サカナLOCKS! 終了への想い

発信の場としてのラジオの存在意義は薄れている。

 11年半もの間、『10代に向けて』のラジオ番組である「SCHOOL_OF_LOCK」で週1のコーナーを担当していたサカナクションの山口一郎さんが、2023年9月いっぱいでその任を降りることを発表しました。

 山口一郎さんは、自分で考えて自分で卒業することを志望したと言っています(真偽は定かではありませんが、上の記事での一郎さんの真剣さから完全に嘘ということはないように思います)。


 では、何故一郎さんはSCHOOL_OF_LOCKを退任しようと考えたのでしょうか。
 それが、上の記事で真剣に述べられています。


「サカナLOCKS! 音学の授業」への誇り

 自分用に少し抜粋していきます。
普段から偶におっしゃっていることですが、一郎先生はSCHOOL_OF_LOCKにて、「音を学ぶと書いて音学の授業」を本当にそのまま音学の授業として取り組んできたと述べています。

山口「その……なんていうんかな……自分は自分の授業……として誇りを持ってやってきたわけよ、サカナLOCKS!って、特に自分の曲の宣伝することもなく、プロモーションとしてっていうよりかは、本当に"音学の授業"としていろんな取り組みを実験的にやってきた番組だったから。」

とーやま「めちゃくちゃ感じてます、今でもそれは。」

 

一郎さんの語る「負け」

また、
一郎さんは10代、20代へアプローチする場として『サカナLOCKS! 音学の授業』を担当し取り組んできていました。
 この「10代へアプローチする」というのはSCHOOL_OF_LOCK自体が掲げているスタンスでもあります。

 この「10代へのアプローチ」について、一郎先生は サカナLOCKS! では限界を感じていたようです。

(上から続く)
とーやま「めちゃくちゃ感じてます、今でもそれは。」

山口「だからなんかこう誇りを持ってるのよ……自信があるわけ。ただ、自分でサカナLOCKS!辞めるって言ったのってこう、ある種……負けなんだよね。」

とーやま「負け?」

山口「そう。諦めたのよ、どこか。SCHOOL OF LOCK!の中のサカナLOCKS!でやりたいことを伝えることに限界がきたなと思ったの。」

とーやま「それは前言ってた年齢の問題とかもあるんですか。」

山口「そういうことじゃなくて……もちろん年齢の問題もあるけど、使ってるツールが違いすぎるじゃん、我々の世代とさあ。感じてきてることも違うしさ。だからその差を本気で分かりにいかないと、代弁できないじゃん。年が離れれば離れるほど感覚が分かんないからさ。10代に向けてとか、20代に向けて自分が話していても、ただの説教になるなと思ってさ。」

とーやま「うーん。」

山口「だからその埋める作業みたいなこともちゃんとやらなきゃいけないなと思ったときに、ちょっとサカナLOCKS!だと限界だから、何か新しいことを自分たちで見つけてやろうよっていうのが今のスタンスなんだよね。だからなんか……どっちかっていうとやりきれなかったから悔しいっていうかさ。」

 「負け」という言葉が出てきますが、これはラジオを媒体としている「サカナLOCKS!」では10代20代に向けてのアプローチに限界があり、そもそも「サカナLOCKS!」自体実験的な番組であったのに、「諦めてしまった」。

 この「諦め」のことを悔しさと共に「負け」と表現しているように思います。

 「サカナLOCKS!」としては「負け」としていますが、「サカナLOCKS!」以外で「何か新しいことを自分たちで見つけてやろうよっていうのが今のスタンス」と述べているので、実際には時代に合わせた方向転換です。

 では何故「負け」なのか。これは、一郎さんが「ラジオ」というツールに対してとても強い親近感と思い入れがあるがために、出来るだけラジオの可能性を見捨てなくなかった、という想いがまずあると思います。

 それでも時代は古いツールを淘汰する。
 この事実に対するえもいえない悔しさが、「負け」という言葉を一郎さんに選ばせたのだと思います。

 

ラジオからインターネットへの世代交代

 一郎先生は、かつてラジオが音楽と共に担っていた「心の支え」という役割が、インターネットの生配信に切り替わったと言います。

(ちょっと以下の引用文は長めになっています。また、一部の方にとってはセンシティブな内容かもしれません。
 お読みになる際は十分自分の精神に配慮するよう、お願いします)

山口「でもやっぱりね、若い世代っていうか同じ生活を営んでいる年代……近い年代で作っていかないと何かちょっと違ってくるよね。分かんないもんね、聞いてる人の生活とかがさ。」

とーやま「うーん。感じてたんですか?」

山口「感じてる、感じてる。俺だから、ラジオって……ある種コロナのときからもそうだけど、すごい大切なツールになるって思ってたわけ。自分にとってもさ、ラジオですごい大切なものだったし、それと同じように音楽も自分の中にあるけど。なんかこう音楽とかラジオとかが救ってきた人たちってめちゃくちゃたくさんいるわけじゃん、今まで。でもさ、インターネットが出てきてさ、音楽とかラジオが作ってきた層がさ、全部やっぱりインターネットに……あの旭川の事件知ってる?いじめられて亡くなった女の子。」

とーやま「はい、知ってます。」

山口「あの事件知った時にさ、YouTubeの生配信者に対して自分の相談したりとか、自分の趣味だった絵を見せたりとかして頼ってたんだよね。でも本来そういう子たちを助けてきたのってさ、音楽だったりラジオだったりしてたじゃん。でもそれが完全にインターネット上の生配信に切り替わっちゃったんだなと思って。そういう風に本当に究極に苦しかった人たちとかが、何の気なしに支えてもらえてたものが、よりリアルなものに変化していったと思ったんだよね。そうなってくるとさ、俺たちが思ってる心象風景とさ、今の子たちのと違いすぎるじゃん。そういう人たちに何か発信するときに、ちょっとなんか……ただ単にお説教みたくなっちゃうと思うんだよね。だから本当に自分がそこの世界観というか、その世代がツールとしてるものだったり感じてるものを知るには、そこに入らないといけない。本当の意味で。」

 今の若い世代に対し、実際心の支えとなっているのは、もはやラジオではなく、インターネット上のコンテンツになった。
 それは、自然な流れであり。
 
 古い媒体で年上が若い世代に対して発信するのは、今ではもう双方向のリアルさが無く、ただのお説教となってしまった。

 おそらく、若い世代に発信するにあたって、若い世代の彼らと同じ目線で、同じ環境・文脈の中から発信しないと「リアルさ」がなく、それが一郎さんにとって、発信する者として許せないラインなのだと思います。


古い媒体となったラジオの、これからの役割とは

 これは、僕独自で掲げた、考えてみたいテーマです。

 一郎さんは、暗に「ラジオで10代にアプローチするのはもう限界だ」と述べているように思います。

 実際、特別強い興味がない限り現代ではラジオに触れることはない時代になったと思います。
 もちろん、10代に向けてのラジオ番組として十分成功している番組もあります。北海道だけでもFM北海道の"IMAREAL"とFM North Waveの"Radio Groove" がありますし、各FMの放送局ならこういうような若い世代に受けての番組があるのではないでしょうか。

 それでも、ラジオは既に若い世代とリアルに、活発に交流できるメディアではなくなりつつあります。

 それでも。
 きっと、ラジオにはラジオの役割があると思います。

 ラジオは、インターネットの個人配信等と比べ、ルールが明確で、局を主体に配信するためにそのルールを絶対尊守しなければならないため、より公共性・公平性が高い。

 基本的に情報源を音声のみに絞っているため、「言葉」、「想い」が鮮烈に伝わりやすい(これは反対意見も多くあると思う)。

 きっと何かある。
 まだ考えている途中ですが、いつか自分で答えを出したいと思います。

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