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セブの街を歩いて日本に思いを馳せる話

フィリピンで生活を始めて1週間が経ちました。平日は語学学校に通っているけれど、土日は出かけます。

先日はセブ市内の巨大モールであるAlayaモールと、栄えている通りであるコロンストリートを訪れました。

そこで見た景色は日本とは大きくことなるものもあり、それゆえに私は日本の素敵さを感じることができたのです。きっと日本は、まだオワコンではない。


最初に出かけたのは、セブ市内でも大型ショッピングモールであるAlayaモールです。

建物もきれいで、環境も整備されていて、言語以外は日本にあってもおかしくないと感じます。テラスも現代的です。

日本にだって、こんなきれいなモールはそれほど多くないよ…日本やばくない…?きっと私の地元の愛媛には、これほど大きく、快適なモールは2、3ヶ所しかないと思う。

ユニクロで値札を見ても、日本円に換算するとフィリピンの方が高くつくくらいの服の値段。フィリピンって発展途上国だと思っていたけれど、実は思った以上に発展しているんじゃないの…?

確かに一つの側面ではそうでした。だけど、そうではない側面が大きすぎる。

Alayaモールから少し歩いた通りはローカルな通りで、きっとそれは数十年前に日本が通り過ぎたのであろう景色が広がっていた。

道路でバスケットボールをして、その横をすり抜けるように、時にクラクションを鳴らしながら通り抜ける車やバイク。昔の日本がどうだったか知らないけれど、少なくともドラえもんの世界では空き地でキャッチボールをしているシーンがあるわけだし、公共の場で遊ぶことは普通のことだったのだろう。

きれいで、整備された建物から1本ずれた通りは、数十年前の日本を想像させるような景色が広がっているのだ。活気はある、けれど、ここの人たちの収入ではきっとユニクロで買い物はできない。

そして場所はコロンストリートに移る。本当にローカルな場所。

「あー、東南アジアだ」って思う風景。本当に歩きにくい道だった。日本にいると道を歩けるのは当たり前のことで、坂道があるだけで歩きづらいと感じる。

だけど、この道を歩いていると「歩きにくい」ってどういうことなのか、常識が変わってしまう。凸凹している道は、それだけで桁違いに歩きづらいのだ。

ただ、私にとっては「歩きにくい」だけで終わる道は、足に障がいがある人にとっては「歩けない」道になる。

コロンストリートの歩道には、なぜか階段がある。車椅子ではそこは移動できず、車道は危なすぎる。松葉杖を使っても同様だろう。足に障がいがあると、それだけで街歩きができなくなる。


市場には活気がある。

風景を撮るためにスマホを構えると、遊んでいるちびっ子たちがポーズを取ってくれる。言葉は通じないけれど、サムズアップを示したら同じように返してくれた。

話は逸れるけれど、Wikipediaを見ると、

英語圏では肯定的な意味を持つが、中東、西アフリカ、南アメリカ(ブラジルを除く)では「侮蔑の表現」となる。その他、ヨーロッパやアジアの一部の国ではわいせつな表現となる。

と書かれていた。うーん、今回はたまたま大丈夫だったけれど、不用意にハンドジェスチャーができない…。

閑話休題。

それでも、よく見ると店員(店番?)の人はあまり仕事のやる気はないみたい。きっとそんなにお金になる仕事ではないのだろう。

日本のGDPが5兆ドルに対して、フィリピンのGDPは4000億ドル。人口はほぼ同じなのに、GDPは1割以下なのだ。


日本に暮らしていると、「日本大丈夫かこれ…」って思うことは多かったけれど、フィリピンで数日過ごしてから日本を見つめると、可能性を感じるなあと思うんです。

日本はある程度発展が成熟したのは事実だし、確かに生きづらさを感じることだってある。そんな風に課題はたくさんあるけれど。

何よりも、日本の街は全ての人が暮らせる街なのだ

足に障がいを負ったからと言って、街の移動に困難を覚えることはそうそうない。少なくともメインストリートを歩けなくなることは、ほとんどないだろう。

その日暮らしの仕事しかできないことはあっても、セーフティネットの仕組みだってある。

日本にも大きな貧富の差があることは承知の上で、それでも道路一本を挟んで別世界になるほどの地域格差はないだろう。


日本に暮らしていると、手元にある社会環境や社会福祉が当たり前に思えてしまっていた。だけれど、それらは先人たちが決死の思い出獲得してきたものなのだ。

「日本はオワコン」っていうのは簡単だし、私もそう思っている節があるかもしれません。だけど、手元にある、先人たちの努力の成果は大切にして、それを守りながら生活していきたいと思うのです。

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