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ゴジラとラヴェル、時々 私

映画『ゴジラ-1.0』が、アカデミー賞で日本の作品として初めて視覚効果賞を受賞したというニュース。

世代的には〝ゴジラ〟映画にリアルタイム(つまり映画館に足を運ん)で触れた最初の作品は『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(1966)だっただろうか。粗筋はもはや記憶の外ではあるものの、当時すでに子供の人気者(=人類の味方、というワケでもないが)であったゴジラにワクワクし、田圃で見慣れたザリガニが巨大化したようにしか見えないエビラにガッカリし、ワイドスクリーンで見るモスラの悠然たる姿にウットリした。南の島が舞台となるが、『モスラ』『キングコング対ゴジラ』『海底軍艦』等々、東宝特撮の南洋世界が絡む作品には、どこか惹かれてやまないノスタルジーを感じさせられる。日本人の海洋民族としてのDNAゆえなのだろうか。

この映画の音楽は佐藤勝が担当しているが、〝ゴジラ〟映画の音楽といえば、やはり1954年の第1作以来の代名詞である伊福部昭のあのテーマだろう。「ドシラ、ドシラ…」と地鳴りのように続くオスティナートは、シンプルにして効果的。本来は怪獣に対抗する自衛隊出動シーンの音楽だった(ゴジラそのものの出現シーンはもっと別の威容を持った曲で、いかにも怪獣映画らしい)が、いつの間にか「ドシラ、ドシラ…」は「ゴジラ、ゴジラ…」と口ずさまれ、そのまま〝ゴジラ〟作品の不動のシンボルとなった。

この「ドシラ、ドシラ…」は、伊福部の先立つ作品である《ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲》(1948)にそのモティーフが聞かれるが、そのインスピレーションの元をさらにたどると、フランスの作曲家ラヴェルのピアノ協奏曲ト調(第3楽章)に行き着く。

ラヴェルのコンチェルトは、作曲家の他の作品同様、精緻な和声運用のもと織り綴られており、一見伝統的な調性から外れるように見える部分(例えば第1楽章冒頭のピアノ・パートは左手と右手が別の調を同時に弾いているような効果がある)も理論的・聴覚的に整合性のある音の配置がなされている。件の第3楽章の〝ゴジラ〟風パッセージにしても、楽章全体の調性の織地の調和の中でその機能を果たしているのである。

学生時代、全作品どこにも無駄のないラヴェルからは学ぶべきところが大いにあった。そのまま影響を受けたというわけではないにせよ、和声の扱い方や調の運用方法など、実際的な栄養素を多く含んだ〝作曲の糧〟であったと振り返る。

ところで、私のモノローグ・オペラ《赤ずきん Le Petit Chaperon Rouge》(2007) 第1景で聴かれるオスティナート伴奏は、ラヴェルの和声的感覚と伊福部の民俗的エトースがブレンドされたような響きがするだろうか(全体のライトな感覚はJ.アダムズやPh.グラスあたりも少しく意識してはいるかも知れない)。汽車の走る様子の描写でもあり(その気で聴くと、バックコーラスは遠い汽笛のようだ)、主人公の少女がこれから辿ろうとする〝自分探しの旅〟の予兆でもある。

その前年に書いたピアノ組曲《スケッチ帖 Cahier d'esquisses》(2006) は初演評でラヴェルの《クープランの墓》と比較されたが、第4曲〈冬のトッカータ Toccata hivernale〉には、後者最終曲の〈トッカータ〉の雰囲気もさることながら、やはり伊福部作品につながるような〝泥臭い〟フレーズが、この曲の描く〝冬〟のイメージの民俗性を色付けているように思える。中間で聞こえる微かな〝うた chant〟は、日本の童歌(わらべうた)の懐かしさの残影でもあるだろう。作者の心象風景では、降りしきる雪の原、藁帽子姿の雪国の子供たちの輪舞が映じていた。

曲の終わり、雪空を突き抜けるグリサンドの先に、春の太陽が蒼天に輝く。そこで執拗に繰り返される高音部のオスティナートは、南洋のガムランを想わせるように陽光を乱反射させる。

ラヴェルからゴジラへ、そしてまたその先へ ––– 音楽の水脈は途切れる事なく続き、その数多くの支流の先端のひとつひとつに、誰かの作品がひっそりと花開いている。

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