」
「ひい、すみません!」
彼はストッキングを竿から取った後、続け様(ざま)に他の洗濯物を取り出そうとした為、昼から洗濯しておいたばかりのそのストッキングをうっかりと洗濯室の薄汚れた床へポンと気軽に置いてしまったのであった。
「今度からは気を付けて!貴方はまだ真面目な囚人だから今回だけはこれぐらいで許して
あげるから!次やったらこの程度じゃすまさないからね!!分かった?」
「はい!も、申し訳ありませんでした!」
と男は土下座を五回程繰り返した。
「解れば宜しいわ。」
こう言うとエリカは靴の踵(かかと)で男の後頭部を優しくポンポンを叩くと、三度ぐらい撫で回した。
 厳しいけれど、割と優しい一面もあるエリカ御嬢。それは、幹部だから下っ端よりはずっと貫禄なのだろう。当然の事だ。理知的で判断力もあり洞察力も深い。

「こら!何ボーッとしてるの!?駄目でしょ。」
とバチン。
「ひい!すみません…。あれ…誰かと思えば…。」
「私よ。歩よ。ねえ漫画家志望の習作(しゅうさく)君。また妄想に耽ってニヤニヤしたまま手を止めてたでしょ。仕事中よ、しっかりやってね。私もあまり鞭振りたくないの。特に貴方にはね。」
背後から出て来たのは、あの時のポニーテールのメイドである、歩(あゆみ)だった。そして、ここで漸く、囚人の名前も出るようになる。漫画をよく描いている、この囚人の名前は、習作と言うそうだ。
「癖は、なかなか治してしまうのが難しいから、癖って言うのだと思うんだけどね、今はちゃんとやってね。私達まで怒られるから。」
「ごめんなさい。歩さん。ちゃんとします。」
「宜しい。じゃあちゃんとやるのよ。で、また今度新しい漫画、見せてね。」
こう言うと歩は微笑み、去って行く。
「歩さん……。僕また頑張るよ。うん。いい人だ。」
歩が一番、逆メイド職員の中では温厚で友好的で話しやすいタイプのようだ。習作とかの唯一の理解者になろうか。早くから友達でもあるが。
一方、向こうのゾーンでは、
「あっはっは、マジかよ、工(たくみ)。」
「マジ、マジ。あれは本当凄かったさあ。将(まさ)明(あき)。」
「くおらあ、てめえら!!バチバチバチバチンッッ!!」
「いでえ!」
「うっ!」
「また御喋りしてたな!」
「そうよそうよ!」
あの大工だった囚人の名前は、工と言い、クレーン運転士の資格を持つ囚人が、将明と言うらしい。
ヒガンが、傍にいたイバラから鞭を借りて二本の鞭で二人を乱れ打ちした後、イバラは更にその後すぐ二人に片足ずつ、背中を目掛けてダブルキックでくらわせた。そして、二人が倒れたところを、更にヒガンは工の首を、イバラは将明の首を両腕でギュウッと力一杯締め上げた。
「うぐわああ、く、苦しい………。俺が悪かった。」
「た、助けて、勘弁してえ………。反省するよう。」
工と将明は苦しそうに冷や汗を出して顔を真っ赤にして唸るように謝る。もう少しで、逆に真っ青になるところだったろう……。
「全くもう!」
とヒガン。
「懲りない奴ね。」
とイバラ。
「今度やったら、両脚で締め上げて、靴のまま頭を踏み付けるからね!!分かった?」
「分かりました。申し訳ありません。」
イバラが脅すと、工の方がしっかりと謝罪する。
更に一方では、あの小説家志望の、インテリ風の囚人、章(あき)雄(お)が、ネタでも考えていたとのか手を止めていたところ、洋子と言う、もう一人のきつい目をした美人メイドに見付かり、鞭で打たれた後、突き飛ばされ、また一発鞭で打たれた。
「いつも聡美といちゃいちゃしてるそこのアンタ、ちゃんとやりなさいよ!もう!」
洋子が去って向こうへ行った後、聡美がやって来て、
「大丈夫?章雄君。はい、これ傷薬よ。私のだけど使ってね。」
「あ、ありがとう、聡美さん。気を付けます。」
何処へ行っても、ひいきとかはあるものだが、根が真面目で誠実な人は、いつかは報われるもののようだ。必ずしもとは言い難いが。これでしつけになるものかどうか……。
今日も鞭や靴の音、機械や鶴橋で岩や土を掘る音が、荒野に響いている。

 夕方になると、普段着に着替えて替える早番のメイド達。そして本日の夜勤入りのメイドである、ローズと牡丹と、もう一人、ショートカットのボーイッシュなメイドの、百合(ゆり)が出社して来た。
「グッドモーニング。」
「お早う御座います。」
「あ、洋子、歩、御疲れ様。お早う皆(みんな)。」
普段着について、ローズはオレンジ色のワンピーズに白いサンダルだけ、牡丹は白いポロシャツとジーパン、百合は青いTシャツと短パンとスニーカーで、靴下は仕事の時の黒いオーバーニーソックスをそのまま穿いて来ている。三人は裏口から入って来て、そのまま更衣室へと向かった。
「お、漸く本日の夜勤軍団のお出ましだな。俺は百合ちゃんがタイプかな。」
「なんでえ、俺は絶対ローズ様だよ。」
「牡丹ちゃまが良いってば。」
口々に囚人達が談笑し合う。
 するとここで、早出で帰る聡美と歩が着替えて更衣室から出て来る。聡美は、深緑のジャケットと焦げ茶色なロングスカートの下に、そのまま黒ストッキングを着けて出て来る引き締まった大人の女性って感じだ。そりゃあ眼鏡美人且つ、老け顔(失礼)だから当然だろう。歩は、ブラウスと膝丈スカートの下に、オーバーニーソとスニーカーだ。
「聡美さん、御疲れ様です。」
と章雄。
「歩さん、さようなら。」
と習作。
「はい、御疲れ様。頑張ってね。くすくす。」
「じゃあね、習作君、囚人の皆さん。」
こう言って二人は帰った。
「今日も一日が終わるなあ。ひゃっひゃっ。いやあ、べっぴんな若い姉ちゃんに囲まれてこのまま毎日働くってのも悪くないっすねええ。」
と将明。
「わしはぼちぼち出たいかのう。」
と工。
 夜になると、日勤のメイド達がぞろぞろ帰って行った。
 何と、女子高生でアルバイトのスタッフ達で、黒や紺のハイソックスの者は皆、学校にいた時と同じ物を一度も履き替えずに仕事の間中ずっと穿いていたらしいのである。超臭いとか洗濯した~~いとか交わしつつ、帰って行っている。仕事の時とで履き替えているのは、ルーズソックスを穿いていた者だけのようだ。ルーズソックスのメイドなんてのは、やっぱりメイドとしては許される筈もないからだろう。
「ほお、あの紺や黒のハイソックスの姉ちゃんらもなかなか強者(つわもの)でねえかい。ひょっひょっ。何か、こっちまで酸っぱいニオイがつんと流れて来たようじゃぞい。」
「こらこら、聞こえたら知らないぞ。」
「あ、そうじゃな。」
 イバラとヒガンは、元々コギャルみたいで、高校を出た後すぐにここへ逆メイドこと刑務官としてここに就職したが、今でも紺や黒のハイソックスを愛用している様子だ。二人とも、普段着とミニスカートの下には、イバラは黒、ヒガンは紺の膝までのハイソックスだ。ローファーかスニーカーかは、その日によって違うが。勉強嫌い、遊び好きで元気な二人にはここがきっと合っているに違いないだろう。このまま業務内で事故にさえ遭わなければ安泰と言えば安泰かも知れない。
 翌日、この間の新人メイドが一人辞めたとの知らせが入り、控え室で職員は話し込んでいた。
「あの子、やっぱり辞めたみたいよ。」
「ああ。あの人見知りな子ね。僅か三ヶ月かあ。短かったわね。」
「大人しいとかそればかりじゃなくて、身体も丈夫じゃなかったみたい。」
「辞める子はすぐ辞めちゃうのよね。この前の死傷事件で怖気付いたってのもあるんじゃないかなあ。でもそれって、ここでは1%や2%の交通事故を恐れて道路で自動車とかを走らせないのと同じようなものよね。」
「そうね。ま、どの仕事でも同じでしょう。基本、楽な仕事なんてないのだし。」
「好きでやってる人とかは、良いわねえ。」
「私だってふと色んな事考える時があるの。」
「え?」
「知り合いに歯医者や歯科衛生士やってる人とかいるから、私、もし辞める事あったら歯科衛生士ぐらいにでもなろうかと思ってるの。あくまで一応、だけどね。」
と、丸いツインテールの小柄な眼鏡メイドは言う。そんなに刑務官らしくは見えない子だ。
「へえ、考えてるのね。でも専門学校行くのにまた御金が掛かるよね。」
「うん。貯金しとく必要あるけど、中退とかしちゃったらまた御金が勿体無いから、よく考えて慎重にやらないとね。」
「そうそう。どんな仕事でも続けないとね。転職のし過ぎも後々大変でしょうしね。それに、そこでもドクターとか同僚、患者からセクハラ受けないとも限らないじゃない?そん時は遠慮無くここへぶち込んでやっても良いわね。」
「そうね。でも予め忠告しとこうかな。私はここで働いていたから結構強いわよ、ってね。そうだ、私、こう見えて多汗症なのよね。ここで働くには汗かくの当たり前だけど、嫌なくらい汗が出る事あるのよ。だから、小さい病院とかで腋臭(わきが)とか他から出る汗の匂いが気になっちゃうかなあ。面倒なケアをしなくちゃならないかな。朝早く起きてそれするの面倒臭いなあ。朝が一番苦手なのに…………。」
「もっと強力な商品が出てるんじゃないの?もうついて行けないぐらいだもん。機械の進化のスピードにせよ何にせよ、だけど。」
ともう一人のメイドは言う。
「囚人さん達も毎日大変よね。今はまだ同情する時じゃないかも知れない人沢山いるけど……だって、何時間寝ててもしんどい時はしんどいからね。態度が良くなった人を見ると、何れは可哀想に思えて来ちゃう。もう二度とあんな事しないと神様、仏様に誓える人になら、だけどね。それから地蔵菩薩様にもね。」
「うん。分かる分かる。」
「ふわあああ……あ!御疲れ様あ!」
「ええ、御疲れ様。」と業務を終えたメイドがまた控え室に入って来る。「さっき、また新しい男が連行されて囚人としてここ入って来てたから、見物してたら遅くなっちゃった。」
「へえ、そうなんだ。どんな罪犯した人かな?」
とさっきの眼鏡のメイドは尋ねる。
「何でも聞いたところでは、恋人に暴力を繰り返して、振られた後また逆恨みして後ろから暴行を加えて現金奪ったらしいわよ。私、疲れてイライラすてたもんだから、唾を一つ吐きかけてやっちゃった。」
「あちゃあ、何て奴かしら。まあ『女の腐ったよう。』とか言いたいところだけど、男女関係無く、執念深いとか逆恨み、逆ギレは駄目駄目よね。人間として。自分を何様だと思ってるのって思うわ。」
ともう一人のメイドは言う。
「さて、ぼちぼち更衣室行って着替えようか。いい加減、汗臭いのを我慢出来なくなっちゃいそう。」
「そうね。」
 更衣室から出て来たき丸いツインテールと眼鏡のメイドは、Tシャツと、踝の見えるジーパンとスニーカーで、長い黒靴下はもう脱いでいた。もう一人のメイドも、黒ストッキングは脱ぎ、素足にフェラガモ、ブラウスとロングスカートってスタイルだった。上に向けて束ねていた髪も下ろしている。
「御疲れ様ね。」
「うん、御疲れ様あ、先輩。」
とツインテールのメイド。
「二人共、御疲れ様ね。私、明日休みだし、今から買い物して、飲んで帰るつもりだから。うふふ。ふうう、でも疲れたなあ。じゃあね。」
と、またその後、最後に出て来たメイドは、何と、黒ストッキングを脱いで、ブラウスと上着とスカートの下には、ベージュのストッキングに履き替えているのだ。そして白いハイヒール。もしやこんなタイプは自宅にいる時でも御洒落に気を使うタイプなのだろうか。

取調室にて、机越しに新しい囚人になる男に問い掛ける。
「名前と経歴、罪名、服役年数を言え。」
「はい……名前は……。」
この後、ビンタの鳴る音や、机を蹴る音、床に倒されたりパンプスで身体のあちこちをぐりぐり踏み躙(にじ)られたりして唸る声が聞こえて来る。ドアの前を通り掛かった囚人は、自分がまだ軽い罪で良かったと思いつつも廊下で立ち止まりそれを聞く。
 次の週明けには、仲良さそうな女子高生が制服のまま三人この施設を訪れて来ていた。バイトの面接に違いないと見掛けた囚人は話していた。就職活動なら、スーツに間違いない筈だからだろう。公務員でなく民間企業だが、身嗜みが大切であるからして、高卒でもスーツでないとここでは許されない。
 二人は紺ハイソックスだが、一人は白のルーズソックスだった。夕方なので下校途中に寄っているのだろう。
「あら。バイトの面接に来た子ね。」
「一人は心細いけど、友達同士なら何とかなりそうとか考えているみたいね。」
「ええ、多少は心強くなるだろうけど。まあ全員受かると良いわね。」
面接で来た時点で、現場が見られるのだから、部分的な雰囲気は掴めるところだろう。

「気軽な御小遣い稼ぎだと思うのでしたら、辞めた方が良いですよ。ここはそんな甘いところじゃありませんからね。」
と面接官のメイドは言う。
「はい。了解しております。」
「貴方も良いわね。」
「はい。」
「宜しく御願いします。」
 その後の通知によれば、三人共見事に合格したらしい。平日の夕方から三時間を週二日、毎週土曜日の午前十時から午後五時までで合計すれば日数は週三日、計十三時間を毎週働く事になったらしい。ここに就職するなら、良い研修にもなるだろう。
 早速平日の夕方。今日に当たったあの女子高生が、裏口から入って来た。そこには丁度、さぼって煙草を吸っていた囚人が声掛けた。
「君が、バイトの姉ちゃんか。可愛いねええ。宜しくな。」
「うるさい!知らないわよアンタなんか!それに、さぼってるじゃない!!」
と言って一人は鞄を振り下ろして思い切り頭をぶった。男は尻もちを突くように倒れる。
「いてっ!!この……。」
「これでどう?」
と言って、もう一人の少女は革靴を脱いで、ルーズソックスを穿いた足の裏を、頭を押さえながら怒る男の鼻に突きつけた。更にその後もう一人は、紺のハイソックス足裏の爪先で鼻を塞ぐように踏ん付けた。
「うぐぐう。」
「ほら。酸っぱいでしょ。」
「私のルーズは、納豆臭かったんじゃない?私今日は、体育もあったからなあ。」
「もうしません。」
「あ、さぼってる奴、見―っけ。御二人とも新人のバイトさんながら中なかなかやるわね。向いてるんじゃないかな?さて、こいつを連れ戻さないと。ゴメン。ちょっとだけ手伝ってくれる?後頭部を思い切りぶつだけで良いから。」
と、向こうから走ってやって来たイバラは言った。
「はい。」
「こうで良いですか。」
「うぐっ!!」
イバラと少女が両脇を抱えて起こした男の後頭部を、紺ハイソックスの少女はローファーで一発蹴り上げた。イバラが肘で拳骨と、止(とど)めを刺すと男は漸く気を失った。
「アリガト!後は、こいつをまた向こうで水ぶっ掛けて鞭で数発打って目を覚まさせるから、もう良いわよ。早く着替えに行ってまたここ来てくれたら良いから。じゃ、私連れて行くね。残りの煙草も没収ね。五本も隠し持ってたようね、この野郎。」
こう言うとイバラは気絶した男を引き摺るようにして向こうの現場へ連れて行く。
 この日から新人のアルバイト生が入って来た。三人とも可憐だ。早速、ぶたれたくてわざとサボるように振る舞ったり、ダラダラと仕事をする囚人がいた。ドMの変態と言う奴だろう。
「そこ、サボんないでちゃんとやってよ!」
と早速鞭をバチン!
「あうち。」
「『あうち。』じゃないわよ!私まで怒られちゃうじゃない!この!この!」
「そうよ。その調子よ。ふふ。もっと言う事聞かない時は、グーで殴るなり、転ばせて踏み付けるなり好きにして良いからね。もしも数人から暴行を受けたり、逃げ出そうとしたりする人がいたら、遠慮せずに大声で他の職員を呼ぶのよ。困った事や解らない事があったら聞いてね。」
とベテランのメイドは言う。
「はーい。」
新人の一人は、こう言って元気良く手を挙げて答える。
「ふう。さてと…………。」
ああ言うMとかドMの変態は、こう言うところには多数いて当たり前だな。昔はSだったような者もいるだろうけどな。新人はそう思うのであった。
章雄は、現場の離れた位置から仕事しながら心の中で呟いていた。昨晩も、こんなドMの変態について、しかも前の自分はこうであったと、聡美と話していたところだった。
そう。それは可愛い女の子や綺麗な御姉さんに、わざと「ごめんなさい。」とか「もうしませんから許して下さい。」と謝るのが好き、と言うこんな趣味である。明らかにこれは、MかドMの変態である。つまり、わざと嫌な事をしたりして相手を怒らせ、そこで謝る。それも決して「すまない。」「すみません。」とか「申し訳ありません。」とか「ゴメン。」ではなく、「ごめんなさい。」とか「反省します。」とか「許して下さい。」と言うのが良いのだそうだ。特に「ごめんなさい。」とそう言うのが、何故か興奮するらしい。綺麗な女性に、構って欲しい、少しでも興味を持って欲しい、と言うその心理である。全然持たない男もいないのではないだろうか。人間は元々は皆変態でエッチだ。SかMであり、SになったりMになったりもする。同じ助平や変態でも、それぞれフェティシズムの趣向は異なる。
逆に、自分はMではない、と言う場合には、イラッと来るだけで、大して興奮はしないってのもある。
「御疲れ様ああ。」
「御疲れ様です。」
そして、夜になり、その日出勤のメイド達は帰って行く。歯科衛生士の職員も見える。
「今日も色々あったわね。」
「そうね。私は、今日も命あって良かったなあ、なんて思うかしら。」
二人は微苦笑し合いながら会話を交わし合っている。
「あ、そこのアナタ!下のスカートだけ制服スカートは駄目デス!ちゃんと下も着替えるようにしてクダサイ!!」
「え?」
リーダーのローズに帰り際呼び止められた新人の子ははっと振り向く。上はちゃんと私服に着替えたのに、下だけがまるでメイドのスカートのままで、半分ゴスロリのように見える格好である。
「見っとも無いデスカラ、上だけでなく、下もちゃんと私服に着替えてネ!メイド服のまま表を歩いちゃ駄目ですし、上下片方だけメイドなのも駄目!それにここの職員だと”丸分かり”デスヨ!!ちゃんと着替えてネ!」
「はい。分かりました!すんません!気を付けます。」
新人は頭を下げる。そして更衣室に戻り、ジーパンの長ズボンに替えて出て来る。
「私も最初はああ言われて注意受けた事あったっけなあ、帰り着替えるのが面倒臭くて、時々下だけあのままだったのよねええ。結構お洒落なスカートやボトム穿いてたんだけど。」
とヒガンは、イバラに言う。
「そう言えば、そうだったわよね、アンタ。」
ヒガンとイバラとローズは、今日は夜勤入りの日になっている。

「ただいま。」
この日、仕事から帰った聡美は、キッチンで黒烏龍茶を一杯グビッと飲んで、汚れた制服を脱衣室にある洗濯籠に放り込み、自分の部屋がある二階へと向かった。両親は、居間で二人仲良くテレビを見ている。
 聡美の部屋は、理学関係やコンピューター関係の本で一杯だった。理系の書籍に占領されたと言って良い程の部屋である。ただでさえ、そう広い部屋ではないようなのだ。そう。実験室はこの部屋の御向かいにあるのだから。大抵の家庭は、兄弟とかで部屋を分けたりして一人の部屋が狭くなるのが普通だ。聡美は一人っ子だが、彼女の場合は勉強部屋且つ寝室となるマイルームと、実験室になるマイルームとに分けている。姉妹も兄弟もない分、幼い頃から読書家で勉強家で動植物やパソコンが大好きだった聡美は、ずっとこの部屋に籠って研究を続けて来た。今は、博士号を目指し、萌黒刑務所で働いて貯金しながら、コツコツと勉強を続けている。大学院で少しでも余裕を持ちたいが為に、今は普通に働いて、じっくりと研究を独学で続け、大学院へと進んで研究室に残る。理学部生物工学を専攻する予定である。動物の心も解るようになりたいと願い、そして人間の事ももっと知り、将来はノーベル賞まで取れるように頑張るつもりではある。
 このような人間は、日本中探せば、それなりの数で結構いるのではないか。文科系の子では、大学卒業後、一度民間企業に就職して働きながら公務員試験の勉強をコツコツと頑張る者もいる。競争率が激しくなっている為、フリーターでは少し甘いかと思う。公務員だと、年齢制限もある。聡美なら公務員試験も余裕で合格出来るかも知れない。尋問科学や社会科学も、聡美はそう苦手な訳でもない。矢張り、勉強が出来る子は選択の幅が広がるのだろう。学歴社会である欧米や韓国程ではないのだが、どの国においても学習は大切である。知識と知恵と体力、そしてコミュニケーション能力が備わっていれば一人前の大人と言えるのではないだろうか。
「ふう。今日も草臥(くたびれ)れたけど、向学心は草臥れてないわ。さて、今日も続きしようかな。その後で、あのSFアニメとSF映画のDVDでも借りて来て鑑賞すれば、また良い気休めになるわね。」
本棚の奥で小声で、眼鏡の奥から目を細めながら聡美は独り言を言う。
聡美はパソコンを立ち上げると、分厚い専門書を取り出し、それもデスクに置いてページを開く。
「ふむふむ。成程。さて、そろそろ化粧だけを落とそうかな。その後で夕食、と。」
「聡美―っ!!今日も御風呂は遅く入るの?」
と、下から母の呼ぶ声がする。
「うん!ちょっと今日も実験室入るから、服とか体がまた汚れると思うの!私は後にするわ。十二時過ぎると思う。明日は休みだし遅くなっても大丈夫。」
「はいはい!じゃあ湯冷めだけには気を付けなさいね!」
「うん、解ってる。いざとなれば私特製の、よく温まる入浴剤もちゃんとあるし。」
疲れの混じったような笑顔で聡美は言う。
 その後、再び風呂場の脱衣室の洗面所で聡美は黒ストッキングとジーパンスカートを脱ぎ、黒スカートと新しい黒ハイソックスに穿き替えた。そして洗面台で化粧を落とす。
その後リビングで休憩している時も、聡美は日経新聞や、人間のホルモンについての専門書を眺めたりしていた。男性は、女性よりも性的欲望が強いと言う事は、大分前に古本屋で立ち読みした本によって知った。雑誌とかを見る時も、自然科学関係とか世界経済関係の物が殆どである。
 聡美の実験室には、薄緑色をしたような液体と一緒に、トカゲや蛇、鮫や魚の骨等が大きな瓶の中に漬けられて並べられていた。全部実験台であって、この中には勿論、ペットはいない。部屋の隅には、籠は大量に積み重ねられている。見たところにいよると少し前までは、生きたまま籠に入れられていたとだれもが考えられるだろう。

 今年も寒い冬を迎えた。現場でも働いている光景は大層変わらない。だが、寒さによって集中力が薄れたり、よけいに腹が減ったりして元気を無くしたり、こっそりとさぼりたがる囚人も増えている様子だ。
「こらそこ!寒いからってサボらない!熱が出たりしたらまた言ってくれたら良いから。その時は病室へ案内するわ。」
と聡美はさぼる囚人に言う。聡美自身は、結構タフなのだ。徹夜で研究を続けたり、定期的にジョギングや水泳もしに行く。
「聡美さんは凄いなあ。」
と章雄。
「おいおい。仕事中だぜ。聡美って職員と仲良いからって、ここで無駄口は控えないか。」
と習作が言う。
「そうだね。最後に、聡美さんはさ、本気で怒ったりしない限り、いつもは優しい御姉さんなんだよね。」
「俺もそう思うよ。俺だって、あのポニーテールの歩さんは、いつもは凄く優しいと思うよ。」
「気の良い御姉さんだよね。」
「イバラとかヒガンは、キツいけどな。」
「はい!後三十分で休憩よ!皆、サボらずしっかり頑張るのよ!!」
と聡美は大声で呼び掛けるように言う。
 翌日は、運営者のエリカが焦げ茶色のコートに身を包んで、所(しょ)へやって来た。ロングスカートの下は、ブーツに黒パンストを穿いている。青や黒等の、地味な色ばかりを集めたような模様のマフラーをしている。マフラーがずれるのを右手の人差し指と中指でそっと直しながらコツコツ歩いて来る。
「はい皆。御疲れ様ね。」
「御疲れ様です。エリカ様。」
「御疲れ様です。」
相変わらずエリカは、モデルでもないのにモデルのような歩き方をする。
「エリカ様って、ファッションショー大会で優勝した事もあるらしいわね。」
「へえ!私は、美人コンテストでしか優勝した事ぐらいしか知らなかったなあ。」
メイド達は口々にこう会話する。
 仕事帰り、日勤だったイバラとヒガンは仕事を終えて、更衣室から出て来る。
「あらヒガン。あんた来た時、そんな恰好だったかしら?」
「え?違うけど。来た時は、青いセーターとシルクのパンツよ。」
ヒガンは、白い毛糸の薄目の服の上に茶色いベストと茶色い膝丈スカート、下には白い綿のタイツと黒いストラップシューズと言うスタイルで言う。
「私、この後は彼とデートなの。夕食も兼ねてね。」
「へえ、そうなんだ。もう私達ってそう言う歳なのねえ。私は半年前に別れたんだけどね。で、彼は何してる人?」
「普通のサラリーマンよ。」
「そう。あ、白いタイツって、結構脚が太く見えるって聞い事あるんだけど知ってた?」
「さあ、知らない。でもイイわ。元々そんなに太くはないし、ふくよかな子も可愛くて好きだなとか言ってたもん。」
「ま、人それぞれね。私は、子供っぽく見える白タイツやパンストより、黒とか茶色のパンストやタイツ、黒や紺のニーソックスが好きかな。」
と、小柄なヒガンと比べて若干大人っぽいイバラは言う。
「痴漢には気を付けなよ。ヒガン。」
「ええ。イバラもね。じゃあね。また明後日(あさって)ね。」
こう言うと足早にヒガンは去る。

 ある日の正午過ぎ。社員休憩室にて歩は、一度ポニーテールを解(ほど)いて、手鏡を左手に、右手は櫛で丁寧に髪を梳(と)いている。そして長い髪を梳き終わると、清潔でマメな歩は、靴下を履き替える。ナイロン製のサポートソックスだったので、普通の靴下の倍は蒸れるので、大体はこの場合も履き替えている。冬でも履き替える事があるのだから、夏は殆ど毎日履き替えているのだ。ヒガンやイバラはそう気にしないが、歩はとても女性らしくてデリケートな方なので、非常に気にするタイプらしい。緑茶成分の入ったウェットタオルで、脇の下も一日一度以上は拭き取ったりもする。
「うう、結構臭うなあ。特に爪先が。でもこれは当たり前だけど。」
と歩は独り言。どんなに明るい人でも普通の人でも、独り言を言う時は少しは言うのだろう。無意識に声に出たりもする。
「御疲れ様。」
聡美も入って来る。聡美と歩が同じ日勤だ。
「御疲れ様です。」
「さて。昼食にしようかな。ローズリーダーが、先に食事、休憩へ行って良いんですって。」
「そうですね。では、御先に食堂に行きます。」
と歩は休憩室を出る。
 数十分後、食堂にて二人は同じテーブルで昼食を摂っていた。その時、会話を交わし合っていた。
「ねえ歩さん。あの習作君と言う囚人とは仲良く御話とかしてるの?」
「はい。囚人さんの中では素直で大人しい良い子なんですよ。かなりの人見知りみたいですけど。」
聡美が聞くと、歩は笑顔で答える。
「そう。私はあの章雄君って言う、本が好きな囚人さんと仲良いの。フレンドリーかな。」
と聡美は微笑して言う。
「あの二人は文科系でまだ真面目な人よね。犯罪をして捕まっちゃったからここにいるんでしょうけど。」
「確か、絵が巧い漫画家志望の習作君と、…………。」
「文学青年で小説家志望の章雄君ね。SFとかファンタジーを書く作家を目指してるみたいよ。」
「聡美さんは確か、大学教員志望なんですよね。」
「そう。少なくとも事故にだけは気を付けながらここで御金貯めてるのよ。博士課程をきちんと後期まで修了させて、生物学者として研究室を設けたいところかな。」
「聡美さんは凄いですねえ。私は何にも出来ないのに。」
「あら。歩さん、貴女(あなた)は、心が温かくて包容力あるし、ファッションセンスだって中々良いじゃない。」
「あ、有難う御座います。そうなんでしょうか。」
「ええ、そうよ。でもあのエリカ御嬢様に勝つには大変難しいけど、あの人はまた特別ね。」
「そうですね。いえ、勝っちゃったら何されるか解りませんし…………。」
「まあ、あの人の下で私達は働いているんだものね。だけど、あの方の事を虚栄心の塊だなんて言っちゃったら過言になっちゃいそうかな?でもどうだろう?本当の事は解らないし、何にせよ企業秘密でもなくて、個人としてのプライベートな問題だから………。知られたくない秘密の無い人間なんて本当にいるのかしら……………?」
「ええ。ですね。親子や夫婦や兄弟姉妹等の家族、如何程に仲の良い恋人同士でも、全部を明かす必要もないと思いますね。例えば、日記の一つにしても、そうですよね。」
休憩時間が終わる五分前ぐらいまで、食堂で二人の会話は延々と続いたのだった。

サービス・ペナルティ・サービス

 この日、聡美と歩は一緒に映画を見に行った。二人揃って丸々休日になっていた。二人がこうして仲良くなれたのは、半分は章雄や習作の御蔭になるのかも知れない。聡美の勧めで見たSF映画は、話の筋も複雑な洋画で、生物工学や宇宙工学に関する専門用語も多かった為、歩に合ったものがどうかは難しいところだ。
「ふわあ、私は面白かったわ。歩さんはどうだった?」
「そうですねえ。感動しました。ですけど、私にはやっぱり難しかったかも知れません。なのでとても一通りの鑑賞では……と。」
「そう。御免ね。理系の事に詳しくないと結構難解なのよ。今度は、歩さんの好きな物を優先するわ。また教えて頂戴ね。」
「はい。了解です。あ、聡美さんはやっぱり、内容を全部把握して理解されたんですか?」
「え?うん、まあそんなところかしら。だけど、全部が全部は覚えてる訳じゃないのよ。人物の把握とか時間軸がこんがらがっちゃう事もあったかしら。」
「そうですかあ。でも、やっぱり聡美さんは凄いですねえ。私は素直なだけで、頭使うのは駄目なんで…………。」
二人は近くの繁華街へ入りながら歩いて行った。
「あそこに私の御好みの御店があるの。スパゲティが他より美味しいのよ。良かったら夕食とかどう?あ、無理なら良いわよ。どちらでも。」
「行きます!是非スパゲティが美味しい店、今すぐ紹介して下さい!」
「そう。じゃああの店よ。入りましょ。」
 翌日、休憩時間に中庭で聡美と章雄は話をしていた。
「へえ、歩さんとですか。それは楽しかった事でしょうね。」
「ええ、まあね。そうだ。貴方、今度仮出所が決まったんですってね。」
「はい。来月の頭です。」
「良かったら私が監視役になるついでに、二人で何処か行こうか?」
「え?それ本当に良いんですか?」
「御不満?」
「いえいえ、勿論嬉しいですよ、凄く。でも、犯罪者の私と、それもまだ私は出所じゃないですし、受刑者の私といて、知り合いに見つかったりしたら、……。」
「そうなると大変ではないか?と?大丈夫よ。解らないように変装するし。化粧もするわ。じゃあ貴方も地味な帽子やコートを着用したらどうかしら?」
「有難う御座います。では、御言葉に甘えましょうか。聡美さんは優しいですね。」
「そんな事ないわ。貴方が真面目になって来てるから、ささやかな御褒美よ。」
「あの習作君も仮出所出来ると良いですけど、時期はまだなんですよね。」
「そうね。入所した日も貴方とは大分異なるし、難しいんじゃないかしら。」
「それで知り合った歩さんも一緒だと、ダブルデートでしょうけど、今の僕みたいな者にはそんな期待をする資格すらありませんね。」
「そんなに自分を卑下しないの。逆に失礼になるわよ。」
聡美は微苦笑して言った。章雄も一緒に微苦笑を浮かべた。
人間には好き不好き、得手不得手と言うものがある。章雄は文筆で、習作は絵描きだ。あの聡美は生物学のエキスパート候補(専門的資格をきちんと取得したう上で二十年、三十年と実務経験を積まなければ、厳密にはエキスパートとは呼べないそうだ)。歩は、素直で温厚で誰からも好かれる性格だ。聞いた話では特技は洋裁や御菓子作りが得意らしい。漫画のイラストも昔は少しだけ描いていた頃もあったそうな。
しかし、あんまり受刑中の囚人と仲良くなり過ぎては、他の職員達からの反感を買う事になるであろう。更に経営者ことエリカ御嬢様にばれると、何と言われるのかは解ったものでもない。
逆に習作や章雄は、あのイバラやヒガンが自分の事も嫌いである事は既に知っていた。早くから承知しているのだ。中庭で陰口をたたかれているところを見てしまったのだ。「キモい。」とか、「より嫌らしい妄想を皆よりしてそう。」とか、「ああやって現(うつつ)ばかり抜かしてるから、犯罪を起こしちゃうのよね。」とか言って話していたのだ。ワンパターンな会話でもこのような場所で聞けば尚も痛い。
聡美は、話を聞いて「何て考えが古い子達かしら。視野はもっと広く持てるものなのに、相変わらずの御子様もいるのね。いや、あんなのはそれ以前に頭悪いって言うのかもね。」と、章雄や習作を励ましてくれた。
だが、聡美や歩も、章雄や習作が入所して来た当初は、すぐに御互いが仲良くなった訳では勿論ない。最初の三ヶ月ぐらいは、打ち解けずに罵声と鞭を受けていた。章雄も習作も、初めの内は暫く他の囚人より動作が鈍(のろ)く、何事もモタモタしていた。内向的でいつもは無気力な性分なので、そうしゃんしゃんと動こうにも動ける筈も無かったからだ。
でも、二人は徐々に労働に慣れて来ると、ゆっくり章雄は聡美と、習作は歩と世間話を交わすようになっていったのだ。それで御互いに、趣味が合う事も分かって話に初めて花が咲いた時は、この刑務所内でこれまでに無かったぐらいの輝きかも知れない、と四人は思ったらしい。その事は、皆で談話しているうちにすぐに知った。心は一つになった、と。

この夜、ヒガンは早出の仕事を終えて夕方には帰宅して来た。ヒガンにしては真っ直ぐ家に帰り、ベッドに大の字に仰向けになっていた。この時、「ふううーっ。」と口ではこのような溜息だけ一つ洩らしながらも、内心ではこう考えたのだ。
(あら?私達、いつしか、何だか引っ掛かるような事言っちゃったような気が…………。いや、そうでもないかな。ううん、そうでもない事ないかも…………。)
 この時は、偶々仲良しコンビのイバラもヒガンと同じく早出だった。それも、イバラも丁度家に帰って来ていた。イバラはうつ伏せになり、両手を顎の下で組み、目線はやや下向きだった。それで内心で考えていた事は、ヒガンとまるでそっくりだった。その事を、ヒガンは知らない。そしてイバラも知らない。
 その後ヒガンは、自分の小部屋のベッド上にて黒のオーバーニーソックスを脱いで表情をしかめて小声で言った。
「うわ!足の裏クッサ~イ!足浴ぐらいしとこっと。爪先とかもうヌルヌルだしぃぃ。」
それでそのまま靴下持って浴室へ向かう。
 一方、イバラは、自分の小部屋のベッド上にてこう言った。
「うわ!脇臭(わきくさ)っ!ヤッバ~イ。シャワー浴びに行こうっと。全体的に汗臭いけど、脇は特にその帝国、ね。(何言ってんだろ、あたし。)」
同じく浴室へそそくさと向かう。イバラは、浴室前にて、黒の綿の膝下ハイソックスを脱いだ。
 この時、章雄は眼鏡を掛けた顔を少し上に向けたままトイレの洗面台前で一人そう考えていた。
 気が合う者同士は、時にテレパシーのように意思が繋がったりしていないかと言う話を耳にする事はないだろうか。超常現象を研究している専門家や評論家に限らず、普通の人でも各自で考え付いて何気無く話したりしているのだろう。

「ふう。」
パンプスの音が夜の路地にコツンと響く。
ここに巨大な屋敷がある。ここは郊外で、人の気配は無い。少し離れた所にある民家よりこの屋敷は百倍以上はあるだろう。門は、鋼鉄等の金属ではなく、ダイヤモンドで出来ている!囲んでいる塀は、ただの石や煉瓦ではなく、日本には無い大理石で出来ているようだ。
「…………。」
エリカは白くて丸いコンパクトの蓋を開け、その中の鏡を捲ると出て来た小さなスイッチを小指で押すと門が開く。すると徐に門が開いた!
そこから屋敷の扉とその前にあるブリキの階段までは、結構距離があった。二百メートルぐらいだろうか。何と、それぐらいの長距離でも、それに見合った長さの絨毯が一直線に広げられた。
「御嬢様、どうぞ。」
と黒服の男は言った。
「おかえりなさいませ、御嬢様。」
開いた大きな玄関扉の前で二人の中年のメイドが頭を下げると、エリカは黙って屋敷の中へ入る。
巨大なシャンデリアが天井に吊るされているエントランスホール。左右、中央と階段が見えた。エリカは中央の階段を上る。するとその中央には狭い廊下が広がっていた。奥へ進むと、そこに扉があった。
「御苦労様。もう下がって良いわよ。他の皆には、もう休んで良いように言っておいて良いから。それじゃ、私はこれで。」
「はっ。」
黒服の男が引き返して行く。そしてエリカは一人で中へ入る。
 エリカは部屋へ入ると、大きな三面鏡の前に座り、ヘアバンドを額の上へ付け直して前髪を上げる。そして化粧を落とし始めた。その後ベッドへ向かって行き、座り込むと、靴を脱いだ。そしてベージュのストッキングを脱ぎ始めた。そして白い絹の上着を脱ぐと、上はベージュ色のブラウスだけになった。
 エリカは、草臥れた時にはいつもこうして目を細める。入浴は後回しにして、このまま転寝(うたたね)をしてしまったようだ。浴室は、湯足しをしたり入浴剤を入れ直したり出来るから心配はいらないのだろう。

 後半年で、章雄は正式に出所出来る事になっていた。習作も半年余りで出られるのだが、それまでに出所後やりたい事を、二人とも創作以外に何か見付けられないものかと考えていたのだった。昼食後、残った昼休みの間に二人はそう話していた。作家志望の章雄と、漫画家志望の習作は、御互いまた働きながら夢に向かって頑張ろうと言う事だった。
「俺は専業作家が夢だけどね。習作君、君も専業したいだろ。」
「そうだね。頑張って俺は専業の漫画家になりたいよ。サラリーマンとかは御免だしね。いや、もうサラリーマンや公務員にはなれないかも。」
「じゃ、また次の休みにゆっくりと話そうか。」
「うん。それにしても、歩さんや聡美さんは、本当にイイ人だね。心の底から自分はそう思うよ。」
「ああ、間違いないと思う。」
「そうだと良いけどね。メルアドぐらいは交換するかな。」
「俺達、全く虫歯とかにならないよね。」
章雄が言うと、習作は、
「マメに歯を磨いたりする他、御茶飲む度に”親父ブクブク”してるしさ。……そうだ。今度わざと虫歯でも作って歯科衛生室にでも行ってみるか……って一応、浮気みたいになりそうだね。歩さんには悪いや。それに、歯も大切にしないと叱られるよ。ニヤニヤしてても叩かれたりするだろうし。まあ叩かれるのは現場で慣れてるけどね。」
とこう答えた。
「俺だって聡美さんに悪いよ。不思議のアリスのコスプレ衣装で、それに衛生士の姉さんは皆可愛いけどな。いつまでも軟派ではいられないし。」
「その通りだね。やっぱり俺達は、元々は几帳面で自意識過剰だね。」

 この夜、章雄は書き物をしながらこう考えていた。ネタにも出来るなら好都合だと考えられる。
 この世は、何事も儚く、どんな物事も気持ちも虹のように消え去る。花びらのように散り行く。楽しみも悲しみも全て……。そして性欲も。
満足なんて束の間であって、すぐにまた新しいものが欲しくなる、それが人間と言うものだ、と。
仏教にある「色即是空(しきそくぜくう)」。これは、「女を抱けども空(むな)しい。」と言う意味らしい。如何に自分の好みである美しい清らかな女と一緒になれて抱き合えたところで、デートを楽しむだけ楽しんで如何程にキスやセックスをしたところで、その後、その感激はやがて空しく色褪せる、と。また新しい相手を見付けたくなったりする。また新たな刺激を求めたくなる。過ぎ去った事は思い出と言う形に残されるままだ。現代で言われる、マンネリと言うものであろう。結婚後は特にそれが恐い。どちらかが急病で倒れるか、失踪等すれば話は別だろうが、それは思い掛けない事件であって、取り返しが付かなくなる場合が少なくないだろう。空海の「色は匂(にほ)へ(え)ど 散りぬるを。」も近い意味になるのかも知れない。色が鮮やかに感じられるのは初めのうちだけであって、匂いは嗅げば嗅ぐ程薄くなって行く。
 このように、性的欲望とは、時には人を破滅に追いやると言う程の強さを持っているものではなかろうか。それで、性欲は満たせば満たす程大きく膨れ上がり、やがては極端な領域にまで達する。それで、ただの痴漢やストーカーから、誘拐、レイプ、強姦、最後には殺人まで働く者が出て来る。性欲とは、何て恐ろしいのだろうか。
この刑務所内で、希望を見失ったまま、自殺した者もいない訳ではないそうだ。仕事が辛い訳でなく、ただこの世の遣る瀬無さ、空しさを意識し過ぎて心が疲れ果ててしまい、空虚的になった者がそうなるそうだ。首吊りを思い切ってした者もいれば、出所した直後に睡眠薬を大量に飲んで死んだ者もいる。
しかし章雄には、大きな夢があるので、絶対そんな真似はしたくないと、今は心に強く思って何度も自分に言い聞かせている。習作もきっと同じ気持ちだろう。

「ねえ習作君、新しい漫画の勉強本とか、今度私が買って来てあげようか?」
昼休み、歩は習作に言う。
「ありがとう。じゃあ俺の口座からまた引き落とし、ですね。」
「ええ。」
「そう言えば、この間章雄君も聡美さんから新しい本を買って来て貰ったそうですね。」
と習作は言う。

「よいしょ、よいしょっと。」
「えんやこーら、と。なあ工(たくみ)。」
「あん?」
と工が答えると、岩を持ち上げながら将明は続ける。
「経営者のあの、エリカ御嬢様だけど、やっぱり毎日忙しいのかな。」
「まあ、経営者だからなあ。でも自由にしてる時間がそう無い訳でもなさそうだけどよ。」
と鶴橋を再び斜面に向かって振るい始める。
「そんなにケバい格好してねえだけ、まだまともそうな人には見えるかな。」
「ああ。まあまた昼休みにでもゆっくり話さないか?仕事中だから、看守の姉ちゃんがこっち来たらまたまずいぞ。」
「そうだな。鞭がまた飛んで来るわな。」
「それにしてもあのエリカ御嬢様は、顔立ちが整っているばかりか、きつい目をした別嬪(べっぴん)さんのようじゃな。脚とかも綺麗じゃしのう。」
「けどよ、素足でいる事は滅多に無いみたいだな。夏でも夏用のパンストに、パンプスやローファーや紐付きサンダルのヒール付きだね。」
そして二人は再び仕事の方に注意を戻した。看守の逆メイドが戻って来たのは、その直後だった…………。
 エリカが何を創ろうとしているのか、囚人達にも看守達にも未だに分からなかった。毎日のように、岩山を削ったりと、エジプトでピラミッドを造らされたりしている奴隷同然の作業員のようだった。だがここは日本の田舎なので、当然の当然エジプト程気温は高くなく、炎天下でもまだ知れているだろう、と皆思う。それでもやっぱり緑が少ないので空気は芳しいものではない。
 次の週、またエリカはやって来て、現場には言って囚人達を半日監視して帰って行った。この日、エリカはいつもの服装に、下は紺のニーソックスを穿いていた。そしてローファーだった。ちゃんとヘアバンドもしている。現場に入る時、前髪の上だったヘアバンドを前髪の下に付けて、前髪を搔き上げるようにしたまま強く止めて、前髪を全部後ろに止めた。そして鞭を持つ。サボっている囚人を見付けてはしばいていた。
「エリカ御嬢様ああ!見付けました!こいつ、サボってたと言うより、ずっと居眠りしていたみたいです!!」
「あぁ~ら、そうなの。」
ある日、イバラは広場の隅にて、樽の中に隠れてそっと居眠りしている囚人を見付けたのだ。偶々近くを回っていたエリカに、イバラは大声で知らせた。
「むにゃむにゃ……もう食えねえ…ん…ほへ?」
「『ほへ?』じゃないでしょ!自分が何してたか分かってる?ねえ囚人さん?」
エリカが冷笑する傍(そば)で、
「ずっと寝てたのよねええぇぇーー、アナタは!!」
とイバラは嘲るように思い切り舌を出しながら、両手を腰に当てて、その居眠りしていた囚人に向かって怒鳴る。
「ひいぃ!御許しを!イバラ様!あ、エリカ様、エリカ御嬢様ぁぁ!……うぐ。」
「そう言えばアンタ、作業始まってからずっとだけど、全然見掛けなかったわねえ!さあ嘘付いても無駄よ!正直仰いよ!」
「はい。五十分は寝てました。」
「そうよねえ、御昼が美味しかったのかは知らないけど、ちゃんとした御仕事の時間、皆はまだ頑張ってるんだけどなあ。こんなゴムの鞭で打たれながらも……。」
「すみません。」
「『すみません。』で済んだら、とっくに警察はいらないし、私達みたいな刑務官だっていらないのよ!!」
こう言うとやさき、イバラは囚人の顔面を思い切り鞭で叩いた。往復するように計八回は叩いただろう。
「どうなの?!ええ!?でもやっぱり、ここは目を離した私だっていけなかったわ。申し訳ありません、エリカ御嬢様。」
「そう。でも今回はまあイイわ、イバラさん。こんなに沢山の樽の中をマメに調べる余裕なんてない程、忙しい油断も隙もならない作業場だしね。最近は脱走者も頻繁にいる事だし。これは脱走しようとしない分、まだマシかも知れない。」
「おお、流石、御嬢様は貫録で御座いますね。」
囚人は煽(おだ)てるように言う。
「そう。じゃあ囚人さん、アンタもこんな私を見習って、貫録になりなさいね!」
「ぬぐぐ…………。」
エリカは囚人を両手で突き飛ばした後、更に革靴を脱ぐと、紺ニーソックスを穿いた足の裏で囚人の顔を踏みにじる。勿論、爪先メインで鼻を中心に。
「ほら、私の足の汗や垢が混じって美味しい?でも革の匂いが邪魔になっちゃうかしらね。直接やってあげようか?イバラさん、アナタも一緒にどう?結構良いマッサージ機になりそうよ。」
「はい!是非とも!こんのおお、私が貫録じゃなくて、悪かったわねええーーっっ!!」
イバラも利き足の右足の方だけ黒オーバーニーソックスを脱ぎ、囚人の頬や鼻、目に押し当てる。
「ほらほらあ、アンタみたいなのがいるから、私達の足はこんなに蒸れるのよお。ねええ。そうだ。今度、私の名前らしく、この鞭を茨(いばら)で出来た鞭とかにしても良いかも知れません。」
「御時間あれば囚人さんにでもまた造らせましょうか?それを機会に、全員の鞭を茨の鞭にしても良いかも知れません事ね。」
とエリカは賛同するようにウインクしながら言う。
「うふふ。また考えます。でも、特別な罰を受ける人専用にしないと可哀想に思えて来ちゃいそうかな、と思わなくもないのですが。」
とイバラもウインクする。
「そう言えば、利き足の方が臭いそうよね。」
とエリカが言うと、
「やっぱりそうなんですかあ。そうですよねええ!!アハハ。キャハハ。」
とイバラははしゃぐように話す。
「嗚呼、気持ち良いわね。結構硬くて丈夫な骨と筋肉ね。遣わなければ勿体無いわ。そうそう。折角だから、靴の裏も舐めて綺麗にしてくれる?お腹壊したって、病室連れてってあげるから。病室行く前に、この樽の中で一晩反省して貰おうかしら。こんな時、夜風は良い薬になってくれそうかしらね。」
とエリカ。
「同感です。」
とイバラ。
その光景を遠くから暫く唖然としたまま見ていた、ヒガンや牡丹、ローズ、そして囚人の工や将明等、他の刑務官や囚人達がいた。しかし彼らはすぐに作業に戻った。あそこまではきついだろうし、恐らくあれぐらいでは済まされないだろうと考える者もあったからだろう。
「うわあ、ダブルだあ!あれはきついよね~~。イバラはやっぱり、観察眼、鋭――い!!妹分の私も、見習わなきゃ、と。」
とヒガン。
「オーマイゴッド!御冥福ヲ祈リマーース!」
とローズは十字架を胸の前で空書きして手を合わせながら言う。
「うわ、あそこにいんのは寝(しん)兵衛(べえ)の野郎だ。またあいつ居眠りか。でもここじゃ、三年寝太郎なんて愚か、三日寝太郎すらも出来っ子ねえのに。居眠りは癖になるからやめとかないと…………。これだから、深く考えないような奴は、寝付きが良過ぎて時に困りもんじゃねえかとな。」
「さて。俺達があいつの代わりに言い訳したのと同じようなもんになっちまいそうだから、これぐらいにしようぜ、将明。」
と工は諭すように言う。
「そ、そうだな。工、アンタの言う通りだぜ。あたぼうよ。さ、仕事、仕事、…………と。」
こうして全員、そそくさと仕事に戻る。あの居眠り囚人は、寝兵衛と言うらしい。
 次の日。何と、またあの寝兵衛と言う囚人は、エリカとイバラによっていびり倒されていたのだった。
「昨日の続きよ!この!これまでにアンタ、何回かうちらの目を盗んで居眠りしてたとも限らないんじゃないの!ほら、昨日の靴下、そのままなのよ!あれで終わったと思わないでね!!この寝太郎め!こう言うところで三時間寝太郎ぐらいはした事あるんじゃないのっ!?どうなの?!ここでは、ほんの三分の居眠りでもね、三年寝太郎したのと同罪!そう思っておいて!良いわね!!返事は!!」
「ハイ!ハイ!!ハアイ!!!」
「イバラさんの言う通りね。ここでワタクシは、昨日より薄い、網目の黒靴下を穿いて蒸らして来たわ!!もっと臭(にお)うわよ!!ほら、ほら!!どうかしら?御味の方は?」
と、相変わらずの冷静な口調だった流石のエリカも、次第に燃えて来た。あれは冷徹とでも氷の女王の笑みとでも言うべきだろう。氷の女王でさえも熱意、情熱ぐらいは持つ筈だ。
網の靴下や網タイツだと、素足と変わらない程、いや場合によっては素足以上に臭くならないだろうか。暑くなる上、ろくに汗を吸えなさそうな網の靴下やタイツであるとそれは一番きつい蒸れ方をしてそうだ。そう感じる事はないだろうか。網タイツとかを穿く女性にでも聞けば一番良く分かる事ではあるが。
それからまた、月日は流れる。この刑務所と言う場所では、平穏さと言う平穏さが存在するのかどうかは難しいのではないだろうか、と章雄は労働しながらこのように考える次第だった。毎日のように、サボったりして鞭で叩かれる者は出て来るし、三日に一度ぐらいのペースで、誰かしらが刑務官こと逆メイドの胸や尻を触り、ビンタや殴打、蹴りをくらったりしている。その都度、満足行くように仕込んで行かねばならないから、ここの刑務官も大変なのだ。相手が飽きるまで、蒸れた足裏で顔面や鼻先を踏み付けたりしてしてあげたりしている。時々、腕や脚がクタクタに疲れて、腕関節や、肩に近い二の腕、太(ふと)腿(もも)、脛、首とかに、湿布を貼っている刑務官も見掛ける。これまでより多くなった。一人がよく貼るようになってから、いつの間にか湿布ブームになっていたようだった。エリカ御嬢様も、一度顎の下に貼っていた事があった。
時々、グーで殴られたりして歯を折って歯科衛生室へ行く事になる囚人を稀に見る事があるが、他には「メイドは飽きて来たから、今度は無邪気なタイツ少女とか不思議の国のアリスちゃんがイイなあ。」なんて言い出して、わざと虫歯を幾つか作ったりして、アリスのコスプレをした可愛い歯科衛生士の揃った歯科衛生室へ行く者もいるようだった。
特に、毎日の労働で疲れやストレスが溜まるのは囚人も刑務官も同じだが、囚人の場合は、差し入れで貰った甘い物を寝る前になって存分に食べて歯を磨かずに寝る、こんな日を毎日続けて、やっと虫歯が出来て喜んでいたような囚人もいたのだった。
そうなれば、虫歯は短期集中で治す為、その間、半日は働かずに済む日が続く。可愛い歯科衛生士から小言を貰ったり、御仕置きとしてボイン責めや靴攻め、タイツやソックスの足裏責め、脱ぎ立ての素足責めをされたりしている。
わざと何日も靴下やタイツを洗わずにいる歯科衛生士の職員もいるので、足や靴下は、泥沼や生ゴミ、卵が腐ったような臭いのする子が多い。香水付けてケアしている子は本当に少ないようだ。可愛さと、足や脇や股の臭さとのギャップに萌える、もっと苛められたい、なんて言うマゾヒストの変態が多いからだ。特にここに来る者の中には、やっぱり足の匂いフェチが多い。昔と違い、サディストな囚人はここには殆どいない。いればすぐに処罰されるからである。
初盤で語られたように、やっぱりいつまでもは甘くはないものだった。勿論、受診者の名簿カルテはしっかりと保管されており、月に一度必ずコンスタンスに虫歯が出来るような囚人がいれば、可笑しいと思われて、ハートの女王のコスプレをした歯科医師からエリカ御嬢様へ報告され、エリカ御嬢様に呼び出されて、歯の自己管理をちゃんとするようにと御叱りを受ける事になる。
二度目の虫歯による診察、治療を受けた囚人には、歯磨き指導がなされる事になる。ここで、歯磨き指導をちゃんとしたのに、またすぐに虫歯を作るような囚人は、わざとではないかとすぐさま疑われる。歯磨き指導をきちんとしたかどうかは、歯科医師が予め確認を取る為、歯科衛生士が後になって叱られる事は特に無い。叱られるのは囚人側になる。
ここにいるのが嫌になって、辞めて行く歯科衛生士も時折出て来る。給料は他より高くとも、ここでは歯科衛生士は二年と続かない者も多い。そして刑務官は半年と続かない者が三分の一にも上る。歯科医師も何度かは入れ替わっている。
ここでの職員は全て、介護職や看護職並みに、離職率もまあまあ高い職業と言えるだろう。結婚して円満退社を夢見る者が多いのは事実だ。結婚してから、こんな所に正職員として務めるような女性は、殆どいないと言って良い。皆無に等しい程いない。夫に悪いという理由は先ず第一になるだろう。偶にアルバイトで来たと思っても、既婚の女性はすぐに辞める。
しかし、離婚してここに戻って来る女性はいるようだ。生活に困らないようにするために、優秀だった刑務官とかは、退職してももう一度だけ戻る事も可能になる。

 ある日、落石の事故があった。直径五十センチぐらいの、やや硬い大きな石が落ちて来たのだ。危うく、一人の新人メイドに直撃するところを、傍で働いていた囚人が盾になってくれた為、メイドは無事だった。しかし、その囚人の額に直撃した為、その囚人は頭に大怪我をした。病院送りになり、何針も縫合された。囚人が帰って来て病室で二週間療養する事になったその時は、その刑務官メイドも「ありがとう。命の恩人よね。本当にごめんね。」と御礼を言い、間を見て看病を行なったり、差し入れを持って来てくれたりもした。そして、今度仮出所になった時、一緒にデートをしてくれる約束をしてくれたのだった。
更に一晩、二晩ぐらいは好きにしてくれて良い、と言ってくれた。
 ここで囚人は話していた。
「習作。あの囚人、やるなあ。」
「そうですね。」
「俺達も見習わなくちゃな。そうだ。今度、そいつの御見舞いに行ってみるか。差し入れの薬用養命酒、半分ぐらい分けてやれるよ。御前も薬用養命酒、一杯飲んでみるか?」
「ありがとうございます。また今度頂きます。」
昼休み、食堂にて工と習作は話している。

エリート変態の大罪

 こんなとんでもない事件がある時、起こった。偽札を一人で大量に製造し、その偽札でアダルト関係の物を大量に購入していた中年の男が、捕まってここに連れて来られた。その合計金額と言えば、総額二千万円分にも上った。彼の秘密工場を調べてみれば、製造数は、残額五千万円分、これで七千万円分も製造した事になる。アダルトに飽きた場合でも、酒やら何やらに使っていたかも知れない…………。何故なら、作った偽札は全てアダルト商品だったからである。ビデオや本、アダルトグッズ、女装コスプレセットや、アダルトショップにある家出娘やOLの脱いだ使用済みの衣類やストッキング、下着のセット等、その類の物を大量に購入していた。偶に風俗に行く時も、その偽札であった事がやがて発覚したのだ。しかも、紙幣や貨幣が刷られている、日本銀行と繋いだ大蔵省勤務の男で、御金も持っていたが、酒代やギャンブル代で、折角稼いだ御金はあっと言う間に消えていたのだ。いつの間にか貯金も残り少なくなり、働くのも億劫になって来たその男はある日何と、紙幣の作り方を既に職場で学んで知っていた為、簡単に偽札を作る事は出来た。
 単なる偽札の製造、使用では普通の刑務所行きになるが、この男は、残らずアダルト関係にばかり使っていたので、半性犯罪、いやアダルト物が目的なら、ほぼ性犯罪になり得るとして、性犯罪者用のこの萌黒刑務所に入れられる事になったのだった。
「貴方、自分のした事、分かってるわよね?ねええ?」
「へい。」
「”へい。”じゃないの!重罪よ!さあどうするかしらね。」
テーブル越しに、女刑事と向かい合って話している。周囲は、刑務官のメイド達が囲んでいる。
「偽札は、最高”無期懲役”に科せられる事もあるの。それは死刑以上の懲役と言う人もいるわ。貴方はかなりの額になるわね。分かる?普通の人や貧しい人達なら、一生は食べて行けそうな額だわね。」
「…………はい。」
「さあアンタ、どうするの?どちらでも好きな方を選んで良いけど?」
この時、懲役は何と、ここでは二択が与えられた。無期か死刑かのどちらかを選べ、であった。
「死刑を選べば、もう明後日には執行するわよ。そこの刑務官の人達がね。」
「どんな刑ですか?絞首刑でしょうか?」
「ううん、それは違うわ。裏の刑場で、十人もの、メイドの格好をした刑務官が先ずは存分に痛ぶってくれるの。罵声、鞭、ビンタ、玉蹴り、殴打、踏み付け、首絞め、蠟(ろう)落とし、くすぐりの刑とかね。そしてやがて瀕死状態の体になったら、最後は、まあ窒息死の刑かしらね。足の裏で鼻と口を塞いでそのまま窒息するまでじっと踏み続けるの。その時は、トドメは好きなメイドさんを選んで貰っても良いし、くじ引きしても良いよ。エリカ御嬢様も来るから、エリカ御嬢様の足の臭いを嗅ぎながら窒息するのも良いわね。最期の時は、素足で踏んで欲しかったら御願いすればそれでやってくれるわよ。」
「それは本当ですか?」
「ここまで説明した事は全部本当よ。そうそう。その後、窒息して息絶えた後は、その貴方の亡骸を、林の向こうにある建物の最上階の、エリカ御嬢様の間まで運んで行くわ。そして、床下に巨大鰐のいる池があるから、そこに放り込んでそのまま鰐の餌ね。死んですぐだから、鰐さんも喜んで召し上がと思うの。うふふ。」
「成程。そうっすか。」
「無期の場合は、まあ無期ね。他の囚人より厳しく扱うから覚悟して。でも態度が良くなり次第ではね、二十年ぐらいで出してあげられるかも知れないわね。その代わり、アンタの財産は全部取り上げよ。自己破産して貰うからね。もう自由は無いわよ。一生ね。途中で死にたくなったら、いつでも死刑にしてあげる。」
「そうっすか。」
「さあ、どうするのっ!?どっち!?」
「ええと、あのう、一週間ぐらい現場で労働した後、死刑で良いのですが、どうですかね?」
「本当にそれでイイ?」
「はい!そうして下さい!」
「そう。」
 そして一週間労働した後、その男は死刑になった。労働の間中、彼は無言だった。食事の時間も、休み時間も、他の囚人とは会話の一つも交わす様子はなかった。「来週、あんたは死刑になるのか?」と工が尋ねても、黙って頷くだけだった。恐がっている様子は更々なかったのだ。
 そしてとうとうその男は死刑になった。
「あの人、中堅企業の社員が一生働いて手に入る程の額にもなる偽札を、大量に刷っていたらしいな。感心なぞしている場合ではないが、元は東大出身で大蔵省勤務の、優秀な男だったそうな。そんな男が、異常なまでに酒やアダルトにのめり込んでいたとはなあ。犯罪心理学者も腰抜かしたんじゃないかねえ。」
休憩時間、中庭の喫煙所にて、工が言う。
「犯罪を犯した時点で、優秀じゃないと思うぞ。エリートではあっても、馬鹿は馬鹿さ。優秀とか賢いとか言える人間ではないよ。俺らも人の事は言えんけど。」
ともう一人の中年の囚人は、煙草を一緒に吹かしながら言う。
「ああ、そうだよなあ………。まあ俺達はああならないだけマシか…。」
「頭の良い変態とかは、特に恐ろしいな。」
すると傍で将明は、
「俺は勉強は大嫌いだから大学までは行けなかったけど、勉強が出来るだけの馬鹿や阿呆は幾らでも知ってるよ。俺は勉強が嫌いなタイプの馬鹿だな。あんな人よりはまだマシか。」
「だと思うよ。俺達は職人業を身に付けてあるから、もうすぐここから出て働けるよ。良かったら大工として一緒に働くか?弟子にしてやるぜ?」
と工は将明に言う。
「考えておくよ。親類のやってる施盤工行くかも知れないけどね。」
「俺の親父のやってる土木会社へ来るかい?兄貴のやってる鉄工所もあるよ。」
と微笑みながら横の囚人は言う。「親父からは当分、勘当だから、兄貴の所行くかも知れないな。」
「それにしても、もうすぐ俺とかはこことは御別れか。」
と工は何やら物悲しそうな遠い目をしていた。そして終わった後の吸殻を灰皿にポイと投げ込むように捨てる。

「お、またもやラッキーかな。」
「どうしたんですか?」
「またあのエリカ御嬢様がよ、ここへ来てくれる。そして明日はよ……へへ……。」
昼休みに、いつもの喫煙所にて中年の囚人と若い囚人が談笑している。今日も、エリカが来る事になっているが、いつものように普通に現場に入るのではなかった。
「マジですか!?へええ!」
「な、嬉しくなるだろ。今日はな、あのエリカ御嬢様が、午前、午後と分けてな、この務所内を、内周するようにジョギングしながら回ってくれるそうだぜ。」
「それ、なかなかいいッスね~~。」
「だろ。現場の監督は、いつも通り看守のメイドの女の子達に任せて、自分はジョギングだけして見て回るだけなんだってな。そこでまあ、もしこっそり居眠りしてるような囚人がいたなら、一発蹴りを入れて、大声で近くの看守に知らせるぐらいはするらしいけどな。」
「はああ。成程。」
「午前中に何周か走って、また着替えて午後に来るそうだ。いつもはジョギングとかは自宅周辺でされてるらしいんだけどな。あのエリカ様が来るなら、まあ流石に居眠りや脱走をする奴はいないと思うけどな。多分いないよ。」
「で、体操服とかジャージではないんですかね?」
「服装か。流石にジャージではないらしいよ。上半身だけ体操服で、下はいつも通りのような、絹のスカートで走ってくれるらしい。更に、靴や靴下については、午前中ばかりはスニーカーにスニーカーソックスだそうだ。これはな、素足や脚線美を見たい囚人の為にその格好でやってくれるそうだぜ。」
「考えてくれてますねえ!」
「でな、午後からはなんだが、白いハイソックスに穿き替えて走ってくれるそうだ。そう。それは即(すなわ)ち、女子高生とかの若い姉ちゃんのニーソックス脚とか、メイドのよくやる絶対領域に興味ある、そんな趣向を持ったフェティシストな囚人の為に、やってくれるそうだぜ。蒸れた足や靴下の匂いとかを想像する奴も大勢いるだろうし。俺も寧ろパンストやニーハイソックスのフェチだからな、大いにするよ。」
「良く良く考えて下さいますねえ!」
「流石はエリカ御嬢様だぜ!とか言いたいところだよな!そう思うだろ。やっぱりオーナーだな、って思う。カリスマだな。見識はあれぐらいは広く深く持たねえと、経営者とかはそう勤まらねえだろ、って俺は思う。」
「凄いですね。エリカ御嬢様も、貴方も。」
「俺はこれでも、元は中小企業の社長だったんよ。建設会社のな。今はもう財産が十二分に溜まってから会社を締めて、事務員だった姉ちゃんを片端からレイプして俺はここへ喜んで入ったんだよ。勿論姉ちゃんにも慰謝料は払ったよ。他の社員や、設計士だった兄ちゃんや友達にも、色々奢ってやったもんだ。家では妻一人と、マルチーズ一匹が待ってるけどな。一人息子は、工業大学を出てシステムエンジニアになった後、大学院へ行って、今は助教授さ。離れた都会で暮らしてるよ。東京へ行ったそうだ。結婚もしてる。どうせ俺は趣味はそう多くは無いからな。エロ本読む事と釣りぐらいだったが、それはもういい加減飽きたんよ。」
「そうなんですかあ。」
「と言う事でまあ、明日は体調崩さないようにする事だな。」
「ええ!勿論です!例え、今夜虫歯を見付けても、歯科衛生室へは行きません!それから、歯を折ったりしないように気を付けようと思います!」
 翌日だ。午前十時。エリカ御嬢様が、上は体操着、下は白い絹のスカート、スニーカー、スニーカーソックスと言うスタイルで務所内の作業場をジョギングをしにやって来る。
「お、エリカ御嬢様だ。ちゃんと内周してくれるみたいだな。小声で失礼な事言うけど。」
「本当ですね。あれで昼からはハイソックスですか。」
「俺は昼からが楽しみだな。その方が昼過ぎるまではウハウハだな。」
 そして午後からの作業時は、エリカはきちんと白い膝下ハイソックスに穿き替えてやって来た。エリカは黙々と走っている。
「お、エリカ様のハイソックスバージョンだ。いつもはストッキングが多いエリカ様としては新鮮味が感じられるかな。何来ても美しい人だとは思うがな。」
「同感です。」
「流石に居眠りをしているような囚人は、今日はいねえみたいだな。」
と工が言うと、
「ですよねえ。これですとサボっている人もいないかと。」
と習作が言う。
「いつも怠ける奴も、今日ばかりは珍しく一所懸命やっとるんかいのう。」

 あれから一週間が過ぎたある日の事だった。いつもの現場にて。
「ん?エリカ理事長……いやエリカ御嬢様がやって来る。」
「本当だ。いつもとは違う俺達にとっては見慣れない格好だね。」
「うん。如何にも御嬢様と言うか、貴婦人って感じだ。スカートが花柄だ。高価そうな、花柄の日傘まで差してるよ。今日もなかなか暑いけどさ。しかも、純白のストッキングとハイヒールだ。俺もあれは初めて見るわ。俺はエリカ様は貴婦人以上の魅力が十分にあるとは思うんだけど。」
囚人達は話している。
 エリカにしては珍しい、如何にも貴婦人と言う服装をしたエリカが、しなやかな足取りで上品に歩いて来る。リボン付きのクリーム色ブラウスを着て、いつものように腕を捲ったりはしていない。スカートは何と花柄で、下には真っ白い絹のストッキングと、白いハイヒールだ。貴婦人姿のエリカは、ゆっくりと、一人の小柄な囚人に近付いて行く。エリカは、その男より数歩前に出ると、見下ろすように眺めると、にこっと微笑んだ。エリカにしては珍しく聖女の微笑みだ。
「うわ、あのエリカ様が聖女のような純粋な笑みを投げられてる。」
「そうだな。あちゃあ、あれは絶対裏がありそうだ。あの男は、一体何をやらかしたんだ?」
「さあな。」
エリカは、小柄な囚人男の横に並ぶと、肩に手を掛けて「うふふ。おいで。」と小声で囁き掛ける。エリカの表情は微笑したままだ。そして男と向こうまで歩いて行く。
「あの二人、あちらの倉庫まで歩いて行くぞ。」
「ほほう。ま、後で聞けば分かるさ。さて、サボるとまずいから仕事に戻ろうぜ。おっと、看守リーダーのローズが戻って来た。さあさあ……。」
 清楚なスタイルのエリカによって倉庫まで連れて行かれた男は、中に入ると、突然突き飛ばされた。エリカは、突然扉を強く閉めた。
「ひぃ!!」
「『ひぃ!!』じゃないでしょ。」
「は、はい。」
「ふふん。ねえ貴方、この間リーダーのローズから聞いたわよ。また脱獄を図ったんだってね。あれで脱獄未遂は何回目?」
「四回目です。」
「そうよ。一回目は部屋の穴を掘って逃げようとして、二回目は布団を燃やして火災だと騒ぎを起こして、三回目は濡れた布をロープに付けてそれを壁に引っ掛けて、逃げようとしたのよね。」
「はい。」
「四回目は?」
「す、すみませんでした!二人の看守を捕まえて暴行して、縛り付けて、彼女達の穿いていたストッキングを剥ぎ取り、それをロープ代わりに使って脱走しようとしました!」
「その通りよ!全くもう!『すみません』なんて言って済む筈ないでしょう。謝られると余計に腹立って来たわ。貴方は、元々はただの女性用靴下泥棒だったわね。マンションとかのベランダから女性用のニーソックスやストッキングを数枚盗んで捕まった時、下された懲役は一年半だったでしょ。一回目の脱獄未遂で三年に延期、二回目で放火未遂が加わって七年、三回目では、暴行罪に加え、もう常習犯として懲役十二年。貴方は二十歳の時からここにいて、もうここにいるの五年目ね。反省の色が微塵程も見えないわ!分かってるの!」
「…………分かっています。」
「分かっててやるのならますます許せなくてよ!地獄のような御灸を据えてあげなくちゃね。足フェチさん!それに、貴方は諸々にドMでしょ。あー、暑苦しいなあ。」
エリカは、日傘を畳んで横に放り投げると、手の指の骨をポキポキ鳴らし、古いソファに腰掛けてハイヒールを脱いだ。白い絹の靴下に包まれた足の指までポキポキ鳴らす。
「さあ、そこに治りなさい!最後に、懲役十八年の刑を下してやるんだから!さあ、覚悟なさい!私は、これでもマッチョな女よ!」
エリカは、再び靴を履くと囚人を拳で殴り付ける。囚人の両肩を捕まえて、膝蹴りをかました。
「ぐえっ!御許しを!」
と言いながらも、半分は笑っている。何やら嬉しそうだ。
 エリカは、ハイヒールを穿いた足で囚人の頬と股間を蹴り付けると、囚人は倒れた。エリカは、ハイヒールを穿いた足でグリグリと囚人の顔面を踏み躙(にじ)る。そして右足のハイヒールを脱ぐ。
「ああ、汗搔いたわ!ほら!私の足の裏の匂い、嗅ぎなさい!利き足の方が臭いらしいね。ストッキングの上からでも十分臭うでしょ!」
「ごめんなさい。ごめんなさい。」
「また謝ってる!罪を重くして欲しいのかしら!さあ、この後は反省の部屋へ行くのよ。裁判は後日ね。私帰るけど、ローズを呼んで来るから案内して貰いなさい。」
エリカは出て行く。囚人は、ローズが来るまで蹲(うずくま)っていた。
 ローズが間も無く入って来る。
「オー!無様アア!」
「ンぐ…んぐ………。」

「エロス真理教」誕生

また春がやって来る。この四月、エリカはあるものを考えていた。五月にはすぐに出来る予定だった。習作、章雄、工、将明とかは、もう出所しており、ここにはいなかった。足を洗って真面目に働きます、とは言っていたが、どうなのだろうか?もう再犯はあるまいか?と皆思った。積極的に刑務所に戻るような真似はしなくない、と囚人同士で仲良く話をしていた。
特に、習作は歩と、章雄は聡美と指切りで約束をしていたのだった。次やればもう知らない、と硬い約束をしたのだった。
そしてまた桜吹雪と共に、ぞろぞろと新しい囚人も入って来る。新人の刑務官も入って来た。

「御前はどんな罪だ?」
「ハイヒールマニアです。女性を襲い、八十ものハイヒールを奪ってはコレクションしていました。」
「要するに暴行と猥褻(わいせつ)、窃盗の罪だろ。その中には傷害罪も含まれるのではないか。名前と経歴、服役年数を言え。」

「ほら、そこ!サボらない!」
とバチン!
「また!だらけてる!」
とバチン!
「ひっ!すいません!」
「ちゃんとやります!!」

「お、ここのうどんも、なかなかいけるなあ!」
「御前は気楽でイイよな。先週ここ入ったばっかなんだろ?」
「まあな、ズルズルズズズ…………。」
「ここでの生活、面白いか?」
「前に行ってた会社の上司よりは、ここの上役は素敵な人が多いじゃないか。エリカ様は勿論、ローズ様も行けてるし。歯科医師の人はちょっと苦手だったけどな。タイプじゃないって言うのかな。あれはもうオバンだな。」
「皆いつかはオバンだっての。そうだ。御前はハイヒールマニアだったよな?」
「そうだよ。」
「この俺はな、パンストマニアさ!」
「ほう!気が合いそうだな!話題は合うね。趣味は?俺はアダルトやファンタジーやサスペンスの漫画と映画とゲームと小説と……。」
「おお、俺もだよ!気が合うカモなあ!」
「仲良くやろうぜ!俺は元ハイヒールマニアの、守(まもる)だ!宜しく。」
「俺は元パンストマニアの、学(まなぶ)よ!宜しく!」
こうして二人は食堂に、て握手を交わしていた。

作業場では相変わらずだったが、最近は、病欠する職員が前よりも増えている様子だった。逆に、元気に頑張る囚人は増えている。偶には、友達に「ここはなかなかいいぜえ。仕事なくて困ってるんなら、来ないか?」とか面会時に勧誘する者もいるようだった。そして間もなく、勧誘されてわざわざここへ入って来る者も出て来るのだ。「飯が食えるし、綺麗な姉ちゃんばっかりだしな。」と言っている。
「こら、そこの新入り!囚人のアンタよ!初日からダラダラしてんじゃないの!言っとくけど、甘えないで!どんどん厳しくなるわよ!覚悟しなさい!」
とこう言いながら牡丹は鞭を力一杯にバチンと入れる。「全くもう!」
「すみません。」
サボる奴は、相変わらず毎日のように出て来るようだった。これだけ重労働させられるのだから、仕方が無いだろう。
「あいつも新入りか。初日からサボる癖は付けない方が良いよな。ただでさえきつい仕事だから。尚もきつくなるな。それにしても、あの牡丹とか言うメイド、いや逆メイド、なかなか可愛いじゃんか。」
と学が言う。
「だよな。慣れるとそれなりに、だがね。でも鞭で打たれるのは痛いからな。それに、ブスはあまりいないね。皆可愛いな。美人優遇の職場かいな。」
と守は答える。
「そうだったと思うよ。」
 鞭の音は、五分や十分に一度は鳴る。三十秒ごと、一分ごとに鳴るような時が続く日もあった。
「こら!そこ!もっとしっかり、性根に入れてやる!もっと強く打つわよ!」
「はい!そこの新人メイドも、しっかり声出して、よく現場見てね!言う事聞かない囚人がいたら、鞭で打つ時も手加減しなくて良いからね。後は、全体を把握しないと駄目よ。」
とイバラは言う。
「はい!解りました!」
と新人のメイドは答える。
「いつまでも先輩に甘えるのはやめてね。ダラダラしてたら、逆メイドが逆メイドを鞭で打つ場合もあるから。」
と横から洋子は他の新人メイドに言う。まだ研修中の身で、きつそうだ。
「あの新人の子、また可愛い!生かしてる!試用期間中に辞めたり首にならないで欲しいかなあ。」
と学。
「そこ!無駄口を叩かない!」
とイバラは鞭でバチンと、学を打った。
「アチャ~~。」
と傍から守は口をM字型にしている。
「偶々、仲良し同士が同じ場所で作業する事になったからって、御喋りしない!!」
「はい、ごめんなさい!本当にすみません!(こうやって可愛い子に謝るのも快感だぜ。へっへっ。ずっとここにいたらそのうち飽きる時が来るかも知れないけど。:微笑)」
 一方向こうでは、他のメイドがまた文句を言いながら鞭を打っていた。
「そこ!さっき、手を休めて陰口叩いてたでしょ!しかも私達の。ちゃんと聞こえるんだからあ!!」
とヒガン。
「許せまセン!仕事サボって私達職員の悪口なんてネ!ファックユー!シャーラップ!もっと精を入れなサイ!!」
とローズ。
「休憩中でも、そんな悪口は許せないわ。そもそも、あんた達にそんな資格無いじゃない。」
とヒガン。
「反省しますうう。」
とベテランの囚人は謝った。彼は、鞭に打たれるのは、慣れているより、寧ろ懲りているのだった。

 ここは控え室。昼休みに、メイドが会話を交わし合っている。
「ねえ、洋子。」
イバラは尋ねる。
「ん?何?」
洋子は黒のオーバーニーハイを伸ばしながら振り向く。
「あのさ、この刑務所が出来てから、性犯罪ってどれぐらい減ったのかしらね?て言うか、本当に減ったのかしら?」
「そうねえ。ううーーん。減ったようであんまりは変わってない気もするかしら。最悪は増えている地帯もあるかもね。」
「やっぱりそう、かなあ。」
「うん……何かさ、減ってる一方では増えてる……みたいな?」
「やっぱりなあ、そうかあ。」
とイバラは意気消沈した様子だった。
「聡美さんなら、こう言うの、データ分析とか上手そうだから聡美さんに教えて貰ったら早いかもね。でもあの人は、今日は御休みか。」
「でも大体、どんなものかは見当付くわよね。」
「そうそう。」
「これが出来てから、退屈な毎日から抜け出そうと、喜んでここに入って来る輩もいるのよね。鞭の痛さや玉蹴りの痛さに懲りて、二度と性犯罪をしないようにと誓う人もいるにはいるけど。」
「考え方が人それぞれだからね、何事にもプラスとマイナスはあるのよね。このまま統計的に性犯罪の発生率が変わらないんじゃ、意味は無いかも。でも、またエリカ御嬢様が何か考えるかもね。」
「再犯者には、無条件で懲役二十年とか三十年とか、もしかして無期懲役とか?」
「さあ、どうかしらね?」
「そうだ。就職難でもあるでしょ。仕事に困って、ここにわざと入ろうと考えたりするんじゃないかしら?」
「まあね。でもここって、ホームレス寮ではないんだけどね。」
「待って。近々、エリカ様が、ホームレスの親父とかをここに勧誘して行くかも知れないとか話してたような?」
「マジでぇ!?」
「うん。ホームレスのおじさんを見付けて、『うちの刑務所で働かない?そしたら御飯と寝床ぐらいは用意出来るけど、どう?』とか言って。握り飯とか配りながらさ。警備員の子から聞いた話だけど。」
「エリカ様は、真面目な人には優しいと思うわ。どうしようもない腐れや、変態野郎の事は徹底的に扱(しご)き上げるけど。」
「そうよねえ。貫録だしね。怒るととっても怖いけど。草むしりとか清掃員とか、裏方として雇うのかもね。」
「まあ、ここは綺麗な女性職員がメインだしね。ホームレス寮だって、御金あるから建てるかも知れないし。」
「それにしても、エリカ御嬢様は、他には新しく、ここに何を造るかしら?」
「ねえ。」

日曜日の昼食時間。
「おう。午後からは俺達の休みだよ。ふう、やれやれ、だよな。」
とベテランの囚人。
「そうですか。」
と新人の囚人。
「おうよ。御前さんは、ここの日曜を迎えるのは、初めてかい?」
「ええ、そうです。」
「どんな事したんだ?」
「はい。ずっと大人しいとか言われてて、恋愛にもセックスにもまるで興味無かったんですけど、ある日、咄嗟に、…………。」
「咄嗟に?」
「自分の中の何かが破裂して爆発したようで、夕方に学校帰りの一人の女子高生をストーカーして、その子の家の場所を突き止めてそして、女の子の靴下が好きな自分は、夜遅く、いや真夜中です、その子の家に忍び込んで、浴室前の洗濯籠に靴下が入ってないかをみようとして、あったら匂いを嗅いでそのまま持ち去ろうと思ったんです。酸っぱいなあ、いや泥沼に近いなあと思う匂いのする真っ白い靴下の黒くなった部分を嗅いだそのやさき、です。」
「ふんふん。」
「偶々、御茶飲みに起きて来た、その子の御母さんに見付かり、『泥棒!!』ってね。私は靴下を持ったまま逃走しましたが、俺の指紋や髪の毛が残っていたらしく、調べられてすぐに僕は捕まりました。自分の家からは二キロと離れていない所でしたから、分かりやすかったんだと思います。それでそのまま、僕は捕まりました。」
「成る程。なかなかやるな。俺なんざ、ただの痴漢と、婦女暴行だぜ。捕まって二度目だからな。前は若いOLの姉ちゃんを、路上でな。いやあれはレイプって言うのかもな。更に、俺はここで、あのヒガンとか言うメイドの御嬢ちゃんにも軽く暴行してな、更に説教される時の態度も悪かったって事で、刑期を一年も伸ばされてるんだ。」
「そうですか。」
「ま、俺ん家は硝子工場を兄貴がやってるし、兄貴もアダルトショップで万引きしてここ入った事あるんよ。出たら、兄貴にいつでも雇って貰えるしな。で、御前さんはフリーターかい?ニートかい?」
「スーパーマーケットの勤務がきつくて一年足らずで辞めて、半年間ニートをしてました。今年でもう二十歳になります。」
「若いなあ。ま、良かったら、うち雇ってやろうか。」
「有難う御座います。」
「まあスーパーマーケットの社員でいるより、ここの方が楽って奴もいるかも知れねえな。」
「そうですね。そうかも知れませんが、どっちもどっちかも知れません。ここは自由は無いですけど。」
「スーパーや百貨店なんて、人使いが荒い所が多いだろ。職人でもないのによ。あんな所、俺は余計に堪(たま)んねえよ。ここの方がウハウハ出来らあ。はっはっ。」
「はい。そうですね。(流石(さすが)はベテランの囚人さんだ。)」
「お、そこの新入りさん、もうそのおっちゃんと仲良くなったのか。良かったね。俺は学だ。宜しく。」
「宜しく御願いします。サトルです。」
「で、こっちは守だ。」
「よお、どうも。俺は守だよ。聞いてたよ。御前も足フェチ、靴下フェチなのか。足フェチの部類だから、元々俺達の仲間っちゃあ仲間かもな。まあ仲良くしようや。楽しくしようとは、言えるかどうかは微妙だけどね。ふふ。」
 女子高生の靴下を盗んだサトルは、ペコリと頭を下げた。
「もう俺達ゃ仲間なんだからよ、そんな他人行儀にならんでええよ。ここはまだ気の良い囚人が多いぞ。”まだ”は場合によっては失礼だけどな。へへ。」
とサトルの横に座っているさっきのベテラン囚人は言った。
「女子高生の白い靴下、泥沼の臭いかあ。俺が嗅いだOLのストッキングは、生ゴミとか、酸っぱいのが多かったけどなあ。無理矢理に嗅いだ足の裏なんかは、納豆が手に付着したような臭いだったけどな。まあ分厚い靴下やタイツなら、泥沼とか卵が腐ったような臭いも多いのかな。また機会あったら俺も嗅がせて貰おうかな。」
と学はテンションを高めたように言う。
「ハイヒールやパンプスは、まあ酸っぱかったかな。微かにしか臭わないのも多かったけど、ハイヒールを眺めるのが好きだったからニオイとかは何でも良かったけどね。」
と守。
入ったばかりの囚人にしては、この二人は元気良過ぎる程だろうか、と周りからは思われているようだ。

あれから更に、早七年もの月日が流れた。この刑務所は、囚人の入れ替わりが激しい事は相変わらずだった。
そして、刑務所の作業現場だった土地は、もう単なる空き地や岩山ではなく、立派な建物がどっしりと建てられていた。
「立派な神殿よね。五階建てかあ。」
と一人のメイドは話す。
 そう、神殿である。東京ドームよりやや広い、五階建てであり、円型の砦のような神殿が建っていた。神殿なのに薄桃色掛(がか)った十部名ガラス窓が幾つも並んでいた。
「扉も立派ね。大理石だわ。御尻……じゃなくて(笑)……桃の形ね。」
扉には覗き窓などは付いていなかった。押し戸であり、掴む所はあった。横から見ればJ形で、こちらに真っ直ぐに大きく伸びている。神殿に辿り着く前に、硬い岩石で出来た階段だ。クリーム色に近い色だ。
「像も立派!当たり前だけど、流石はエリカ御嬢様だわ!」
 そして屋上のど真ん中には、あのエリカの像が建てられている。
 ギリギリの破廉恥と言うのだろうか。胸部が半空きで巨乳を出したドレス?ローブ?のような服を着たエリカが両腕を胸のやや下辺りにクロスさせた巨大なエリカ像が地上を見下ろしている。エリカ像は裸足ではなくハイヒール姿だった。
「七年以上前にね、工って言う囚人さんがいて、その人が、知り合いのカリスマ設計士を連れて来てくれて、その人が代表として設計してくれたのよ。神殿もね。その頃、習作って言う、絵の上手な、漫画家志望の大人しい囚人さんがいて、その人が出所後芸術大学に進んだんだけど、新しく出来た沢山のサークル仲間や趣味友達を連れて来て、八割方はその人達がこしらえてくれたわ。」
「へえ。凄いですね。」
ポニーテールの歩は、去年入ったばかりのメイドに話すと、そのメイドは目を大きくしている。
「しかも、その習作って言う元囚人だった人は、今その神殿の職員さん、そう、エリカ様を主役にしたアニメを創る事になったんだけど、そのアニメーターとして働いてるのよ。自宅ではそれなりにヒットした漫画家と二足の草鞋(わらじ)もしてるわ。そしてシナリオプランナー担当の一人がね、章雄と言う、元囚人の神殿の職員さんよ。その人は、自宅では最近小説家として働いてるの。その人も二足の草鞋ね。有能よ。名門大学の文学部を優等で卒業したばかりの人よ。クールで創造性豊かで洞察力はここにいる誰にも負けないと聞いたわ。」
「そうなんですかあ。」
「性犯罪をした人は、色んな拘りを持っている人達がいるの。」
「悪く言えば”オタク”でしょうか。」
「そうね。でも私はそんな風には呼びたくないの。肝臓癌で亡くなった御父さんが言ってたの。」
「御父様は、どんな御仕事されてたんですか?」
「弁護士よ。とても優しかった。同じく弁護士になった大学の友達と比べると敏腕ではなかったそうだけど、周りの誰よりも優しくて大らかで誠実な、いつも他人中心な人だった。それでも厳しい時は厳しかった。特に言葉遣いとかはね。人を見る目は飛び抜けていたの。享年六十八歳だったかしら。」
「六十八歳……ですか……。」
再びメイドは目を大きくする。
「そう。両親が五十過ぎの時に私は生まれたの。熟婚よ。私は一人っ子だった。御母さんはパッチワークで生計を立ててる。御父さんは気の小さい人だったから、何かあるとよく御酒を買って飲んでたの。」
「優しくて真面目だったんですね?」
「ええ。でも真面目過ぎるところがあったと言うのかしら?一人で責任を抱え込む癖があったから、人一倍ストレスを抱え込む気質だったそうね。」
「大変だったんですね。」
と半泣きになっている。
「そう。歩の御父様は、とても優しい弁護士だったのよね。」
と横から洋子は言う。
「私がこの職業に就いたのは、御母さんの生活を助ける為かしら。給料が高くて家も遠くないから、ここを受けたの。」
「御父様の貯金は、一杯あったのでしょうか。」
「ああ、それがね、貯金は沢山あったけど、三分の一以上が御父さんの御酒代だったわ。でも、私も私の御母さんも、その事を悪いとは思わなかった。御父さんを責めた事なんてなかったと思う。酒癖はそんなに無かったし。飲めば後はぐっすり眠るぐらい。御母さんは御父さんを大切にしてた。御父さんも、私と御母さんをとても大事にしてくれた。旅行も沢山連れて行ってくれたわ。御父さんが亡くなる三か月前に、初めてヨーロッパへ行ったわ。あ、自慢になっちゃった。御免ね。」
歩は微苦笑して言う。
「ううん、平気です。私も韓国のロッテワールドとか行った事あります。へえ家族サービスも良かったんですね。」
「ええ。仕事熱心なばかりじゃなくて、私達のような家族の事もよく考えてくれたわ。」
「『佳人薄命』とか『美人薄命』って、良く言ったものかも。」
と牡丹は言う。
「だよね。」
笑顔のまま少し悲しそうな表情になって歩は言う。
「そうだ。この神殿が出来てから、ここの囚人の皆は農作業するか、建物の塗装や道の舗装、他には溶接とか手芸とかの技術を身に付ける仕事になったのよね。」
洋子は言う。
「そうそう。」
振り向いて歩は言う。
「で、鞭が一番良く鳴るのは、農作業の時かしら。」
「そうね。」
牡丹が言うと歩は答える。その傍でもう一人の後輩のメイドが頷く。
「さて、もう昼休みは終わるわね。現場に戻ろうかしら。じゃ、私は溶接室だから、これで。」
「ええ。私達二人は今日は農作業場だから一番近いわね。遅刻の心配は無さそうだけど、ちょっとだけ距離あるから、そろそろ行こうか。」
「はい。」

 農作業場にて。
「ほらほら、だらけない!!」
とバチン!とイバラは鞭打つ。
「こら!また藁に隠れて寝てたわね!」
とバチン!と新人も頑張っている。
 塗装場にて。
「手が止まってるじゃない!ほら!」
とバチン!
「はいぃ!」
「重ね塗りに気を付けてね!ペンキも高い物だから!」
「塗装屋さんになりたいなら、ここでしっかりマスターするのよ!」
「俺っちは頑張りますぜ。」
と新しい囚人。
 手芸場にて。
「真理教の信者と言う人の為の大切なローブだから、しっかり作れるようになりなさい!」
とヒガンは床を鞭で叩く。
 鋏やミシンの音が部屋で歌うように鳴っている。
 溶接場にて。
「ほら、熱い熱い言わずに、ちゃんとやる!!集中するのよ!!ただでさえ危ない作業になるんだから!!」
と牡丹は鞭で、木製の広い机を数回叩く。
「すみません。」
と眼鏡までびしょびしょに濡らした囚人は言う。
「よいしょっと。(はは。高専にいた頃やってたから、楽に出来るぜ。)」
ともう一人の囚人は秘かな微笑を洩(も)らしている。この囚人は、黒縁(くろふち)の眼鏡を掛けている。
「うう。(大変だな。これは苦手かもな。工芸高校の機械科でも、これはあまりした事なかったなあ。こんなのを造るよりは、持ち上げて使う鳶職に就きたいかな。)」
と坊主の若い囚人は汗だくになっている。
「ここでは下手に鞭を振ると、火花が散りそうだから、私も気を付けてるのよ。だから、あまり鞭を打たせないで。(嗚呼、それにしても、熱い熱い、と。)」

 この夏に神殿が完成して間もなく、エリカは新興宗教を創り出した。
それは「エロス真理教」と言うものだった。エリカはこれを早くから考えていたらしい。
 エリカは、信者をどんどん集め始めた。
「エリカ教祖様!万歳!」
「あら。教祖様だけでいいのよ。」
と、神殿の一階ホールにて、祭壇の上よりエリカの声が響く。
「ははっ!申し訳御座いません!教祖様!!」
「教祖様!万歳!バンザーイ!!」
「教祖様!!バンザーイ!!」
「そうそう。それでいいの。あ、貴方達は、先月までは囚人だったよね。あの時は、エリカ御嬢様で良かったけれど、エロス真理教の信者になったからには、教祖様って呼びなさい。いいわね。辞めない限り、エリカ御嬢様とは呼んでは駄目よ。」
エリカは、薄い桃色のローブを纏っていた。エリカ像と同じように、半分胸出しになった
ローブである。下は、膝が隠れる程の長さだ。エリカは素足では無く、ここでもベージュのストッキングを穿き、爪先の見える白いローヒール付きパンプスを履いている。信者達の服もローブであり、ズボンでなく、そのままワンピースのような薄い桃色ローブである事は、エリカと同じである。しかし、信者は既に聞かされていた。信者達のローブは何処にでもある安物の薄絹だが、エリカの物は世界で厳選されたシルクである、と。絹を英語でシルクと言うが、良く言うのは、これだろう。高価な絹をシルク、と。安物の絹は、絹、と。台所をキッチンと言えば、新しいとか、綺麗とか、清潔とか言うイメージで呼ぶ。古い家にある、あちこちが傷んだ台所を、台所と呼ぶ。こんなニュアンスも出来ているのだ。国語の授業で先生がその事を話してくれたりはしなかっただろうか。
「ははっ!教祖様!」
と信者達。全員、元囚人である。
「貴方達は一期生だから、何れは誰かが私のボディーガードとか、主任にならなくてはならないの。ここで言う主任は、信者の中のリーダーのようなものね。私が女帝とかだったら、大臣よね。そう、私はきっといつか、女帝になって見せるわ。初めて教える立場になるのも貴方達よ。これは予め言っておくわね。それに貴方達、ここで信者を辞めちゃったら、さぞ御困りと言う人達が大半よね。世間からはどんな目で見られる事か。就職口を見付けるのが至難の業になっちゃうわね。何にせよ、貴方達の場合は、元犯罪者だから。でも、ここで頑張れるのなら私に今からそれを示しなさい。」
「ははーーっっ!!正(まさ)しく!!仰せの通りに!!全身全霊を捧げるが如く、努力致します!!」
「そうよ!さあ、エロス様に祈りを懸命に捧げる事から始めなさい!エロス様は素晴らしい神なのよ!!!」
「ははーっ!エロス様!エロス様!」
エロスと言う名の神の像が、このホールの奥に大きく飾られ、その前に、エリカ教祖が建つ祭壇である。
「人の欲は、無限よ!!性欲は、特にね!!生きている人間は充実と言う満足を得られない!!さあここに活ける餓鬼達よ!死後救われたかったらエロスを厚く信仰しなさい!!」
 信者の中には、あの習作と章雄も工もいたのだ。習作は信者として勤めるばかりでなく、エリカの登場するエロス真理教関係のアニメを作成したり、自宅では仕事で漫画を書いたりと多忙な毎日である。章雄はそのアニメのシナリオライターを務め、自宅では小説家と言う、章雄も多忙である。工は、エリカの神殿、エリカやエロスの像を建てる時に作業を手伝って以来は、ここでは信者の仕事のみである。外では再び大工として勤めているのだ。
 この三人は、天職を持っているから出所後も仕事に困る事もなかった。更に、このエロス真理教でもそれなりに稼げる。
 しかし、真理教は、普通の信者の収入は安いものだった。基本給の半分は何と、エリカが寄付金としてこの神殿に寄付するように、と信者達に厳しく言い付けていた為、信者達は全員承知していた。そしてそれが嫌なら辞めなさい、とこう言っていた。
初めにはこう言う。
「エロスに祈りを捧げる事は、このエリカに祈りを捧げる事である。」
と。

 ある日、出所後に自分もエロス真理教の信者になろうかと考えている囚人は、神殿へ繋がる門の入り口前に立てられてある掲示板を眺めている。この囚人は、溶接時に事故を起こしてメイドを火傷させてしまい、エリカ御嬢間に呼ばれて大変叱られて帰って来たところだった。その帰りに、彼は走って裏口から東へ向かい、神殿へ通じる門の前にいた。信者になろうと思うのならば、それまでに掲示板を見る事ぐらいは、しておくようにとエリカから伝えられていたのだった。門の前にも当然、警備員はいる。
 神殿に続く道は、刑務所の裏口から出た東側に建てられてあり、一度刑務所内を通過しないと行けない事になっている。よって、この神殿の中も、当然無用の一般人は覗く事すら出来ない。聳え立つエリカ像を遠くから眺めるぐらいしか出来ないのだった。

先ず掲示板には、こう書かれていた。

エロス真理教の信者を随時募集中。

採用条件:
・十八歳以上の男性である事。
・性犯罪を起こした事のある者、萌黒刑務所出身の者は特に大歓迎だが、前科の無い者でも入る事は出来る。
・必ず、全国模試を受けて結果表を教祖に提出する事。
・恋心と性愛を司るエロース(エロス)及びエリカ教祖を、厚く信仰出来、全身全霊で学会活動や業務に取り組める自信のある者。

尚、信者の業種は、マネジメントとスペシャリストに分かれる事になる。

○マネジメント信者

・偏差値が五十以上の者。
・学歴は特に不問。
・文才や画才のある者や、土木、機械、コンピューター等の工業技術に詳しい者、またそれらに関する資格を一点でも持っている事が望ましい。
アニメーター、シナリオライター、セールスマン、校正士等、幅広い分野で活躍が可能。

◎スペシャリスト信者

・偏差値が六十以上の者。
・短大卒・大卒以上の資格が必要。
・商品の企画や研究開発を行ない、客人に販売を行なう業種となる。

※現在、理学部、薬学部出身の者には、ある道具の研究開発には懸命に取り組んで貰う形となる。

「ほう、成る程。ある道具?何だろうな?まあ、入ってみないと教えてくれないんだろうな。」
「その通りだ。」
と女警備員は言う。片足だけパンプスを脱いで、薄手の黒パンスト足の爪先をクネクネと動かしている。汗ばんでいそうだな、とその囚人は思った。
「俺は一流の理科大学で化学をよく学んで来たから、スペシャリストだな。出所まではもう少しだ。ん、こちらはエロスについての説明、か。ふむふむ。」
「読み終わったら、さっさと刑務所に戻れよ。」
「はい。すみません。」

「エロス(エロース)」は、ギリシア語でパスシオン則ち受苦として起こる「愛」を意味する。普通名詞が神格化されたものである。ギリシア神話に登場する恋心と性愛を司る神である。

ローマ神話との対応・姿の変化
ローマ神話では、エロースには、ラテン語でやはり受苦の愛に近い意味を持つアモール(Amor)またはクピードー(Cupido)を対応させる。クピードーは後に幼児化して、英語読みでキューピッドと呼ばれる小天使のようなものに変化したが、元は、髭の生えた男性の姿でイメージされていた。古代ギリシアのエロースも同様で、古代には力強い男性あるいは若々しい青年であり、やがて、少年の姿でイメージされるようになった。
※この後は、パンフレットに書かれた説明書を見よ。
「成る程。」
「残りを詳しく知るなら、このパンフレットに書いてあるから、持って帰ると良い。休憩時間か、日曜日にでも読め。」
「あ、どうも有難う。」
囚人はパンフレットを掲示板横のボックスから取ると、持って帰って寝る前にでも読む事にした。
 後、例のエロス神についてはこのように書かれていた。
「古代の記述」
ヘーシオドスの『神統記』では、カオスやガイア、タルタロスと同じく、世界の始まりから存在した原初神である。崇高で偉大で、どの神よりも卓越した力を持つ神であった。またこの姿が、エロースの本来のありようである。
後に、軍神アレースと愛の女神アプロディーテーの子であるとされるようになった。
古代のおいては、若い男性の姿で描かれていたが、西欧文化では、近世以降、背中に翼のある愛らしい少年の姿で描かれることが多く、手には弓と矢を持つ(この姿の絵は、本来のエロースではなく、アモールあるいはクピードーと混同された絵である)。黄金で出来た矢に射られた者は激しい愛情にとりつかれ、鉛で出来た矢に射られた者は恋を嫌悪するようになる。
エロースはこの矢で人や神々を撃って遊んでいた。ある時、アポローンにそれを嘲られ、復讐としてアポローンを金の矢で、たまたまアポローンの前に居たダプネーを鉛の矢で撃った。アポローンはダプネーへの恋慕のため、彼女を追い回すようになったが、ダプネーはこれを嫌って逃れた。しかし、いよいよアポローンに追いつめられて逃げ場がなくなったとき、彼女は父に頼んでその身を月桂樹に変えた(ダプネー daphne とはギリシア語で、月桂樹という意味の普通名詞である)。このエピソードが示すは、強い理性に凝り固まった者はと言う物を蔑みがちだが、自らの激しい恋慕の前にはその理性も瓦解すると言う事である。
参考書籍
・ヘーシオドス 『神統記』 岩波書店
・アプレイウス 『愛と心の物語』 岩波書店 (『黄金の驢馬』の作中話として挿入されている)。
・呉茂一 『ギリシア神話』 新潮書店

ヘレニズム時代になると、甘美な物語が語られるようになる。それが『愛と心の物語』である。地上の人間界で、王の末娘プシューケーが絶世の美女として噂になっていた。母アプロディーテーは美の女神としての誇りからこれを嫉妬し憎み、この娘が子孫を残さぬよう鉛の矢で撃つようにエロースに命じた。
だがエロースはプシューケーの寝顔の美しさに惑って撃ち損ない、ついには誤って金の矢で自身の足を傷つけてしまう。その時眼前に居たプシューケーに恋をしてしまうが、エロースは恥じて身を隠し、だが恋心は抑えられず、魔神に化けてプシューケーの両親の前に現れ、彼女を生贄として捧げるよう命じた。
晴れてプシューケーと同居したエロースだが、神であることを知られては禁忌に触れるため、暗闇でしかプシューケーに会おうとしなかった。姉たちに唆されたプシューケーが灯りをエロースに当てると、エロースは逃げ去ってしまった。
エロースの端正な顔と美しい姿を見てプシューケーも恋に陥り、人間でありながら姑アプロディーテーの出す難題を解くため冥界に行ったりなどして、ついにエロースと再会する。この話は、アプレイウスが『黄金の驢馬』のなかに記した挿入譚で、「愛と心」の関係を象徴的に神話にしたものである。プシューケーとはギリシア語で、「心・魂」の意味である。
「ふむふむ。成る程。元来のエロスってこんなんだな。これもギリシャ神話か。」
「お、それパンフレットじゃん。見せてよ。」
と若い囚人は言う。パンフレットを持ち帰った囚人は差し出す。
「ああ、いいだろう。ほれっ。」
「サンキュッ。よし、これでわざわざ、門の前の掲示板を見に行かなくて済むってもんよ。肩揉んであげるよ、旦那。」
「へい、頼むわ。」
「エロスもギリシャ神話だったんスね。小さい頃は本読まなかったから原作も読んではないけど、ギリシャ神話は良く知られてるよな。キメラとかペガサスなら良く知ってるよ。」
「キメラか。キマイラとも言うよな。ギリシャ神話、興味あるならまた今度読んで見ないか。いや、信者になればもしかしたら一通りは読まされるかも知れん。」
「ファンタジー小説とかロールプレイングゲームが好きなら、気に入るかも知れないなあ。」
「俺もそう思う。だが、キメラやペガサスは、出て来るかどうかは分からんけどな。エロスの話がどう説かれるか、によるな。きっとエロスが一番であるとかエリカ御嬢様は御考えなのだろう。他の生き物や神は、全て下に置かれるかも知れんのう。」
「新興宗教かあ。どんなだろうなあ。俺も興味あれば入ってみようかな。」
「偏差値が最低でも五十は必要だそうだ。あるか?」
「ええ!?そんなんスか。四十五ぐらいしか無かったように思うから、今の内に勉強しといた方が良いかなあ。」
「マネジメント入るなら、社会科とか文科系の学問は学んでおいた方が良いだろうな。」
「でしょうねええ。」
二人はボチボチ寝床に着こうとする。

飲み屋にて。工と習作と章雄の三人が話し合っている。
「将明の奴は、エロスの信者にはならなかったけど、元気にやってるみたいだな。またクレーン運転士として。」
とガラスコップに入った清酒をあおりながら工が言う。
「そうなんですか。彼は、エロス真理教には入らないんですよね。」
と章雄はビールを啜りながら答える。
「入らんだろうなあ。あいつは先ず、勉強したり座禅したり本読むのが大嫌いだから、偏差値が先ず足りないんじゃろう。故に、そこまでは興味湧かないんじゃろうなあ。クレーンやユンボー等の機械をいじるのだけは好きみたいじゃがな。わしはギリギリ五十だったから何とか入れたがのう。体育以外に、物理と歴史はまあまあ好きだったんじゃ。章雄よ、御前は頑張って六十超えたみたいじゃが、マネジメントに入っておるんじゃのう。」
「そうですね。スペシャリストは、大変そうですし。理系の人が多いですもんね。勉強して知識、教養を身に付ける事は、自己啓発にも役立つと思いましたものですから。」
「僕も、頑張って偏差値五十ぐらいになりました。それでマネジメントです。絵と漫画は大好きなので、アニメ製作担当ですね。章雄は、シナリオの構成ですね。」
とチューハイを啜りながら習作は言う。
「ギリシャ神話のエロスが何れは最高位になるとか、エリカ御嬢様は説かれておった。確かに、性欲、性愛の力は強大にして偉大かも知れんがのう。生きている人間が手放す事は出来ないものじゃから、どんな冷静な者でも、性的欲望の奴隷なんじゃろか?硬派も軟派も同じようにな。愛が全てとか言う者も、確かにおるな。」
「でも本当はそうじゃないですね。勇気とか忍耐とか希望とか、熱意とか誠意とか色々ありますし、それぞれ全部大切ですよね。」
と章雄。
「ええ、確かに。私が良く見る多くの漫画のシチュエーションでも、最後には愛が勝ったり勇気が勝ったりしてます。何だかんだ言って心が大事なんですね。完璧な心も完璧な頭脳もありませんけど、完璧じゃないのが人間ですね。」
と習作。
「その通りじゃな。しかし、いざ信者になったからには、あまりエリカ様には意見千法が身の為かも知れん。」
と工は微笑している。
「ですね。一つの大宇宙に、幾多もの小宇宙はあります。シナリオにも絵画にも、写実主義とか自然主義とか色々な方針があります。正しさはそれぞれ同じです。多種多様な価値観が存在する中で、真に正当なものは存在しませんね。色々集まって初めて、一つの正当性になります。」
「成る程。対立概念の調和とか言うね。ドイツ語で、アウフヘーベンとか言うのお。流石、御前さんは長年小説家目指して、文学や倫理学や哲学を学んで来たと言う事はあるな。感心じゃ。」
「いえ、学校の先生や大学の教授や先輩、質問サイトの人達にも何度世話になった事でしょうか。大凡は聞いた話をそのまま言ったようなものですから。」
と章雄もクールな微笑を浮かべて言った。もうすぐビールを飲み終わる。
「お、そう言えばそうじゃ。習作君よ。聡美さんは元気か?」
「聡美さん……ああ、あの元逆メイド刑務官の……。はい、大学院の理学部専攻で生物学研究科の博士課程を目指して頑張られているそうです。何れは大学の教授になられると言われてました。」
「ほう、あの子は凄いのう。男性であれば、スペシャリストとしてもこの信者に入れるが、彼女は女性じゃからのう。それに大学教授志望なら当分はあちこちを転々する事になるんじゃのう。」
「アメリカか何処かに留学するかも知れません。本人も考えてるみたいです。」
「ほう、世界的に有名な学者として名を残せたらええわのう。女性の身で理学博士、更にノーベル賞まで取れたら大大大(たいたいたい)したもんじゃて。ふぉふぉ。応援してやらんとのう。」
「ええ。」
「ぷはあ。清酒五杯目を飲み終わったぞい。そろそろ打ち上げかのう。」
「工さん、御酒強いんですね。」
「大工じゃからいっつも飲んでおった。大工なんぞはこうでなくっちゃな。清酒は、大工の命の水さ。ふぁっふぁっふぁっ。」
工は、もう顔面が真っ赤だ。大分酔っ払っている。
「いやあ、愉快じゃ愉快じゃ、飲んでる時は一番幸せじゃ。大工仕事はその次かの。ところで習作君よ。歩さんとはうまくやっとるか。」
「ええ、まあ。」
「近い将来、結婚するんじゃろ。」
「はい。元犯罪者と結婚なんて、社会の目からは冷たく見られそうですが、…………。」
「ですが?」
「歩さんは、実は過去に男から三回も裏切られてるそうなんです!!」
「おっとっと!そりゃぶっ魂消(たまげ)たあぁぁ!」
と工は両手を大きく上に挙げた。瞳も大きくなっている。
「それで、流石に女性らしくて大らかな歩さんも、暫くは男性不信になっていたそうですが、その事を表面には出さなかった。歩さんは広い心の持ち主です。偶々悪運が重なっただけだと。僕達なら、今度はきっとうまく関係を築ける、と。犯罪者じゃなくても汚ない人間なんて幾らでもいます。一度犯罪を犯せば人間は終わりとか言って謗る人もいますが、僕はそうは思いません!人は、きっと変われます!きっと。」
「名言じゃな。また名作で色んなの読んでおるな。改めて感心じゃ。」
と軽く首を振りながら工は言う。
「ええ。これは原作はまだ読む途中ですが、フランスのヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』のアニメ版で、元犯罪者のジャン・バルジャンが、終盤で警部と対話するシーンにてありました。」
「なるへど。なるへどろ。ナルホロナルホロ、成る程なっ。」
と工は、章雄の背中をポンポンと強く叩いた。
「ププッ。呪文みたいですね。大丈夫ですか、工さん。真っ赤ですよ。」
と章雄は久し振りに噴き出した。
「善男善女には、いつも悲しみが降り懸かる。でも信念と暖かい気持ちを持って進めば、きっと報われる、と。犯罪者でも、社会復帰出来ない訳ではありませんね。漫画やドラマの名作を見れば最後の名場面では良く解ります。」
と習作は付け加える。
「わしらクリエイテイブなトリオつうか、まるで三人兄弟みたいじゃのう。ふぁふぁ。」
と工はでろんでろんになったまま言う。
「ブラザーズですかあ。それにしては年が離れ過ぎてますけどね。」
と章雄も笑った。
「ところで習作君や、おぬしは聡美さんと結婚はせんのか?」
「ええ?ええ。彼女は親友みたいなものになりましたけど、結婚は恐らくしません。彼女は、誰とも結婚しないかも知れません。偶に会う事は出来ますが。『子宮が一人前じゃないから、子供造るのは不安。理科系のエキスパートを目指す女だしね。』と自分で言われて卑下されてました。」
「そうか、そうか。まあ年取って考え変わる場合もあるからのう。その時は熟年結婚でもイイんじゃね?とかな。熟婚も増えるか、熟婚もな。はは。冗談じゃ。冗談じゃ。」
「やめて下さい。もう良いでしょう。これぐらいで。」
と習作は笑いながら少しだけ膨れた。特に怒ってはいないようだ。

ここは刑務所の控え室だ。
「聡美さん、元気してるかなあ。」
とイバラ。
「元気じゃない?知力も体力も根性も、私達の倍はあると思うわ。あの人。」
と牡丹は言う。
「そうね。貯金が溜まったから学生に戻って大学院でバリバリ生物の勉強してるわよね。」
とイバラはメイド服のまま、ウェットテッシュで脇の下を拭き取った。
「一方、歩さんはもうすぐ結婚かあ。相手はまだその時まで教えないって言ってたけど、誰だろう?」
「さあねぇぇ…………。」
と牡丹は上を向いた。

 ここは、エロス神殿だ。この朝八時、信者達が全員ホールに集まっている。エリカは祭壇で立って”上から目線”で信者に話し掛ける。
「皆、お早う。さあ、この”お早う”はギリシャ語で?」
「カリメラ!!エリカ様!!エロス様!!」
「はい、そうね。皆、覚えてるわね。”こんにちは”は?」
「カリメラ!!」
「そう!二つは同じよ!では、”こんばんは”は何て言うか?」
「カリスペラ!!」
「そう!!はい、これぐらいは一発で覚えられて当然ね!!じゃ、今日もしっかり行くわよ!!ここで御祈りを捧げた後は、一時間の朝の座禅よ。その後、それぞれの仕事場に着いて!!アディオ(バイバイ)!!」
入ったばかりの新人も多いので、エリカは念を押して言っているのだ。
 そして十分間の御祈りが終わった後。
「アディオ!!エリカ様!!」
「はい、ここではエリカ様よ!!この後は帰るまで、『教祖様』ね。」
座禅は二階の大広間で行なう事になっている。その後、それぞれの仕事部屋へ向かうのだ。
「さて。もう九時じゃな。トイレも済ませたな。これから一時間の座禅だ。昼飯の後も一時間座禅。帰る前にも一時間の座禅。最低三時間はあるのう。エリカ様が鞭を持って回るから、緊張するぞいな。ま、今日も頑張ろうや」
と工。
「はい!」
と章雄。
「頑張りましょう!」
と習作。
 そして昼食時の事だ。米と梅干しと野菜だけの精進料理だった。
「ここでは肉は月の頭と言うか、まあここは日曜日は休みだけど、月の初めに来た日しか食えないんだよな」
「ああ。それ以外の日は、ここでは肉食禁止令だ。朝と昼は何があっても肉は食えん。仏教ではないが、エリカ様、いや教祖様が決められた事だからな。」
と中年の信者は言った。
「そうだね。まあ俺はもう不満じゃないっす!だって、なあ。パンストフェチで自分もパンスト穿きたかった俺は、ここにいる時は、このローブの下に好きなパンストを穿かしてくれるもんなあ。ほらそっちの新人君も見てみなよ。これベージュのパンストだよ。このパンプスは、勿論女物だよ。」
「新人もとっくに教えられて知っとるじゃろ。わしなんぞ、下着フェチのワシなんざ、下にピンクのパンティーじゃぞい。ここでは見せられんがのう。」
「エリカ様、いえ教祖様が来られたら、大変ですもんね。」
「二十回は鞭で打たれるじゃろう。」
すると一人の新人は、
「僕も、ブラジャー着けてます!!」
「ほお、やるのう。新人の癖に、とか言っちゃ悪いか。へへ。」
「僕もほら、ベージュのストッキング穿いてます!サブリナ・ノンランのサニーブラウンですから、最も肌の色に近いんです!だから、気付かれ難くて、時々外でも穿きますよ。爪先ヌードで、シームは無しです!」
と章雄。
 そう。信者達の靴や脚を見ると、脚から下だけは色とりどりだった。統一されているのはローブだけだ。靴や靴下は、パンプスを履こうがフェラガモを履こうがハイヒールを履こうが、自由であった。
「僕は、白タイツ穿いた女の子とかが好きです。特にバレリーナやピアノの発表会帰りの可愛い女の子、ウェディングドレスを着た女性等。中でも一番好きなのは不思議の国のアリスなので、今日はこの白タイツに、黒のストラップシューズです。はい。」
と習作。
 すると工もやって来て言う。
「わしはな、三つ折りソックスのスタイルの女の子は好きじゃった。じゃからまあ、わしはここ一週間、自分の白靴下を三つ折りにしておるぞい。ふぉふぉ。靴は、白いサンダルが多いのお。天使みたいじゃろ。」
「大天使ミカエル様!!また大工仕事教えて下さいね!!」
「おお、良いぞ。さて、ジョーク飛ばせる時間はもうすぐ終わるぞい。後十分じゃて。そうそう、こいつは最近わしの弟子になったんじゃ。わしはこう見えて大工の棟梁じゃからのう。」
と若い新人の肩に手を当てながら言う。
 向こうを見ると、白ストッキングに紐付きの白サンダル、と言うエンジェルなスタイルの信者もおり、他には白タイツにバレエシューズ、白い花柄模様のストッキングに白いハイヒールと言う女性のウェディング姿みたいな信者もいた。
「足フェチは精神年齢高い、とか言うじゃろ。章雄君や習作君はまだ若いがのう。」
「あくまで迷信でしょうね。僕はアニメ好きで精神的に幼いですけど、秋葉系の若い可愛い女の子の脚とか長い靴下とかタイツとかストッキングを穿いた脚が大好きですし。」
「そうですか。初耳です。でも迷信ですかね。ええと僕は、この下は紺色のハイレグです!」
「そうか、そうか。じゃあ、ビキニもおるかも知れんのう。」
と工。
「僕は、顔と性格と脚以外に興味ありませんけどね。」
と章雄。
「フェティシズムは、まあ人それぞれじゃからな。」
と横にいる中年の囚人は言った。
「さて。これが終わったら、また午後一時から二階の大広間に集合して座禅の時間じゃな。」

「歩さん!御結婚おめでとう!」
とイバラはブーケを投げつつ叫ぶ。
「おめでとう御座いますうう!!……歩さんはあんな犯罪者とでも一緒で良いんだって!ま、いっか!」
とヒガンも言う。
「まあ良いじゃない。あの人、漫画が描ける人でしょ。素直な人だそうよ。きっとうまくやれるわよ。」
とヒガンの友達は言う。
「皆、有難う。」
と歩。ウェディング姿の歩は、目に涙を浮かべていた。
 ここは大きな結婚式場の中だった。歩は習作と、無事に成婚出来たのだ。この日は、日曜だった。歩は、知り合い全員が休みを取れた日に結婚式を挙げるように計画を立ててくれていた。ローズは貰い泣きしている。牡丹も洋子もいた。そして、勿論聡美もいた。
「歩、習作君、御仕合せにね!!」
と聡美。
「ブラボーッ!!」
とローズ。
「ヒューヒューッッ!!」
「イイナ、イイナ!!」
「これからも二人で頑張ってええーーっっ!!」
「習作君――っっ!!歩さん!!二人共元気に、御仕合せにな!!」
とスーツ姿の工も叫び掛ける。
「習作!!歩さん!!御幸せに!!色々ありますが頑張って!!下さい!!」
と章雄。
「習作!!元気でな!!また飲み会とか呼んでな!!」
と、習作の古い友人も来ていた。
「君は、習作君の、古い友達かね?」
「そうです。小学校からの友人です。会うのは本当に久しぶりです。八年ぶりでしょうか。」
工が聞くと、彼は答える。
「あら章雄君、元気?」
横にはいつの間にか聡美がいた。
「ええ、御蔭様で。聡美さんも元気そうで何よりです。」
「あらあ、私はいつだって元気よ。じゃ、頑張ってね。しっかり本読むようにね。」
こう言うと、聡美はゆっくりとウインクして向こうへ行った。
「ハア!ハア!良かった、間に合って。」
「あら、百合じゃない!御久し振りね!元気だった?」
と牡丹は両手を合わせて言った。
「ええ、当然よ。体操のインストラクターだもの。」
「体操の先生の仕事、楽しい?」
「ええ、まあね。ガキんちょ相手は結構疲れるけど、前のあそこよりは楽かな。いやあそれにしても、ジョギングを兼ねてここまで走って来た甲斐(かい)があったな。途中コンビニでプロテインウォーターも買ってあるし。」
と言いつつ、小さいリュックの中からペットボトルに入ったプロテインウォーターを取り出した。
 ボーイッシュで細身の、明朗快活な百合は、早くに萌黒刑務官の逆メイド軍団を退職し、体操を教えるインストラクターになっていたのだ。
「御幸せに!!」
「御幸せに!!」
「御元気で!!」
「ヤッホー!!習作の奴、やるじゃねえか!!」
と将明も握った手を振り上げて言う。
「さあ、間もなくケーキ入刀です!!」
と司会者はマイクを片手に言う。
 会場全体が拍手喝采の嵐になった。

 更に月日が流れた。歩と習作が結婚して三年が経った。
 歩と習作の間に、一歳の赤ん坊が生まれていた。可愛らしい男の子だった。
 歩は習作の御宅に嫁入りして、歩は既に退職していた。寿退社だ。でも歩は、習作にばかり負担を掛けないように、子供が大きくなれば自分もまた何処かで働く、と言っていた。貯金はあるが、子供を頑張って大学までやりたいと二人して考えているのだ。
「私も、また働くから。きっとね。貯金は確かに一杯あるけど、無駄遣いはしたくないな。貴方。この子にはちゃんとした学校を出て貰いたいから。」
「ああ、でも御前の好きにしても構わないよ。さて、俺は仕事に戻るわ。俺を反面教師にして、犯罪者にはならないようにしたいよな。いや、歩の教育なら大丈夫だろう。心配はいらないね。すまない。間違い無いよ。うん。」
こう言って習作は自分の仕事部屋に戻った。自分の部屋の事だ。
一方その頃、章雄は、一人のファンの若い女の子と両想いの恋に落ちていた。初めての恋愛経験だそうだ。近々、章雄も結婚するかも知れないと自分で工達に話していた。
 博士課程を目指して大学院に残っている聡美は、三十を既に超えたが、相変わらずの独身だった。恋をした経験は聡美も少なかった。男友達は、大学院で幾人も作っていたが、恋人と言えるものは作らなかった。恋人になって欲しいと告白はされたが、友達でいるのは構わないと約束するから、と言って断ったそうだ。沈着冷静な聡美は、恋などには無関心であった。その事を、もう既に同期の学生にはカミングアウトしている。刑務所で働いていた事もここでは平気で話す事が出来た。この研究施設も、一般人が思うより、和気(わき)藹藹(あいあい)とやっている場所だ。

エリカはエロスの化身なるか

「これはもしや、事件じゃないだろうね?」
「さあな。そのうち分かるだろうが、そうでなければ良いがな。」
「でもよ、何かやばくないか?基本給だって、寄付金として差し引かれる額が半分から三分の二になっちまってるしよ。嗚呼、エリカ御嬢様、何故(なにゆえ)私達にこのような仕打ちを……。私達は、確かに罪深い人間です。しかし、これはあんまりでは……。」
と両手を合わせて祈るように言っているが、空しく響くだけだった。
このように信者達は何やらこっそりと話し合っていた。
 この秋、エリカは、何と「自分は、あの偉大なるエロス神の化身である!!」と信者達の前で名乗り、信者達を次々と洗脳して行った。要するに騙したと言うのだろう。寄付金は、これだけ支払わなければ、エロス神の怒りに触れてしまう、重い病に伏せる事になるであろう、と信者達に向かって威厳を持ってしかと繰り返し言い聞かせた。エリカ自身が過激になっているようなのだ。そんな噂が、信者から囚人にも伝わっていた。信者は、勿論後輩達への面会の為に、頻繁に隣の萌黒刑務所へ足を運んでいたのだ。
 特にスペシャリストクラスの信者は、その事をあっさりと信用した者が多かった。東大や京大等の国立理系や、早稲田大学の出身の、高学歴者が多く、何故(なぜ)そのような優秀なエリートの人達が騙されたのかと不思議がる人もいるかも知れない。そう、ここで元評論家の囚人は考えた。それはそうやろな、エリカの御嬢さんはいいところに目を付けたなと思っている。如何に東大、兄弟の学生が優秀だと言っても、彼らは社会的実践と言うものを殆ど経験していない。
彼らの社会生活と言えば、学園生活、クラブ活動、不純異性交遊ぐらいのものである。言って見れば、実社会の中で揉まれて、人間に対しても、社会に対しても認識を磨いて来なかった赤ん坊同然の連中である。エリカのような海千山千にとって、彼らを騙すのは気極めてたやすかったのだなあと、見てとった。
マネジメントの皆はスペシャリストよりはまだ比較的まともな人間もいた為、騙すのには少し苦労したそうだ。そこで、エリカは、スペシャリストの薬学研究グループに、ある特殊な薬をこっそりと作らせたのだ。材料は不明だ。密輸した可能性もある。そう、世界中から密輸した物が殆どだったのだ。その中には何と、コカイン等の覚醒剤も含まれていた。
 更に、聡美達の研究グループまでもが、エリカからの依頼で、神殿内の研究室で反逆者避(よ)けや泥棒避けに、生物兵器を製造して保存しておくように、と言い付けたのだ。御金の為に、皆言う通りにした。強くて賢くまでなった鰐や蛇、巨大なワームやバジリスク、品種改良されて大きく強くなったピラニア、そしてフランケンのような人造人間までもが造られて研究室の巨大な水槽に保管されていた。
聡美は、ここでは「ミス・フランケンシュタイン」と言われるまでになった。ノーベル賞を取る日も近いと謳(うた)われている。そして何処かの理系の名門大学の名誉教授になるのだろう。
「聡美さん、いえドクター・サトミ。貴女(あなた)、もしノーベル賞取れたら、理科大学とかをこの隣にでも建てては如何かしら?援助金はタンマリと差し上げますわよ。如何であって?おほほほ。」
とエリカは聡美に言った。今日は日曜日なので、エリカはローブを着てはいない。私服、いや薄桃色のスーツ姿だった。
「有難う御座います。光栄です。しかし、ここはまた考えさせて頂く事になるかと存じます。エリカ御嬢様。」
「うふふ。まあ好きにすればいいわ。じっくり考えておいてね。」
聡美の周りには、同輩や後輩の研究員こと院生が数人いた。男性が多いが、女性もいる。

 更にその後、エリカはスペシャリストが進展させた薬を、新薬として名を付けた。
「エロースとウェヌスの汗」だった。ここでウェヌスとは、ローマ神話に出て来る、愛と美の女神の事である。 別称はヴィーナスとも言う。エロース(エロス)とウェヌス(ヴィーナス)の偉大な力が備わっているような最高に優れた「惚れ薬」と発表されていた。
大変な薬で、熱を加えると桃色の甘い匂いのするガスとして発生する、と言うものだった。
 エリカは、次の春に、それを早速街中で振り撒く予定だった。
「昨日、聡美さんがいましたよ。」
「ああ、ドクター・サトミとか呼ばれておったな。もう来年には試験が受かれば博士課程が修了出来るらしいな。大したもんじゃな。生物兵器がどうとかな。護衛に使うんじゃろうな。じゃが猛獣やゾンビなんぞは恐ろしいよのう。」
帰宅時間だ。章雄と習作は相変わらず仲良く話をしている。
「さて、帰る前に、エリカ像を拝んで来るとするか。」
「わしも行く。」
「俺も。」
囚人達の中では、エリカ像の前で毎日忘れずに祈りを捧げて帰る者もいた。相当のエリカのファンであった。そうなれば、既にエロスのファンでもあるのだ。学校の勉強は好きでなくとも、熱心な信者であるのは良い事だ、と他の信者達もエリカも思っているだろう。

「さあいざ行きなさい!!今こそ『エロースとウィヌスの汗』を公衆に!!一分で空気と同化出来るならば、そうさせて一般大衆に飲ませて差し上げなさい!!」
 日が沈んで間も無い時刻だった。ある地下鉄にて、人々は電車から出て来た途端に、これまでにない変わった甘い匂いがする事に気付いた。
「うわ、いい匂い、ううん、いい香りかな。でも何かしら?」
「うわあ!こりゃいい匂い、いや最高に香りだ!」
「へへ、セックス以上の快感かな……ん…ん…。」
すると、男性だけ、様子が可笑しくなり、帰路とは反対方向へ歩き始めたのだった。
「……うう……ん。」
「エリカ様ああぁぁぁ…………。」
「エリカ様、万歳!!」

 いつの間にか、この一晩で、数十人の男性が行方不明になった。
 そして翌日は、夜中から萌黒刑務所近くの町の大半が姿を消していた。
 やがて、市内の男性の殆どが姿を消した。
 警察はとうとう調査に乗り出した。ぼうっとして「エリカ様ア。」と言って向かうサラリーマン風の一人の男性を見掛けて中年の警察官は声を掛けるが、うんともすんとも返事が無い。
「どうしたんだ、おい君!目を覚ますんだ!」
「エリカ様。教祖様。エロス様。ばんざい…ばん…ざい……。」
「エリカ?エロスとは?んん!まさか!」
警察は、一九九番通報をして救急車を呼び、一人の男を病院まで連れて行った。別の所を回っていた警部も戻って来た。そして救急車に御一緒したのだった。縛らざるを得なかったのは、男はベッドに寝てもまた起き上がって歩き出そうとするからであった。
 そしてついに、病院はその男の体内を、レントゲンを使ったり血液検査をして徹底的に調べ上げると、ついに分かった。
「こ、これは、とんでもない成分まで入っているぞ!他にも色々あり過ぎて全部はまだまだ時間が掛かるが!こ、こ、コカインまで含有していたぞ!!他にも色んな安定剤や、タミフルまで微量にある!!しかし犯人は本人とはまだ考え難いな。何かがいる筈だ。御巡りさん。」
「確か、エリカ様とか言ってましたよ、警部!!」
「そうか。確か……よし!あの萌黒民間刑務所が怪しい!そこの取締役のエリカの名と同じだ!!明日の朝一番にそこを調べよう!!さあ萌黒刑務所へ向かうぞ!!神殿も徹底調査だ!!」

 まさか、警察が刑務所を調べに行く事になるとは…………。
 警官と警部は、萌黒刑務所の中を徹底して調べたが、怪しい物はここには無い。
「うわ、あれ警察の人じゃない。」
「本当だあ。何の用かしら?」
イバラとヒガンは話していた。
「神殿まで調べるつもりだわよ、きっと。そしてまさか、林の奥のエリカ様の棟まで。ありゃまあ……。」
と牡丹。
他のメイド達も目を見張っているエリカが裏で何をしているかは彼女達も囚人も勿論知らない。エロスの信者さえも、全員は流石に知らなかった。マネジメントクラスの者なら特に何も教えて貰えないだろう。
「あれは、警官だな。」
「奥へ入って行くぞ。」
と信者達はひそひそと話している。昼食前の束の間の自由時間だ。皆、エリカの著書を読んだり、座禅を組んだり読経の練習をしたりしている。

 そしてとうとう、三階の突き当りの研究室まで調べられた。
「あれは、コカイン!睡眠薬まで!」
「何ですの?!警察の方!?」
ろローブを羽織ったエリカがそこにいた。椅子に腰掛けて寛いで本を読んでいる。
「エリカさんと言ったね!話を聞かせて貰おうか、御嬢さん!」
と警部は詰め寄る。
「御話い?」
「これは確信犯じゃないかね?町の男性は行方不明なのだよ。何処にいるか心辺りは無いか?」
と警部。
「知りませんわよ。」
「そうか。ではもう少し奥の部屋まで隈なく見せて貰おう。」
「そんな…………。」
エリカは青ざめた。
「おっと。部屋の外にも既に警官を呼んである。逃げられんぞ。」
警部と警官が行くと行くともう一つ奥の部屋は、生物兵器の格納庫になっていた。一番奥は、制御室や物置と書かれた部屋しか残っていない。
「こ、これは!!」
 するとその部屋にはスペシャリストクラスの信者であるその中の研究員グループがいた。
「おーっほっほっほっ!この世界はもうすぐ私のものになるのよ!私の虜となった男達はみーーんな、この神殿の広々とした地下室で眠っててよ!ここにはいないわ!!」
 エリカは、ローブを汚すまいと、いつもの服装に急いで着替えていた。レモン色のブラウスに、橙色のスカートに、古い紐付きサンダルとベージュのストッキングだ。あれはそんなに高いローブなのだろうか。いや、警官の為にまた買い替えるのが嫌なのだろうか。
「おかしな薬に、生物兵器まで!!しかし!……萌黒エリカ!麻薬現行犯と監禁罪で逮捕する!!その被害者男性に何か心身に後遺症があれば、傷害罪も成立だ!!後は、略取・誘拐罪もな!!さあ来い!!」
「そうは行かなくってよ!苦労を重ねて折角ここまで行きましたのに!!」
「何!?」
エリカは、スイッチを何やらリモコンのスイッチを押した。
ガラス窓が開き、生物兵器となる猛獣達が襲って来る。
「生かしちゃおけないわね!それとも信者にでもなるなら許してあげても良いわよ!」
「何がだ!さあ、いなくなった皆を返して貰うぞ!」
警部と警官は、拳銃を構えた。
現住を連射すると蛇やバジリスクは倒れたが、人造人間と鰐が中々倒れない。
「でかい鰐と、フランケンみたいな奴がこっちへ来るぞ!!」
「オホホホ!!私は仕事が早いだけじゃなくて着替えるのも早い事よ!!それに、高級なウェディングドレスより高いあのローブをこんなところで汚したくないですもんねえ!こんな庶民の為に!ポリスなんて言っても小市民よ!私に勝てるもんですか!!ノーッホッホッホッホッ!!」
「くっ!!」
「萌黒財閥の御嬢様でも、許せる筈が無い!立派な犯罪行為じゃないか!」
「もうすぐボディガード達がここへ駆け付けて来るわ。……ヒッ!!」
エリカは鰐の尻尾をいつの間にか踏み付けてしまっていたのだった。鰐は暴れ出し、人造人間とぶつかり、その人造人間は倒れて頭部を打ち、動かなくなった。
「グオオォォ……ウウゥゥン……。」
「キャアアア!嫌アアア!助けて、うぐ。」
その鰐は、怒って何とエリカの右脚に思いっ切り齧り付いていた。
「ギャア!嫌!話して!助けて!私が悪かったわ!御願い!!今回は私の負けよ!!」
「エリカ様!!」
と研究員達は鰐を止めようと必死だ。
「鰐が!!」
「頭を打て!!」
警部と警官は鰐の頭に、そして駆け付けてやって来たボディガード達はエリカを運び出し、救急車を呼んだ。

 エリカは大きな病院で右脚を切断されたが、聡美のグループと、エロス神殿の研究員とで共同の研究開発によって造られた義足を付けて、本物そっくりの脚が出来上がった。鰐やゴリラ等、色々な生物の肉や骨で造られた物らしい。
「ドクター・サトミ。スペシャリストの皆、よくやってくれたわ。」
エリカは、病床で呟いた。一通り、皆御見舞いに来てくれた。
 この後、エリカは逮捕され、五年の懲役刑を受けた。一般社会に反する事を行なった事でも問題になった。
 それでも、萌黒刑務所は無くならなかった。優秀な職員であったローズが代理を務めていた。エロス真理教は、解散された。神殿はエリカ自らが取り壊す事になる。
 戻れば、またエリカは刑務所の経営者としてやって行くだりう。メイドのリーダーは、既に他のメイドが務めていた。ローズはエリカから、五年後自分が復帰したなら貴女は副経営者となるようにとエリカから言われていた。
萌黒民間刑務所の門の前にて。パトカーの前で、エリカを見送る者があった。
「ミス・エリカ、イエイエ、エリカ御嬢様ア!!御元気デ!また会えますネ!会いに行きマス!シーユーアゲイン!きっとカムバックして来られる日を、私は待ってマス!!それまではここは私の御任せ下サイ!!」
とローズ。
「エリカ御嬢様!」
「エリカ御嬢様!うっうっ。」
イバラとヒガンも涙ぐんでいる。
歩も習作もいた。工も章雄も見送りに来ていた。章雄の恋人もいた。眼鏡を掛けており、中々可愛い女の子だ。内向的なタイプの文学少女なのだろう。パーカーシャツと、ジーパンのボトムにスニーカーと黒いハイソックスと言うスタイルである。
「ふう、間に合ったぜ!エリカ様、刑務所行きかよ!」
と将明も仕事着のまま駆け出して来た。
「しっ!!」
と習作は人差し指を唇に当てて将明に言う。
「エリカ御嬢様、全ての男の人を誘惑しようとしてたなんて。でもやりたい事はよく解っておりました。はい!うるるる。」
と牡丹。
「ぐすんっ。エリカ御嬢様、きっと、面会に行きます。社会についての色々な事をエリカ様からは教わりましたし。」
と洋子。
「どうか罪を洗い流して、帰って来て下さああい。うううううううう。」
とイバラ。
「聡美さんは今日は来れないけど、僕がこのビデオカメラで撮って送ろう。」
「ええ、……良い考えね…章雄君…。聡美さんも喜ぶわ。うふふ。」
と章雄の恋人は微笑む。
 章雄は一生懸命に、ビデオカメラを回している。高額で高質画像の一品を用意していた。

 五年後。刑務所を出て自宅で半年の休息を取ったエリカは、またここに戻って来た。
 風と桜吹雪の中、ハイヒールの音が響いた。
「ふう、懐かしい事。この萌黒エリカ、只今、戻りましたわよ。私は、元々刑務所の人間ですものね。この萌黒刑務所、変わっていませんわね。ローズ、御苦労様。報酬はどれぐらいが良いかしらね?ドクターとなった聡美も、いつか私の右脚を完全体に戻してくれると信じてますわ。おほほ。」
最高級で最高額の、新しい薄桃色のスーツを来て、世界一高いサニーベージュのストッキングと、真っ白いハイヒールと言う姿のエリカは、大きな荷物を片手に、門の前に立っていた。一度鰐によって捕食された右脚はもうないが、この義足は本物同然と、代り映えがしなかった。リハビリも続けて、普通に歩いたり、鞭を振るったりが出来る。でも長く続けて走るのは難しい。この巨大な門が一番「御帰りなさいませ、御嬢様。」と呼び掛けているように聞こえたのだった。

梗概

メイド服を着た女達が、建設現場のような場所で鞭を振るって、ボロ衣服を纏った男達を働かせている……岩山のような場所で、何かが造られている……?そう。ここはエリカ御嬢様が経営している、民間の刑務所なのだ。それも、囚人達は皆、性犯罪を犯して捕まった連中ばかりで、メイド服を着た女は皆、逆メイド軍団と言う、ここのスタッフ達である。つまり刑務官である。更に歯科衛生室には、不思議の句ののアリスのエプロンドレスを着てコスプレした若い歯科衛生士達と、ハートの女王のコスプレをした歯科医師が。
性愛。性欲。それは人間に限らず、雌雄同体を除く息とし生ける者達全てが自然に持つ感情。男と女がある限りは。
そして煩悩とは、生きる人間誰もが不可欠として持ち合わせるものだわね……………………。
性犯罪は再犯率が高く、何度も刑務所に戻って来る者が多い。それを防ぐ為に築かれたのが、この”萌黒民間刑務所”と言う所だ。萌黒財閥の一人娘であるエリカは、両親亡き後、有り余る財によって性犯罪者を裁き、性犯罪を減らそうと必死になっているのだが、結果は如何なものなのか……。
 性犯罪者ばかりを集めた刑務所で働く職員達と囚人達の日常を淡々と描く。


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