落第作⑥

2020年7月下旬

家出三連目
家から近い少し大きめの公園のベンチに座った。この公園に特別な思い入れがあるわけではなく、こどもらが遊べるようなスペースと、老人や日常に疲れた人などが寛ぐために複数のベンチが設えられた(とぼくが思い込んでる)スペースとが仕切られていて、物思いに耽るときにはここに来ることが多かった。
愛に捨てられて、正直に言って、色々と悪いこと、つまり加害意識みたいなものが頭を巡ったのだが、完全に捨てられた、と気付いたとき、最後の最後で善意が残った。
ぼくはそんなに良い奴じゃないけど、そこまで悪いやつでもないみたいで安心した。しかし家も金も無いとなるときつい。役所に相談するとシェルターに入れるらしいが、シェルターに入るとしばらくは外部との接触が遮断されて、寧ろ社会復帰が難しくなる、と役所の人に聞いたことがあった。生活保護も受けられない身であるし、例えば緊急小口や総合支援資金などといった行政の援助は頭にあったが、行政なんてクソ喰らえと思い続けていたぼくは今までに関してはそれに頼ることを避けていた。いざとなったときには、その日を過ごす金も無いので、数週間後に入るであろうそういった支援金のようなものなどに頼ることもできない。ああいうのは未だに謎で、一旦「普通の人」というのに立ち返って客観的に考えるなら、2週間後くらいに入るであろうそういった支援金や利息のつかない融資などに頼るのであれば、日雇いでもなんでもやって金を稼げばいいのだし、本当に緊急の時にどうにかしてくれるものでもないよなあと思ったりもするし、おそらく普通ではない自分に立ち返って主観的に考えるならば、そもそも日雇い、例えば釜ヶ崎ときいてみんなが思い浮かべるような世界に足を踏み入れるのは本当に想像するだけで鳥肌が立つし、御託を並べたが兎にも角にも普通に働くのがイヤなのだった。
しかしこの時に最もまともだったと言えるのは、金や家が無いことよりも、最愛の人に捨てられたという事実のほうがよっぽど苦しかったということで、そして最もまともじゃなかったのは、最愛の人に捨てられたのであれば自分の人生なんてどうにでもなってしまえばいいし、早いうちに死んでしまおうと考えたことだった。
こういうとき、数十年前の時代であればもっと叙情的であっただろうと思う。ぼくが起こした行動というのが、Twitterのフォロワーの大半をブロ解する、という行為であった。現代病だ。ある意味病的だしある意味正常なのかもしれない。ある程度ブロ解してから、今度は自殺志願者を検索し、フォローした。
しかし、こういったことはもっと緻密に書いた上で言わなければ、命を軽く見ていると看做されるのだろうけれども、ぼくは数十人の自殺志願者のツイートを見て、なんだか醜い、と思ってしまった。寺山修司の『青少年のための自殺学入門』を思い出した。元気が出る良書だった。リストラだとか失恋だとか、そういった悲しいことを機に命を断つというのは、それは社会に殺されるという受動的な死であって、本当の意味での自殺ではない、という意味のことが書かれていた。太宰みたいな死に方はダメだ、と。寺山の継承者と謳われた園子温は映画の中で現代の有り様を〈透明な戦争〉と言った。そういったことを思い出した、というのは嘘で、これは書いてるぼくが“今”思い出しているだけであって、大阪のさびれた町の広い公園の端っこのベンチに座るぼくが思い出しているわけではない。本当に死のうとしている人はそんなに前向きにはなれない。そんなに前向きにはなれないが、どんなに自暴自棄になっても残ってしまうものがあった。
ーーただで死ぬのはイヤだなあーー
と思った。
一番大切な人に捨てられた今、世間も社会もどうでもよくなったが、どうでもよくない何かがあった。
永山則夫のことを思い出した。永山則夫のことを書いた村上龍の文言を思い出した。作品は正当に評価するべきだが、作品によって、罪を犯した彼自身を擁護するべきではない、というようなことが書かれていたような気がする。
すべての男は消耗品である。
そういうことを思い出したのも嘘だ。今のぼくが過去のぼくを助けようとしているだけだ。
ベンチに座ったぼくが考えたのは、殺人や強姦以外の犯罪によって金を得て、飛ばしケータイで身元を晦まして、ホテルに連泊し、遺書を書こう、というものだった。
遺書を書くことを想像すると、特に書くことがないな、と思えた。
遺書というものは大切な人に向けて書くものであって、やってはいけないことをやった後になって、大切な人に対して書くべきことなどない、と思った。
形式として遺書らしきものを書いた後、小説でも書いてみようか、と思った。その小説をどうしようということまでは考えが至らなかった。そういうことを想像しながら、愛とのLINEで共有していたアルバムの中の自分が映った写真を1つずつ削除していたら、涙と嗚咽が止まらなくなった。思っていたより写真が多くて、子供や愛と一緒に笑っているぼくの顔はそんなに汚いものでもないじゃないかと思ったりした。ぼくと一緒に笑っている愛や子供の顔はとても綺麗で、美しかった。守れなくてごめんなさい、と思いながら写真を削除した。からだから声が漏れ出て少し恥ずかしかった。恥ずかしさを通り越して、誰か助けてくれないかな、と思ったりした。自分が映ったすべての写真を削除し終えた頃、涙をすべて出し切ったような気がした。
まったく考えがまとまらないまま、頭も脚も鉛のように重くなっていてよくないと思って、別の公園に移動してベンチに座って、また、死のうとしている人達のツイートを眺めて、中には一緒に死んでくれる人を募る人などもいて、この人たちはなんで見ず知らずの他人と一緒に死のうとしたりするんだろう、と思ったりした。
来た人がとても汚らしいおじさんだったらどうするんだろう。自殺を見て笑いたい人だったり、強姦目的で来る人だったらどうするんだろう、などと思ったりしながら、やっぱりどこにも踏み出せずに思いあぐねていたら、細い老人が歩いてきて、ぼくの目の前で倒れた。




基本的に無駄遣いします。